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安齋 好太郎
安齋 好太郎

2024.07.25

安齋 好太郎

株式会社ADX – CEO

縛られない自然の魅力と
逃れられない都市での実験

「森と生きる。」をフィロソフィーとして掲げ、これまでに数々のプロジェクトを手がけてきた株式会社ADXのCEOである安齋好太郎さんは、日本橋兜町の「Hotel K5」のローカルアーキテクトをはじめ、Human Nature/SR/Omnipollos Tokyo (以下、Omnipollo)が入る「旧うなぎ屋・松よし」の改修、平和どぶろく兜町醸造所などが入る「KITOKI」などを手がけてきた。都市に求める要素をサスティナブルな視点で切り拓きながら、その建物がもつ存在意義や風格を追求するだけでなく、プロジェクトを通して自然と人とをつなぐこと。今回は、そんな安齋さんが眺める都市と自然との距離感や建築が果たす役割を、K5の設計を振り返りながらインタビューさせていただいた。

●兜町で仕事をするようになったきっかけは?
きっかけはK5のプロジェクトです。(K5の)岡雄大さんとは前職で知り合っていて、当時、シンガポールにいた岡さんとパラオにあるホテルのプロジェクトでご一緒したことがあり、その経緯で岡さんからK5のお話をいただいたんです。

●兜町の都市開発と聞いて、どんな印象がありましたか?
最初は東京証券取引所とサラリーマンの町というイメージしかなくて、どうしてここにホテルができるのか、正直まったく想像がつきませんでした。でも、ここで事業を起こしていくことに自然と興味が湧いてきて。

●プロジェクトとしては、どんな仕事からはじまっていったのでしょうか?
“面白そう!”というノリからのスタートでした。CKRというストックホルムのデザインチームがいるのに、それを形にできるチームがいない。たまたま設計も施工もできる僕らだったので、そんな状況下で素直に助けになれたらということで、K5の設計にアサインされることになりました。これまで数多くのホテルを見てきたけど、こんなホテルははじめてでしたし、CKRのアプローチも面白くて。

●CKRのアプローチとは?
彼らは日本を違う角度で表現できたんです。日常生活のなかで「日本を表現して」と言われたら意外と難しいけど、日本をよく知るスウェーデン人の彼らだからこそ確かに見えている、 “外から見た日本” を的確に表現してくれた。それと、彼らと仕事をするなかで響いたことのひとつに、僕らの提案を受け入れてくれながらも、「イエス」と言う前に必ず「どうしてそう思う?」と理由を聞いてくれたことがあります。自分たちには“こうしたい” という明確な理由があったので、その話ができて単純に嬉しかったですね。

●逆に、難しかったことってありますか?
ただただ楽しかった(笑)。難しいことがあったとするなら、この建物が左から右に20cm傾いていたことぐらいで。

●えっ! そうなんですか?
K5の長い廊下などに所々段差があるんですが、これは20cmの傾きを解消するためのものなんです。もちろん、安全面の問題はクリアされてます。

●それは知らなかったです。プロジェクトで物件を見る時は、建物のどんなところを見ているのでしょうか?
まずは、水、電気、排水のようなテクニカルなインフラ部分を見ていきます。あとは、歴史。歴史というのは、どんな素材を使用しているか。例えば、cavemanには床のナラ材に当時の素材が使われていたりする歴史的背景や素材のセレクションを見ながら、現在、過去、未来を合わせもって考え、この建物の文脈を紐解いていくことで具体的な表現に近づけていく。謎解きゲームのようなものなんです。

●K5で特に面白かった特徴があれば教えてください。
やはり、天高ですね。この建物は4階の天高だけ4.3mもあるんです。元々は銀行の別館として竣工したビルですが、最上階にはボールルームがあったので天井が高く設計されている。こんなに贅沢に天高をキープしているビルなんて、いまでは考えられないですし、どうしても収益性が求められたり、もっと積層しようという話になってしまう。なので、建物がもつ意味や風格、威厳という(当時の銀行に対する)考え方は、すごく勉強になりました。建物がもつ影響力を “お金ではないもの” で伝えていたんだな、と。

