
●この度、K5のGMに就任されたということですが、まずは、ドナさんが生まれ育った故郷での幼少時代について教えてください。
私は、首都マニラから6時間ほど離れた、フィリピン北部の海と山に囲まれた小さな町で、大家族とともに伸び伸び育ちました。学校では生徒会の副会長になったり、学校の新聞に掲載する詩を書いたりと、活発な学生でした。ただ、昔から飽きやすい性格で、ひとつのことに集中して極めるというよりは、広く浅く、いろいろなことに興味を抱いていました。
●当時、夢はありましたか?
高校3年生までは学校の先生になりたいという夢がありました。誰もいない教室に立ち、背後に生徒たちがいると想像しながら黒板に文字を書いたこともありましたし、実際に後輩たちの前に立って講義する機会も何度かありました。ただ、最終的には大学へ進学したのち、企業に就職することにしました。
●先生の道には進まなかった。
将来また先生になれる機会はあるだろうと地元の企業をサポートできるような人間になるために、大学に入って4年間会計の勉強をしたんです。というのも、フィリピンでは起業のハードルが高くて、ビジネスをはじめるという発想に至りにくい現状があるんです。私がいた学校でも公務員や社会福祉に携わる仕事を目指す人が多かったです。分析を通してスマートな判断を導き出すのが好きだったので、社会に出るなら少しでも起業を目指す人たちをサポートできたらいいなと思うようになりました。
●最初に就職されたのは、どのような職場でしたか?
大学卒業後に就職したのは、偶然にもホテルでした。とは言っても、バックオフィスとして会計部門での採用だったのですが、そこではマネージャーのアシスタントとして働かせていただきました。ところが、ある日「新しいホテルをボラカイ島に開業するから一緒に来ない?」とGMに誘われ、2年間一緒に働いた人だったので、ホテルの立ち上げから携わることにしたんです。ただ、7人というチーム体制で、フロントとマーケティングのリーダーは不在。当然、バックオフィスを出てフロント業務も勉強しなければならず、海に囲まれたロケーションにも関わらず、最初の3ヶ月は海を眺める時間すらありませんでした。
●裏方のサポートから、急遽フロントにも立って。景色を眺める余裕がないほど忙しい日々だったのですね。
コミュニケーションに不慣れなところがあったので、日々学ぶことばかりでしたが、ゲストと話すと落ち着くといいますか、バックオフィスよりもフロントのほうが楽しく、自分に向いていることがわかり、ゲストとの会話からホテルの在るべき姿を次第に理解するようになっていきました。
まずはこの島を自分が理解しないことには、魅力は伝えられない。ツアーパッケージをつくるなかでそんなことにも気づかされましたし、以降は、ボラカイ島にあるお店に足を運び、その魅力をそれぞれのスタッフが楽しみながらも深く理解できるように、地域店舗とスタッフとの関係が築けるようなサポートをホテルの福利厚生に加えることにしたんです。
●ホテルがあることで人と人がつながり、街にも循環が生まれていったのですね。
そうなんです。ただ、人も街も大好きだったのですが、さすがにチーム体制に無理がありましたし、もっと外の世界を見てみたい、新しいことに挑戦してみたいという想いが強くなり、1年という短い時間でしたが、このホテルを離れる決断をしました。そんなときに、偶然ドバイに住む友人から「面白い仕事があるよ」と声をかけられたことをきっかけに、インターネットで海外の仕事を調べるようになりました。もともと日本のアニメが大好きで、特に漫画『君に届け』の影響もあり、「日本でも働けるかもしれない」と、いくつかの仕事に応募してみたんです。すると、レストランや英語教師の仕事が見つかったので、ドバイではなく日本を選び、日本語学校に通いながら英語教師としても働きはじめました。
●先生になる夢は日本で叶えたわけですね。ところで、K5との出会いは、どのタイミングで?
日本語学校を卒業したときに、ホテル業界に戻りたいという想いが強くなり、英語でホテルの求人サイトを見ていたのですが、そこでK5の存在を知りました。この時点では、まだHOTEL K5という名前は掲載されていなくて、“NEW BOUTIQUE HOTEL”としての求人だったのですが、ブティックホテルということだったので、以前の経験もありましたし、早速連絡してみました。
●なぜ、ブティックホテルに惹かれたのでしょうか?
