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守屋直記
守屋直記

2026.04.13

守屋直記

勺勺(シャオシャオ) オーナー

台日フュージョン料理が滲ませる界隈性
餃子がもつ万有引力は文化の隙間をそっと包み込む

日本、中国、台湾をはじめ、トルコ、ポーランドに至るまで、世界各地で親しまれている料理のひとつに「餃子」がある。一見するとどれもよく似たかたちをしていながら、その味やスタイルなど、食べ方は土地ごとにさまざま。焼き、蒸し、茹でる。主食にもなれば、祝祭の席を彩るごちそうにもなるその一皿は、まるでそれぞれの都市に息づく文化そのものを皮で包み込むかのように、人々を円卓へと誘う。

そんな料理の不思議な力を肌で感じることができるのが、兜町の目と鼻の先、茅場町に店を構える守屋直記さんの台日フュージョン料理店「勺勺(シャオシャオ)」だ。同店では、彼がこれまで建築やアパレルの分野で培ってきた視点を通して飲食業を再解釈し、料理を“場”へと拓いている。文化を纏った料理が人を呼び、人が交わることで街に新たな風景が立ち上がる。そんな可能性を信じて、都市の余白にコミュニケーションの灯りを灯そうとする守屋さんに、これまでの歩みを振り返っていただきながら、兜町という街での役割について訊いた。

●守屋さんは東京と岡山で餃子世界という餃子専門店を展開されていますが、学生時代から飲食の道を志していたのでしょうか?

大学時代は早稲田大学の社会環境工学科で建築を学んでいまして、主にランドスケープなどの公共空間デザインを研究していました。そもそも早稲田に入ったのは、高校時代から地元の岡山でずっと続けてきたサッカーのためで、国体にも出ていたくらい本気でプロの選手を目指していたんです。ですが、残念ながら大学では体育会サッカー部のセレクションに落ちてしまって。せっかく上京してきたのにと嘆きながらも、絵を描くことやモノづくりが好きだったことを思い出し、2年目からはサッカーの道を諦めて建築やアートに興味を持って、東京のカルチャーを存分に浴びながら大学生らしい生活を送っていましたね。

●空間デザインと言うと、具体的にはどのような分野を専門に研究されていたのでしょう?

都市開発や都市デザインを主題とした研究をしていたのですが、具体的な研究対象地としては岐阜県恵那市にある街を舞台に、時代の煽りを受けて廃れてしまった宿場町や商店街をどうやって活性化させるかを研究していました。私は倉敷市の出身なので、美観地区のなかにある大原美術館にもよく通っていて、紡績会社の社長である大原孫三郎がその資産でアートを買い、蔵屋敷と一緒に保存したことで街一帯がブランディングされていきました。その影響から、Benesseを立ち上げた福武總一郎も産業廃棄物の終着点となっていた直島や豊島を開発し、現代アートの力で瀬戸内のロケーションをその背景ごと全世界へと発信していきましたよね。こうした街の背景を岡山の歴史として見て育ったからか、いつの間にか都市デザインというものに心惹かれていたのかもしれません。

●卒業後はどのような会社に就職されましたか?

アパレル企業に就職したのですが、そこの社長も現代アートを買っていて、膨大なコレクションを保有していたんです。なので、新卒として最初に携わったのは、そのアートを管理する仕事でした。その後はアート財団の立ち上げまでやり、ビエンナーレのような大きなアートイベントもやるようになりました。それからは学芸員のようなプロも社内に増え、これはもう僕の出る幕ではないな、と起業を決意します。

餃子って母親とつくったり、誰もが親しみのある料理じゃないですか。

●それではじめられたのが、餃子世界。

というわけです。飲食業は一度もやったことはありませんでしたが、人が集まる空間をつくるなら一番ハードルが低いだろう、と過信してはじめたところがありました。餃子って母親とつくったり、誰もが親しみのある料理じゃないですか。お酒も進めば客単価もいいだろうし。それで岡山の一番最安値のスナックを居抜きで借りて、2017年に餃子と音楽をコンセプトに餃子世界をはじめたら、結構流行ったんですよ。音楽だけでなく、2Fではアートの展示もやりながら、餃子を食べに来た人に若手作家さんを知って帰ってもらったり。そんなことを考えながらひとりでお店を切り盛りしていたんです。

●地元・岡山にお店を構えられたのは、やはり先ほどの大原美術館や直島の話の影響も大きかったのでしょうか?

いや、そんな狙いは正直ありませんでした。働いていたアパレル会社の創業が実は岡山で、その東京支社で広報部として働かせていただきながら、社長の資産管理としてアートに触れていたのですが、なぜ社長がアートをそんなにコレクションしていたかというと、バブル以降で荒廃した岡山の昔の街並みという社会課題の解決策として、アートをカルチャーエリアにある美術館を中心に、飲食店など、街の至る所に点在させることで人々を街へと回遊させることを狙っていたからなんです。それで、社長から「君は岡山出身で、私の集めているアートにも精通しているんだから、今度は岡山の街を盛り上げてきなさい」と言われ、岡山市と民間企業がタッグを組んではじめた芸術祭の担当になり、アートのキュレーターというよりは運営リーダーとして東京と岡山を行き来するようになりました。

安定を捨てて起業するというのは、思った以上に大変なことでした。

●正直、仕事を辞めるのはハードルが高かったのでは?