●K5のプロジェクトでは、CKRチームをはじめ、Backpackers’ Japanの(当時)代表だった本間貴裕さんやメディアサーフのメンバー、入ってくるテナントなど、個性的な人々と出会うことになったと思いますが、プロジェクトを進める上で、チームのつくり方にどのような印象がありましたか?
大人の話がまったく通じなかったですよね(笑)。もちろん工程表やマニュアルはあったけど、誰もそのページを開こうとしない。でも、それがむしろ楽しくて。前に進むのに面白いことを追求していくと、常に変化が起こるじゃないですか。そうでなければ、大手に任せて正確に進んでいけばいいわけで。でも、それはここではない。ここはみんなそれぞれがスターで、まるで動物園(笑)。ゾウはキリンには代えられないけど、一緒になることもない。毎日、動物園をつくっているような感覚が面白かったです。
ホテルの家具をつくったのも面白かったですよ。最初、全然コストが合わなくて、日本ではなく世界中まわってつくってくれる人を探そうと、タイや中国、韓国まで足を運んで。この部屋の植木鉢ひとつをとっても、たくさんの思い出があります。

●そして、K5を起点に近隣の物件の設計も担当することになりましたよね。Human Nature/SR/Omnipolloが入る「松よし」は、どのように着手されたのでしょうか?
まず、「鰻屋の建物を何かにしたいんだけど、できる?」というお話しからのスタートでしたが、「何かしらはできますけど、何ができるかは、いまのところはわからない」という話ではじまりました。Human Natureはイメージできたけど、Omnipolloの壁がどうしてそんなに青いのか、と。当時はグレー一色でネクタイ締めた人しかいない場所で、平和不動産の方もよく容認してくれましたよね。

●「松よし」って結構古い木造建築だと思うんですけど、ずっと使われてきたからか、いまでもバリバリ現役ですよね。
木造は少し手を入れるだけで長持ちするんです。法隆寺だって1400年ぐらい経っているけど、ずっと手を入れてきたから維持できている。逆に、手放してしまうとすぐに自然に戻ってしまいますが。

●「KITOKI」は、どのように着手されたのでしょうか?
「KITOKI」は、低層の木造建築をつくる構想からはじまり、最初は3階建てぐらいでとプレゼンしたのですが、最終的には9階建てのルーフトップつきになりました。ちょうどKABUTO ONEをつくっていた時期だったので、駅から直結で上がってきたときに、正面にバンっと目立つ、一丁目一番地になるような木造建築にしようという提案をさせていただいて。

●1階の平和どぶろく兜町醸造所は内装も手がけられていますよね。
平和酒造の山本さんと話をしながら、抽象的なイメージを言語化して形に落とし込んでいったのですが、このビルを町の賑わいの中心地として機能させるために、一テナントというよりは、情報が集まる、街における灯台のような役割を担ってもらいたいという想いがあって。どぶろくを一杯飲んでから街に繰り出すんですけど、ただ飲めるだけではなくて、店舗裏でも醸造しているという、ライブ感のあるものを1階につくりたかったんです。
ちなみに、このビルの外壁にある4本の柱には化粧がしてあります。カブトムシ(=兜町)、てんとう虫(=天の虫)、バッタ(=イギリスの証券所におけるシンボル)、トンボ(=前にしか進まない、勝利を呼び込む「勝ち虫」)と、それぞれ縁起の良い昆虫の羽の模様をスキャニングして、これもまた縁起が良いとされる樫(カシ)の木、楢(ナラ)の木と合体させ、それを3Dの加工機で削って柱に転写させているんです。

●柱にそんな意味が込められていたんですね。
イギリスの証券所には、現在も黄金のバッタが象徴として飾られていたりもするし、このビルも強いから100年先でも残る。そうなった時にちゃんと意味を継承していけるように、自然も縁起も文化を柱のデザインに想いを込めたんです。柱の成形に使用した型枠もただつくって捨てるのではなく、KITOKIのように起点となって新しいことがいろんな場所へと展開されることを想定していて、このビルにアートピースとしても飾られています。また、入口に設置している「Kabulock(カブロック)」は、多用途でいろんな場所に展開しているストリートファニチャーで、東京証券取引所が秋田県で展開している「東証上場の森」を管理する森林組合さんの森で育った木を使用してつくられています。この森にはその年の新規上場企業に相当する本数が植樹されるんです。それが時の経過とともに町と自然をつなぎながら循環を生み出すアイテムになっています。

●兜町も自然の循環の一部になっていたんですね。ところで、Kontextではインタビュイーの幼少期や学生時代のお話も聞いているのですが、安齋さんにはどんな思い出がありますか?
家の裏が材木屋で、そこが遊び場でした。親父がかなりの偏屈者で、例えば「ファミコンがほしい」と言って、兄弟3人で2年がかりでファミコンダンスを踊りながら必死にアピールして、いざ買ってもらったらソフトがない。「ファミコンで何をしたいかは言わなかったよね」と言うような親父だったんです(笑)。でも、家に木材だけは溢れているから「オモチャは好きなだけつくっていいぞ!」って言うんですよ(笑)。“ないから諦める” のではなく、 “つくれるものは自分でつくる” という環境で育ちました。