ゲストとの距離が近いところもそうですし、自分が考えていることを提案できる環境があると思っていたからです。何より開業のタイミングで足並みを揃えてホテルをつくれるというところに惹かれていました。オリエンテーションでは20人ほど集まるなかで、実際にホテルの外観や内観を見させてもらい、まだ改装中ということもあり、半透明のベールに包まれた館内の全貌を見ることはできませんでしたが、すでにK5の雰囲気は感じられました。「素敵なホテル!」と、興奮しながらも、まだ慣れない日本語ではなく、英語で面接していただき、採用となりました。
●無事採用となり、最初の仕事はどのようなポジションでしたか?
レセプションメンバーの一員として採用していただきました。開業直前までは、チームと一緒に部屋へ家具を運んだりと楽しい時間を過ごしながら、毎日ゲストを迎えに動き回る日々がはじまるはずだったのですが、開業と同時にコロナになってしまい、ホテルは2ヶ月間の休業に……。営業再開に向けてチームでプランは練るものの、不安を覚える毎日でした。営業再開後の1年間は海外からのゲストが来づらい状況もあり、日本人ゲストをお迎えすることになるのですが、より正確な日本語でのコミュニケーションが求められたことで、私にとっては日本語を学ぶ良い機会になりました。
●レセプションからGMに。この5年間でどのような仕事をされてきたのでしょうか。
営業再開後は、お部屋の清掃のメンバーたちがすぐに戻って来ることができない状況でしたので、レセプションの私たちが清掃を担当したり、インスペクションをしたり、いろいろなレイヤーでホテルの仕事を経験させていただきました。なので、日々勉強することは尽きませんでした。ポジションとしては、その2年後。今度は、フロントのスーパーバイザーという仕事をいただきました。
●スーパーバイザーになったことで、仕事にどのような変化がありましたか?
仕事の変化というよりも、仕事をする姿勢に変化があったと思っています。というのは、スタッフの教育を担当して、評価もしなければならないポジションになったことで、コミュニケーションの仕方も変化していったからです。レセプションには引き続き入りながらも、ゲストに対しても、相手の言っていることをちゃんと理解して行動できているか、どのように課題を解決していくか、よりコミュニケーションが問われる領域の仕事だったのかなと。そのあとは、オペレーションマネージャーとして昨年まで働かせていただいていましたが、そこでは、兜町という街との連携をとるために平和不動産さんとのコミュニケーションもとるようになりましたし、幅広い仕事をさせていただけるようになりました。そのタイミングで、当時GMだった渡邊加奈子さんのアシスタントとしても仕事をさせていただくようになったんです。よく、「ホテルの仕事をしていて飽きないの?」と聞かれることがあるのですが、毎年違う仕事をしてきたので、飽きる余地なんてないんですよね。ホテルにはたくさんの仕事がありますから(笑)。
●これまで、K5というホテルを多角的に見てこられたと思いますが、当時GMだった渡邊さんの仕事をどのように見てきましたか? また、ドナさん自身がGMに就任されて、どのように感じていますか?
渡邊さんの仕事を直近で見て感じていたのは、スタッフのことを守りながら、どのようにこのホテルを世界へ発信していくか、という仕事をされていた方だなということでした。正直、最初はGMになるのが不安で自信がなかったのです……。ChatGPTで“GMとは?”と入れたこともありましたが(笑)、渡邊さんが産休に入り、GMというポジションを継続することが現実的ではなくなってしまったなかで、K5のGMを私が担えるのかという不安は常にありました。「ほかにGMを任せられる人はいないか」と考えたこともありましたし、まわりにも「私で本当にいいのか」と尋ねたこともありました。でも、最終的に背中を押してくれたのは、スタッフのみんなだったんです。私をGMというポジションに迎えることをポジティブに捉えてくれているスタッフから意見をもらえたことで、やっぱりこのチームでやっていきたいと再認識することができたんです。ゲストを大事にするのはもちろんですが、スタッフも大事にしていく。まわりで働いているスタッフの意見を尊重することで、不可能も可能にしていける。チームとしてそう考えられるようになったので、GMのポジションを引き受けさせてもらいました。
●GMのお仕事としては、もちろんチームをまとめるというところはあると思うのですが、具体的にはどのような内容になるのでしょうか?
