●美容師としてこの業界に入ったのはいつからでしたか?
美容師として仕事をはじめたのは、22歳の時でした。本来であれば18歳で専門学校へ入って20歳でお店に立つという流れになると思いますが、当時、大阪の専門学校に通いながらどうしても入りたい神戸の店舗があって、そこに就職しようと思っていたんです。でも、結局入ることができなくて、自分が納得のいくお店じゃないと働きたくなかったこともあったので、とりあえず距離を置くために地元の熊本へ戻り、まったく異なる業種でアルバイトをしていたんです。ただ、美容師になることだけは決めていたので、どうせやるならと、2年後に表参道の店舗に立つために東京へ。
●そうだったんですか。ちなみに、熊本での学生生活はどのように過ごされていましたか?
熊本には古着屋がたくさんあるのですが、とにかくファッションが好きで、高校で出会った仲のいい友人3人といつも一緒に町に繰り出しては、アメリカのカルチャーを追いかけながら古着屋などに通っていました。店員のオシャレなお兄さんからいろんな情報を教えてもらいながら、とにかくカッコいいと思うことを追求していた日々でした。
●そもそも、福田さんが美容師を志すきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは、完全に『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』の影響です(笑)。僕らの世代はもうドンズバ。それが高校1年生の時だったので、16歳からずっと憧れていましたね。毎日雑誌を切り抜いてはスクラップブックにしたりして。
●就職したかったという神戸にある店舗の試験はどのような内容でしたか?
面接自体は普通で、この場所で働きたい理由やどういう美容師を目指したいかを聞かれるんです。実技じゃないですけど、実際に担当者についてアシスタントとして振る舞わなくてはならなくて。まだ直接お客さんに触れられるわけではないし、3人同時に面接していたので競いながら仕事を探すわけですよ。床が汚れてるから掃きに行った方がいいかも、でも、いま持ち場を離れたら怒られるかもしれない……という感じで常に先をイメージしながら最終試験まではいったのですが、その日は僕だけファッションが浮いていて。発色のいいヴィンテージクローズを着ていたのですが、みんな控えめなモノトーンなんですよね。あれ? 何かが違うぞって(笑)。それで落ちたとは思ってないんですけど、残念ながら採用されませんでした。
●美容師はコミュニケーションが求められる仕事ですよね。その街を訪れる不特定多数の人たちと友達よりも近い距離感で会話をして。だから、髪を切って身だしなみを整えるだけではなく、同時に集まってきた情報からその街の姿が見えてくるような気もしますよね。先ほど、はじめて美容師として立たれたのは表参道だとおっしゃられていましたが、当時の福田さんが抱いていた表参道のイメージと店舗に立って浮かび上がった街の姿にギャップはありましたか?
やはりギャップはありましたね。とにかくオシャレでカッコいいことが好きで熊本から表参道を目指して出てきたのですが、僕のイメージで接客してもなかなか上手くいかないんですよ。悔しくて泣いた日もありましたし、もう辞めたいと思ったことも一度だけありましたけど、親父の反対を押し切って上京してきたので、とにかくガムシャラに続けていました。誰よりも早く出勤して、誰よりも遅くまで働き、休みの日はモデルハンティングもして。一方通行のコミュニケーションでは単なる独りよがりだということに気づくまで、3、4年はかかりましたね。
●何かコミュニケーションを見直すような出来事があったのでしょうか。
具体的な出来事があった訳ではなかったのですが、オーナーに日々の接客のなかで相手の目線に立つということを叩き込まれていたんでしょうね。言葉、仕草、笑顔、それが何のきっかけだったかわからないのですが、このままだとダメだと振り切れた瞬間があって。接客する上で自分のカラーを出すのではなく、ニュートラルな姿勢でフラットに接することができるようになってからは仕事が楽しくなりました。
●ニュートラルに接客するなかで、当時の表参道はどのように目に映りましたか?
表参道の人たちは、ファッションも生きる姿勢もみんな尖っていましたね。自分を表現するためにほかの何にも属さないオリジナリティ溢れる人たちが集まっていて、そんな個性が集まる街だったからこそ、ニュートラルでいることの重要性が余計に問われたのかもしれません。だけど、それがあったからか、徐々に街の姿が見えるようになってきて。その積み重ねが基盤となっていまにつながっているんだと思います。最終的に表参道の店舗では15年間働いたのですが、すごくいい時代を見ることができたと思っていますし、そこでオーナーさんに出会えたことが僕の美容人生の原点になっています。
そもそも表参道の店舗へは飛び込みだったのですが、拾ってもらえて本当に感謝ですよね。この間、そのオーナーさんのところへやっと挨拶に行けたんですよ。「KABUTO SALON」ができたので、その報告にと思って。「福ちゃん、元気なのー?」って喜んでくれました(笑)。
●それはオーナーさんもすごく嬉しかったでしょうね。でも、どうして表参道の店舗を辞められたのでしょうか?
ずっと独立したいと思っていたんです。当時知り合った美容仲間と一緒にお店を立ち上げる機会があって、それなら同じ表参道でやるよりも、これまでに感じてきた表参道のカルチャーや感覚をほかの街に落とし込んだ方が面白いだろうと、東銀座に店舗を立ち上げて。そこでは店長として新たな表現にチャレンジしていました。
●兜町に移ってこられたのは、どういった経緯からでしたか?
東銀座の店舗は4年間やっていたのですが、自分のお店を出したいと考えた時に、兜町にはK5があったりと、この周辺で出店出来たら最高だなと思い物件を探し出しました。しかし美容室ができる水道や電気のスペックを兼ね揃えた物件がなかなか見つからなくて。その時に、K5の植栽メンテナンスをしている、昔からの友人に「兜町にいい物件ないかな?」なんて聞いてみたんです(笑)。そしたら、そこからいろいろと繋がって紹介してもらったのが、いまお店をやっているこの物件だったんです。
●引き寄せられるような出会い方ですね(笑)。でも、そもそも兜町という街を知っていましたか?