●学生時代は、何をされていましたか?
ずっと空手をやっていました。裸足で町なかを走っている姿がカッコ良すぎて、それではじめて(笑)。しばらく続けていたんですが、徐々に横ノリになってきて、スケボーやスノボー、いつからか音楽もはじめて。DJは15年ぐらいやっていて、地元で開催していたイベントに(K5のプロジェクトで合流する)本間さんが遊びにきてくれていたことを、あとに知ることになります。
地元の大学に在籍しながら東京に出て違う学校に通ったりしていたのですが、卒業と同時に親父が他界してしまって、何もわからないまま会社の代表になりました。そして実家に戻ったのですが、一週間後に唯一わかったのは、莫大な借金が残っていたことでした。なので、20代はカッコいい建築とか言ってられず、道路のガードレール補修や襖(ふすま)の交換まで、1円でもお金を返すためにとにかく毎日必死で働いて、30歳ぐらいで無事返済しました。

●借金を返済する日々で、やりたいことが徐々に蓄積されていったのかもしれませんね。
大学で建築を学ばせてもらったのに、フラストレーションが溜まっていたんでしょうね。夢を諦めなければいけない20代あったから、土木の技術を使って建築を考えることができるようになったので、いい経験だったなと思っています。

●その頃のことが、いまにつながっていると思いますか?
いま、20代によく仕事を受けていた「住宅」からは少し距離を置いているんです。一人の生涯年収の約33.3%をもっていくモノに対して責任が負えないと感じてしまったから。「住宅」を建てて幸せをつくることはできても、その33.3%が空き家になったり、廃墟になることもある。子どもが大学に行ったら部屋が空くし、家族が他界したら家が空く。メンテナンスにもお金がかかるし、35年ローンを組んで大丈夫かな……と。もちろん、つくる時はみんな情熱をもってつくるけど、そういうことが66年間「住宅」をやってきた会社で見えてきた。最初から不計画なままにつくってしまっては健康なものはできないし、むしろ「住宅」をつくることが足枷にもなり兼ねない。いずれ、「住宅」に戻ってこようとは思っていますが、いまはその仕組みを考えているところです。

●「住宅」から離れるというのは大きな選択だったかと思いますが、これまでの仕事でターニングポイントになったようなプロジェクトはありますか?
たくさんありますけど、K5もそのなかのひとつです。このプロジェクトを通して “自分たちでつくるものは、自分たちで設計したい” と強く感じることができたからです。そのほうが愛着が湧くし、そのためにこの会社はあるんだとわかったのは大きかったです。今後の自分の方向性を定めてくれた、ひとつのきっかけになりました。

●愛着が湧くというのは、すごくよくわかります。編集にも同じことが言えますね。
いま、ADXチームが目指す方向性がわかるプロジェクトには、どんなものがありますか?

ADXは「森と生きる。」というフィロソフィーがある会社で、指針としては2つあります。いま、世界中の過酷な自然のなかで安全に滞在できる建築をつくるプロジェクトをやっています。ここ最近、自然がどんどん遠のいてしまっています。それは、日本だけでなく世界中がそうで、都市への一極化がひとつ問題としてある。でも、自然のなかには教えがあるし、自然があることで生かされていることも事実。そこで自然とともに生きるための建築をもう少しいろんな人たちに届けたいという挑戦がひとつ。そして、建築が完成することで森の新陳代謝が改善され、より森を生き生きと循環させていくこと。その両輪をやりたいと思っています。
実は「EARTH WALKER」という独自の新しい建築プラットフォームを今年4月に発表しました。世界中の過酷な自然のなかで安全に滞在できる建築をつくるというプロジェクトで、現時点では構想段階の高機能コンセプトモデル「サミットシリーズ」と、森や湖畔など都市からアクセスしやすい場所に適した「カスタムシリーズ」で構成されます。
自然とともに生きるための建築をもっと多くの人たちに届けたいと思い、2024年内に軽井沢や奄美大島で、このシリーズの建築が出来ていく予定です。