ホテル全体のオペレーションを統括し、利益を上げていくこともそうですが、スタッフも含めたこのK5という建物、そして兜町の歴史をどのように世界へ発信していくかもGMが担う役割だと思っています。私自身、外国人という立場でもあるので、その視点が強みとして活かせるのではないかとも考えています。
●確かに、外から日本を見ていたからこその視点はありますよね。現在、ドナさんがコミュニケーションを図る上で大切にしていることはありますか?
コミュニケーションについては、3つ大切にしていることがあります。1つ目は、傾聴すること。それは、ただ聞けばいいのではなく、相手がどんな問題を抱えているか、その現状が見えてくるような聞き方をするということです。2つ目は、適切な質問をすること。そうすることによって、その場ですぐに結論を出すことができるかもしれないですよね。そして3つ目は、正直に自分の考えを伝えること。これは、ホテルのゲストに対しても、同僚やクライアントに対しても一緒で、誰に対しても同じように接することを心がけています。レセプションにいると、嬉しい話も、そうでない話も耳に入ってきますが、それをちゃんと聞かないと次のアクションにはつながらない。そのときに、これら3つのコミュニケーションが活きてくると思っています。
●なるほど。そうしたコミュニケーションのなかで、心に残るゲストとのエピソードもあったのではないでしょうか?
いつもスイートルームを3、4泊予約してくださる、もう20回以上もK5をご利用いただいているニューヨークの靴屋さんがいるんです。「ヘイヘイ!」といつも気さくに挨拶してくれて、ゲストというよりは友達に近い存在なのですが、冗談で「チェックアウトの時間ですよ」と連絡すると、「ちょっと、追い出す気!?(笑)」と返してくれるぐらいノリがいい方で。「最近、全然来なかったじゃないですか」と言えるような関係もすごく心地がいいのですが、そういうカジュアルなやりとりができるのも、日頃の丁寧なコミュニケーションがあってこそなんです。レセプションで「ヘイ、ハロー!」なんて同じようなテンションで日本人のゲストの方に挨拶をしたら、きっと気分を害してしまうかもしれないですよね。
●ただ話を聞くだけではなく、相手との距離感やその場の状況、キャラクターや感情にまで気を配っているんですね。
リピートしてもらうという意味では、「東京を訪れるときは必ずまたK5に泊まろう」というような関係が築けたエピソードとして、以前、レセプションに大きなスーツケースを4つ忘れて帰ってしまった海外ゲストの方もいました。あまりに大胆な忘れ物に私たちも驚いてしまったのですが、電話で荷物のことを伝えたら、すでに次のホテルに到着してしまっているとのことで、咄嗟の判断で渋谷まで荷物を持っていくことにしたんです。そのとき、そのゲストが泣きながらハグしてくれたので、ちゃんと相手の声を聞きとって動けてよかったと感じましたし、相手が本当に必要としていることが引き出せた瞬間でもありました。「そこまでする必要があるのか」という意見もわかりますが、非日常をつくる仕事という意味では、思い出をつくる手助けにもなりますし、そのような経験がゲストをまたこの場所へと連れ戻してくれるんです。
●逆に、失敗したエピソードもあったりするのでしょうか?
これは日本人ゲストとのエピソードなのですが、その方はプロポーズでK5をご利用くださっていて、サプライズのために指輪を預かったりと、いくつかの指示の下、メンバー全員で全力で動いたんです。ところが、私たちの心がけが至らなかったのか、後日、「プロポーズだったのに、もう少し心遣いがほしかった」という内容の連絡をいただいてしまい……。きっと素敵な思い出をつくりたいからK5を選んでくださったのに、言葉だけでは伝わりきらなかった+αの部分に私たちの想像力が及ばなかったのかなと反省しました。そのゲストの方には、自分の考えを正直に伝えて、誠実に向き合うために改めて謝罪し、もう一度だけ宿泊いただくチャンスをいただいたんです。
●どのエピソードからも、ただ対応するだけではなく、その背景にある気持ちや期待をどれだけ汲み取れるかが感じとれました。では、これだけさまざまな人々が訪れる場所のユニークネス、K5の強みは何だと思いますか?
