
●今回は「KABUTOCHO FLOWER WEEK」で兜町で働く23名の人たちを撮影されたということですが、テーマはミモザの花言葉に準えて「感謝」だったそうですね。撮影を終えてみて、いかがでしたか?
日本橋兜町には時々打ち合わせに伺う程度で、普段からこの街にいるわけではなかったのですが、今回、兜町に出店する23店舗のみなさんを撮影させていただき、23人の「個」と向き合わせていただいて、この街で働く人たちとお客さんとの関わり合い、そこでの会話や街に落ちている人々の交流のようなものが想像でも垣間見ることができて、改めて「個」が「街」をつくっているということを実感しましたし、単純にこの街が大好きになりました。テーマも「感謝」ということで、みなさんそれぞれの気持ちを綴ってくださっていましたし、この街に少しでも関わる人たちに見てもらえたらいいなという想いで撮影させていただきました。
●先ほど、同じ時期に景色B1FのギャラリーAAで開催されている個展『兄へ』を拝見させていただきました。“叩き割られた窓ガラス、壁に刺さった包丁、沈黙の食卓、誰にも言えなかった恐怖。僕の原点は、すべて家の中にありました”という衝撃的な言葉にはじまり、非常にパーソナルでありながら強烈な言葉の数々が路上で撮影された人々の写真とともに並んでいたのですが、展示のテーマは、あくまでもお兄さんなのですね。
そうです。今回の展示は、僕の兄との関係からはじまっています。僕にとって、ずっとどこか怖かった兄という存在を少しでも理解したくて、路上に出て人の話を聞き始めたというのが、最終的にこの展示に至った主たる経緯になります。
●カメラを持つきっかけになったのが、お兄さんとの関係だった。
写真を撮り続けたという意味では、そうですね。20歳でカメラを手にとり、路上に出て人を被写体としたポートレート写真を撮るようになりました。ただ、最初に写真を撮るきっかけを与えてくれたのは、学校の2つ上の先輩だったんです。仲が良く、頻繁に会って色々と話を聞いてくれていた存在だったのですが、その先輩に「毎日、知らん人に話しかけたら?」というアドバイスをもらったんです。それで、18歳から20歳までの2年間はほぼ毎日路上に出ては、いろいろな人に声をかけていたんです。当時はTumblrというサービスを使っていたので、自分のアカウントにインタビュー内容を記録していたのですが、気づけば最初の半年で600人分のメモが溜まっていました。
●すごいエネルギーですね。どのような方に声をかけていたのでしょうか?
直感が働いた人に声をかけていたのですが、いきなり声をかけられたらそれは怪しまれますよね(笑)。最初は足を止めてもらうことすら難しく、どうすれば第一印象を変えられるだろうと、バインダーに質問事項を書いた紙を挟んでみたり、偽の腕章を腕に巻いて記者になりすましたこともありましたけど、結果、余計に怪しまれてしまって(笑)。それで、そのとき偶然イヤホンが壊れていたので、神戸の家電量販店へ足を運んだんですね。そうしたら、オーディオコーナーの隣にカメラコーナーを見つけて、これだと思ったんです。その場ですぐにカメラを購入して、再び路上へと戻りました。
●コミュニケーションのツールとしてカメラを手にとられた。
そうなんです。ただ、昔からずっとサッカーしかやってこなかったので、カメラのことなんてさっぱりだったんです。でも、そんな状況でもカメラを持っていると、みんなが「写真を撮りたいのかな?」と察してくれるだろうという期待や想像で、路上の人々との距離がとりやすくなったんですよね。でも素人だったので、最初は興味本位でカメラを構えては、撮影しながらお話しを聞かせてもらっていました。
●当初は話すためのツールだったカメラですが、いつ頃から本気で写真を志すようになったのでしょうか?