●K5でも「自然」がキーワードになっていますが、一口に「自然」と言っても、都市にはさまざまな形がありますよね。人間の活動を見据えた上で、東京に限定して言うとすれば、そのあたりをどう見ていますか?
都市は最大の実験場だと捉えることができると思います。スクラップ・アンド・ビルドで描いたものを形にして、人が入らなければとり壊す。この循環を経てみんなが気づきはじめたのは、「余白」の部分。ビルのような無機物に囲まれるなかで、生き物や植物のような有機物が傍にほしくなった。植林、水耕栽培、壁面緑化、屋上菜園。いろいろな多様性が都市に入り込むという意味では、コンクリートジャングルから多様性のあるジャングルへと変化している。K5もそんな実験場で、それを続けていく力があるのが都市なんじゃないかって。

●都市での実験は繰り返されますが、なかには都市から自然へと向かう人もいますよね。
都市に疲れて田舎に行く人もいれば、逆に田舎に疲れて都市に来る人だっている。ないものねだりなところがあるので、新しい住み方を模索していけばいいと思っています。都市から離れて山のなかにエスケープしても、また都市に戻ってしまう。逃れられないのが都市だからこそ、この実験場をどうやってより面白いものにしていくか、住みやくしていくのかが期待されているのではないでしょうか。

●自然にリーチすることで感覚がアップデートされることがあるとすれば、自然のなかにある建築物で過ごすことで都市にもち帰れる感覚が備わるかもしれないですし、人々の生活をよりアクティブにする装置として建築が機能することで、新たな視点が生まれるような気もします。裸足で駆けまわる空手キッドもいれば、当たり前に靴を履いている都市生活もある。でも、真夏のアスファルトの上を裸足で歩くことはできない。そういった私たちにとっての “当たり前” を少しずつ取り除いていくことで見えてくる都市の景色があるのかもしれません。
僕たちは建築で“人だけではない視点をもつ”ことを大切にしています。靴を発明した人間だからアスファルトを発明することができた。でも、タヌキやキツネはどうか。山のなかの建築も一緒で、人間から見たらカッコいいかもしれないけど、“シカから見たらどう見えるか” をものすごく考える会社なので、そこに可能性を感じるし、だからこそ面白いことができる。だから、山のなかの建築を考えるときは、雨、雪、風、光、動植物にとって何がどう映るのかを考えていく。そうやって関係人口を増やしながら多くを巻き込んでいくんです。シカに優しくすることで、人にとっても優しくなる、沢の水がきれいになるかもしれない。正解はまったくないけど、そうやって拡張していくことで “当たり前” を壊していくことができる。

●自然には厳しさがあるけど、それだけ自由が広がっているし、都市にはルールがあるけど、実験できる体力がある。その両方をバランスよく行き来することで新たな建築の形が見えてきそうですね。都市でも、もっと視野を広げて柔軟な姿勢でいることが大事なのかもしれません。
この部屋に何気なく置いてある植物は沖縄で育てられていたのに、ここに引っ越してきたんですよ。いま、この場所で生きられるかという実験対象として、ここで枯れないかどうかを試されている。植物というのはしたたかで、人間に運んでもらって、ここで受粉して窓から種を運ぶことができたら、子孫を繁栄させるという役目を果たせる。まんまと利用されているのは僕たち人間のほうで。

●確かに。利用しているつもりが、いつも水をあげさせられてますからね。視点を少し変えるだけで、世界の見え方が変わるものですね。
シカがもし僕らがつくった建築に感想を述べるなら、どんなことを言うだろうか。そんなことを想像するだけで、いままで考えてもなかったことが生まれるから楽しいですよね。

安齋 好太郎

安齋 好太郎

Kotaro Anzai

1977年、福島県生まれ。二本松市で祖父の代より66年続く安齋建設工業の3代目として家業を引き継ぎ、2006年にLife style 工房 安齋建設工業を設立、CEOに就任する。以降、数々のプロジェクトに携わりながら、2019年、株式会社ADXに社名を変更。ADXは、故郷の山である安達太良山(あだたらやま)に由来する。「森と生きる。」をフィロソフィーに掲げ、多角的な視点から建築というアプローチで国内外問わず、自然と共生するサスティナブルなプロジェクトの建築、設計に携わる。代表作に「五浦の家」「One year project」「K5」「KITOKI」「SANU 2nd Home」などがあり、『ウッドシティTOKYO モデル建築賞』では最優秀賞(知事賞)、『ウッドデザイン賞2022』では最優秀賞(環境大臣賞)など、受賞歴も多数。都市と自然を行き来しながら、モノづくりの根本を見つめている。

text : Jun Kuramoto

photo : Naoto Date

interview : Daisuke Horie