過去から現在、未来へとビジョンをつなぎながら、常に刺激とインスピレーションを生み出す場所、それがK5、そして兜町の強みなのではないでしょうか。兜町には日本経済の中枢を担ってきた金融街という重厚な歴史がありますが、5年前にK5ができた時点から、その歴史を大事にしつつも、街全体が少しずつ変化しはじめました。新しい人たちが集まり、色彩が足されるなかで、訪れたゲストそれぞれの思い出とシンクロし、街との間に循環が生まれていく。ここでしか体験できないレストランやお店も増えていますし、渋谷や新宿もいいですが、最近は、兜町でゆっくりと東京を眺める心地よさを建築家やデザイナー、多くの外国人ゲストの方たちも認識しはじめていると感じています。「東京といえば日本橋兜町」と連想してもらえるような場所にしていきたいですよね。
●これからのK5が見るべきは、どのような未来でしょうか。
この5年間で私たちK5がやれることも変化してきたように思います。最近では、口コミをきっかけに訪れてくれるゲストも増え、それはすごく嬉しい変化だと感じています。と言うのも、紹介していただく媒体によっては偏りが生じたり、写真や記事で見た内容と実際のホテルにどうしてもギャップが生まれてしまうこともある。でも、直接的な関係を築き、その魅力が口コミで伝わっていくことで情報発信を超えたオーガニックな広がりがあり、そうなれば、私たちはより自分らしいサービスを提供することに専念できると思います。
●よりK5らしいサービスを追求していくなかで、ドナさんが目標に掲げるのはどのようなことですか?
ここ数年で私自身が向き合うテーマも、より本質的なものへと変化してきたように思います。文字にすると簡単に聞こえるかもしれませんが、“ホテルのゲストと、ここで働くスタッフの幸せをつくること”が私の目標です。幸せのかたちは人それぞれですが、その一人ひとりの幸せに寄り添うためにも、この目標はこれからも掲げ続けたいと思っています。K5だからこそ生むことができる“人生を変えるような体験”を実現するために、チームでいいサービスを届けていく。それが私自身、そしてこのチームが描く未来であり、これからも変わらず大切にしていきたいことですね。
ドナ・ホアキン
Donna Joaquin
1991年、フィリピン生まれ。海と山に囲まれた自然豊かな町で育ち、学生時代には教師を志すものの、大学では会計を専攻。卒業後は地元企業を支えるべく、ブティックホテルの会計部門でバックオフィス業務に従事する。2017年に来日し、語学を学びながら、再びホテル業界へ戻ることを決意し、K5と出会う。以降、レセプションを皮切りに、フロントスーパーバイザー、オペレーションマネージャーといったさまざまなポジションを経験し、2025年にGMに就任。明るく前向きな性格と、努力を惜しまない姿勢でチームからの信頼も厚く、現在は、K5の魅力を世界へと発信しながら、非日常を彩る思い出のひとコマに寄り添うようなサービスを提供している。
Interview&Text : Jun Kuramoto
Photo : Masahiro Shimazaki
ドナ・ホアキン
HOTEL K5 General Manager
平和不動産
片山さん
兜町の気になる人
毎月の定例ミーティングでは、K5の実績や売上についてご報告させていただいているのですが、そのなかで、片山さんが常に真剣な表情で耳を傾けてくださっている姿が印象に残っています。今後、平和不動産として、そしてK5を通じて、兜町という街にどのような表現を加えていくのか。また、それがどのように新しいプロジェクトへとつながっていくのか。そんな未来へのビジョンを伺いたいと思う一方で、時にはカジュアルな片山さんの表情も拝見してみたいと思っています。