東京証券取引所がある金融街のイメージはありましたが、行っても日本橋止まりだったのであまりよく知らない街ではありました。はじめて兜町に行ったのは、K5ができてからだったので。それで、紹介していただいた物件を見たら、「カブト理容室」という60年続いた理髪店だったので、もうこれは! とバチっとはまりましたよね。即決でした。
兜町との出会いは本当にご縁を感じるというか。この物件をご紹介いただいた経緯もそうなのですが、実は偶然、兜町の街づくりに携わっているメディアサーフの松井さんが東銀座でお店をやっている時にお客さんとして来てくれたこともありました。
●そうだったんですか? それもすごい偶然(笑)。
人と人がつながっているということを身をもって感じましたね。点と点が線になっていく状況というか。
「カブト理容室」は、2021年にお店を閉めたみたいですが、驚いたのは、当時のレジや赤と青のサインポールが時が止まったように全部残っていたこと。高齢のご夫婦でやられていたそうで、何か形に残したいと思い、写真を撮ってお店に飾っているんです。
●こうやって写真を眺めると、すごく歴史を感じますね。客席は一席と潔い空間になっていますが、一対一というのは実際のところどうですか?
表参道、東銀座、とこれまで席数の多い環境で働いてきましたが、一対一の接客というプライベート空間は、リラックスできる非日常的な時間を提供してくれますし、ひとりに集中して向き合えるというのは僕にとっても心地良くて。特別な時間を提供できているからか、ついついプライベートに踏み込んだ話までしてくださる方もいらっしゃるぐらいなんです(笑)。「カブト理容室」は4席あったみたいなのですが、それだけこの場所に心を預けられるという意味では、一対一に振りきって良かったと感じています。
●「カブト理容室」が眺めてきた兜町の街を、今度は「KABUTO SALON」として引き継ぎ、眺めていく。これ以上の文脈はないかもしれませんね。
そうですね。やはり「カブト理容室」が60年間この街を鏡越しに見てきたように、「KABUTO SALON」もそれを引き継いで、これからの兜町を見ていかなくてはならない。それがこの歴史的な物件に入った意味でもありますし、その意味で屋号に “KABUTO” を継承しているんです。
●まだ日は浅いとは思いますが、「KABUTO SALON」にはどのようなお客さんがいらっしゃいますか?
会社員や主婦、子どもからご年配の方まで、性別、年齢関係なくご利用いただいています。遠い方は静岡から通ってくれている方もいるんですよ。兜町という街の体質なのか、プライベート空間を実感して利用してくださる方が多い気がしますし、個人商店を応援してくれているような雰囲気が会話からも伝わってくるんです。それは、表参道や東銀座ではできないことだとも思うんですよね。家賃問題もそうですし、大資本が入るとどうしても個人が入る余地がなくなってしまう。でも、そういう余白を残してくれているのが兜町だと思うんです。人にフォーカスしている街ってどんどん少なくなってきているし、それを維持し続けていくというプライドがインディペンデントなお店同士にはある。この街は、個人が肩を組んでつながることを応援するような空気に溢れているんですよね。
●兜町には、証券取引所という勝負の場という意味でも、験担ぎとして身なりを整えるカルチャーがあったわけじゃないですか。それもまた面白いですよね。
「カブト理容室」もまさにそうだったみたいです。ここで髪を切って、隣の喫茶店でコーヒーを飲んで、とか。Omnipollos TokyoやHuman Natureも昔は鰻屋でしたし、鰻を食べて験を担いで証券取引所に行く。それで、いい仕事ができたらスーツを新調するというので、兜町には仕立て屋さんも多かったみたいなんですが、そういう流れをまたこの場所でもつくっていけたらいいなと思っています。
●これから「KABUTO SALON」をどんなお店にしていきたいですか?
商店街の八百屋さんや魚屋さんもそうですけど、家賃がどんどん上がって圧迫されているなかで大型スーパーができて、結局みんなそこで買い物をしているんですけど、本当に望んでいるものってそういうことじゃないんじゃない? ということを表現できているのが兜町という街だと思うので、人の顔が見えるようなオーガニックな人づき合いを僕はハサミを通してやっていきたいですし、体力が続く限りこの場所で兜町の街を見続けていけたらと思っています。変わっていくモノもあれば、変わらなくていいモノもある。ここでは変わらないモノを大切にしていきながら、その時々の気分に寄り添い、お客さんの日々の生活を少しでも豊かなものにするという目標を持ちつつ、どこまでいっても“街の美容師さん”でありたいですね。
福田 剛広
Takahiro Fukuda
1981年、熊本県生まれ。学生時代より美容師を目指し、22歳で表参道にてキャリアをスタート。その後、東銀座で立ち上げた店舗では店長を務め、人とのつながりから偶然にも兜町に引き寄せられると、60年続いた歴史ある「カブト理容室」を引き継ぎ、2024年に「KABUTO SALON」を開業。一対一のリラックス空間で街の美容師として日々ハサミを通し、街を見続けている。
Text : Jun Kuramoto
Photo : Naoto Date
Interview : Daisuke Horie
福田 剛広
KABUTO SALON 店主
齋藤理恵子さん
TOUCA
兜町の気になる人
BANKのすぐ近くに今年の2月に実店舗をオープンしたお花屋さんなのですが、ショーウィンドウから覗くお花がすごく素敵なんです。ここのスタッフさんもよく髪を切りに来てくれますし、フローリストとしてインディペンデントに活躍されているので気になっています。