あるとき、神戸の新聞記者の方から僕がやってきたことを記事でとり上げたいと声をかけてもらったんですね。それで、その記者の方が「加藤くん、今やっている取り組みを海外でもやってみたくない?」って言うんです。話を聞いてみると、「トビタテ 留学 japan」という文科省のプロジェクトがあるみたいで、海外に行きたいけど金銭的にやりたいことを実現できないような学生を応援する制度らしくて、トライしてみたらと勧めてもらったんです。まだカメラを持って一年程度ではあったんですけど、採用してもらえるようにいろいろ準備して、無事採用してもらうことができました。
●すごいじゃないですか。写真を勉強しに行かれたということですよね? ちなみに、どちらの国だったんですか?
21歳から約一年半、カナダのバンクーバーで写真の専門学校に通わせてもらいました。学生時代から、兄からいつか離れたい気持ちで英語を一生懸命勉強していたこともあり、ようやく念願叶ったという思いでした。
●専門学校へ通いはじめて、写真の撮り方に変化はありましたか?
これまではカメラを人に向ける意味すらわかっていなかったというか、自分から話しかけて時間をいただいているにも関わらず、とにかく街中で出会った人にお話を聞かせてもらっている最中にバシバシとシャッターを切っていたんですね。でも、それってすごく失礼な態度だったなと思うんです。今回の展示で飾っている写真を見てもらえたらわかるんですけど、被写体の方がこちら側を向いてくれていて、フィルムカメラでひとりに対して一枚だけシャッターを切っているんです。彼らには写真を撮らせていただく前に、まず足を止めていただいているわけですし、そのあとにすごくパーソナルなお話も聞かせていただいている。そうやって時間を頂戴していることにまず感謝ですし、それに対してリスペクトをもたないといけないと思うようになったんです。そのころから一枚の写真にかけるというアプローチに変化していったように思います。それはいまでも変わらない部分かもしれませんね。
●カメラを向けるという行為は、その人のパーソナルな部分を覗くことでもあり、それにはこちらの姿勢もそうですし、向き合ってもらうためのリスペクトが必要になってくる。ドイツの生物学者が提唱した概念によると、私たちの世界は無数の「環世界」が複雑に重なり合ってできているそうなんです。つまり、人の数だけ主観や価値観は存在していて、その人にしか見えない世界や感じとれない現実がある。でも、だからこそ、その世界に足を踏み入れることは、想像以上の繊細さと配慮が求められると思うんです。知らない人に話を聞くこともそうですが、人と向き合うことは、本来ものすごくエネルギーがいる行為ですよね。
これまでカメラが人に向き合わせてくれたわけですが、そうしているうちに、自分だけが苦労しているとか、報われないという考えで落ち込んでいる自分に腹が立つようになったというか、自分って何てダサいんだって思うようになったんです。ただ街を歩いている人や電車で隣り合った人だって、話してみれば抱えている問題や考え方が人の数だけあって、自分が悩んでいることはそうだけど、親から与えてもらっている愛やこれまでと違った視点を路上で出会う人との会話を通して気づかせてもらえて、結局、自分と向き合うことにもつながった気がするんです。
●眼前の人を知るために敬意を払い心を開いてもらうことが己を知ることにもつながっていった。すごく大事な姿勢ですよね。ところで、バンクーバーでの生活というのは、どのようなものだったのでしょうか?
エネルギーに満ち溢れていたこともありますが、とにかく写真を学ぶために貪欲な日々を過ごしていました。ただ、授業は当然英語なので、最初は全然ついていくことができなくて、それが悔しくて。でも、その悔しさをバネにして神戸時代と同じように路上に立ってポートレート写真を撮らせてもらっていたら、英語がしゃべれなくても写真が共通言語になり得ることに気がついたんです。言葉や概念を知らなくても写真であれば伝わるモノがありますし、それと同時に言葉の力にも気づくことができたのは大きかったと思います。英語はインタビューした音源を何度も繰り返し聞いたりメモを書くなかで次第に身につけることができました。
●神戸でもバンクーバーでも、常に路上で出会った人と対峙することで前進してきたのですね。そうやって撮影してきた数多くのポートレート写真を通して、お兄さんの印象にも変化は起きたのでしょうか?
兄の印象に変化があったというよりは、自分が変わっていったんだと思います。以前は兄に殺意を抱いたこともありますし、逆に自分が殺されてしまうかもと想像したことも何度もありました。ただ、兄とのネガティブな関係をこうして展示で観ていただき、自分が思った以上にポジティブな変換が起きているお客さんの表情を見ることができたのは、すごく喜ばしいことですよね。ネガティブがポジティブに昇華されたわけですから。
●こうやって大きな写真で展示を観ることで与えられるエネルギーがありましたし、同時に文字の力強さも感じることができました。最近はSNSなどで写真や文字に慣れてしまっている部分もありますが、ごっそりと抜け落ちてしまった何かを再発見できた気がします。何より人と向き合うことの大切さを教えてもらえたというか。加藤さんは、この展示をどんな方に観てもらいたいですか?
いままさにもがいているような人や、一生懸命その人の人生を生きている人たちに僕の作品を見てもらったり、本を手にとってもらいたいです。いろいろな状況や感情をもったまま向き合っていただけたら嬉しいなと思っています。さっきも二人の息子さんをもつお母さんが来てくれたんですけど、展示を観て悩んでいる心境を明かしてくれて。なので、どんな状況にあるかはわからなくても、写真と言葉がパーソナルな世界を拡張することで、少しでも見てくれた各個人の心境や状況とシンクロするような瞬間があればいいなと思っています。ただ、一方で、この展示は僕がこれまで撮り溜めてきた写真の目的にはなり得ません。なぜなら、僕が路上で人に会う理由はあくまでも一対一の関係で人と向き合うためで、その人のことを写した写真と話してくれた言葉を感謝とともに伝えることだからです。なので、被写体になっていただいた方には、撮影後にその写真とインタビューの内容を整えてから送らせていただいていて、それではじめて完結するんです。なので、本や展示というのは本来の目的というわけではなくて、その延長線上にあるものなんです。
●では、これからも路上での撮影はライフワークとして続けられるわけですね。
兄の存在によってカメラを手にとったわけですが、この展示で一旦一区切りがついたと思っているんです。僕を写真に向かわせてくれた感覚というのは、兄との仲が修復したいま、もう存在しないですし、そこに立ち返ることもないと思います。なので、写真に向かうモチベーションというのは、もっと別のところにあると思っていて。これまで人という被写体に向けてきた情熱を、今度は別の被写体に向けられるんじゃないかと思ってきたところなんです。
●なるほど。では、今回の展示は加藤さんをどこへ向かわせるのでしょうか?
フリーのカメラマンとして活動して3年が経ったいま、仕事として写真を撮ることとこれまで路上で人を撮ってきた感覚の境界線が徐々になくなってきていて、その感覚をこれからは仕事でも発揮していけたらと思っているんです。やっぱり人というのはこれまでもこれからも僕にとって大きな意味をもつことには違いないですし、場所や言語に捉われずに被写体と真摯に向き合うことはこれからも変わりません。ただ、今後はその被写体がモノに置き換わっても、イベントになろうとも、それらに対して自分がどのようなコネクション、つながりを見出せるかがキーになると思っています。例えば、それが料理だとしたら、ただ皿の上に置かれた料理を撮るのではなくて、それがどんな人によって、どんな想いでつくられたのか、少しでもその人のパーソナルな部分にアプローチすることで想像が働きますし、人を撮るようにファインダーを覗くことで、思いやりのある写真が撮れるのではないかと思っています。今回の「KABUTOCHO FLOWER WEEK」でも、そうやってシャッターを切らせていただきました。
加藤雄太
Yuta Kato
1995年、兵庫県生まれ。先輩の「毎日、知らん人に話しかけたら?」という言葉により、2014年より路上の人々の話に耳を傾け、写真を撮りはじめる。これまでに3,000人以上のポートレートを撮影し、2022年より東京に拠点を移すと、フリーランスのフォトグラファーとして活動を開始。2016年『HAZIME-MASHITE』、2024年『13』、2025年『兄へ』を刊行。
Text : Jun Kuramoto
photo : Daiki Miura
interview : Jun Kuramoto