そうですね。安定を捨てて起業するというのは、思った以上に大変なことでした。ただ、岡山で地元の同級生たちと飲みの席でよく話していたんですよ。「おれ、そろそろ起業するから」と。サッカー一筋でしたけど、親には私立大学に入れてもらいましたし、まわりの同級生たちよりも東京のいい大学に進学したはずなのにアパレルの仕事をしていて、気づけば工場やメーカーで働いている同級生のほうが給料が高くて。そんな状況から年々焦りを募らせ、ただの口だけ野郎にはなるまい、と自分を追い込んで辞めたんです。

●実際に仕事を辞めてみて、世界は変わりましたか?

すごく変わりましたね。会社を辞める数ヶ月前にはスナックの物件を借りていたので、毎週休日になると脱獄するかのようにオフィスから居抜き物件へと掃除に赴き、友人を集めては、缶ビール片手に20年溜まった床の油を爆音の音楽とともに洗い流したりしていました(笑)。なので、仕事を辞めてから2ヶ月で餃子世界をオープンしたんですよ。店はほとんどDIYでつくったのですが、大きな内装工事が省けることも餃子のひとつの強みでした。

餃子をコンテンツにアパレルのPRのやり方で店をやったら流行るかな、という狙いはありました。

●先ほどは餃子と音楽というお話をされていましたが、餃子世界のコンセプトは最初から固まっていたのでしょうか?

餃子をコンテンツにアパレルのPRのやり方で店をやったら流行るかな、という狙いはありました。いまでこそ飲食も一眼レフのカメラで一品ずつきれいに写真を撮ることは珍しくなくなりましたけど、コロナ前は、そういった情報発信をSNSでやっていたのはアパレルくらいでした。僕もアパレルの仕事をしながらPRやクリエイティブに携わっていたので、同じように友人にモデルになってもらって餃子を撮影をしたり、グッズをつくったりしていました。とは言え、はじめての飲食業だったので、有識者の意見も伺いつつ、日々勉強しながら徐々に整えていったという感じでした。その調子で今度はタイや台湾などのアジアン大衆食堂をやったら面白そうだなと、2019年に岡山市内に2店舗目をオープンさせるのですが、そんな矢先にコロナが来てしまい……。

●コロナ禍はどのように生き延びましたか?

所謂「まん防」に則って、営業できる時間に細々と営業しながらテイクアウトに力を入れていたのですが、固定費が安かったこともあり、何とか続けることはできました。そんな時に神楽坂でシェアキッチンをやっていた大学時代の先輩から「守屋、東京で店やりたいって言ってたよね?」と連絡をもらったんです。その先輩も同じ研究室だったので、コミュニティスペースのような場所をやっていたんですが、僕も30歳までには自力で東京に戻ると思っていたので、これはいいチャンスだ、と間借りさせてもらうことになりました。

もうこの水道橋の店にかけるしかない、と完成までその物件の地下で寝泊まりしながら、何とかその年の暮れに餃子世界をオープンさせることができました。

●それから神楽坂に餃子世界東京をオープンさせた。

2021年の4月でした。コロナ真っ只中で使い途もないからと、半額の家賃で借りていたのですが、そのまま営業してもお客さんは来てくれないでしょうし、まわりからの目も厳しい時期。会員制で営業してみようと、インスタグラムをフォローしている方のみ入店できるようにしたんです。すると結構お客さんが来てくれたのですが、閑静な立地だけに目立ってしまい、結果、先輩にも迷惑をかけてしまって……。でも、その物件から出ていくことと引き換えに補助金はいただけることになり、東京の店舗に集中するために休業していた岡山の2店舗分の補助金とあわせてできた資金を元手に、アパレル時代に住んでいた水道橋で偶然見つけた地下付き物件で再度、移転して餃子世界東京を作ることを決めたんです。

●水道橋の餃子世界の完成に、そんな経緯が……。

ただ、水道橋の物件の改装準備中に餃子世界1号店が火事になったと岡山から連絡を受けたんですよ。急いで新幹線に飛び乗って岡山へ戻ると、店が全焼して真っ黒に……。火元は裏の店舗だったのですが、その一帯が10軒丸焦げになったことで全国ニュースにもなってしまって。本来であれば、この時点で3店舗になっていたはずが、コロナの影響もあり実質0店舗に。もうこの水道橋の店にかけるしかない、と完成までその物件の地下で寝泊まりしながら、何とかその年の暮れに餃子世界をオープンさせることができました。

●生活をつなぎ留めることができて、よかったです。でもギリギリでしたね(笑)。

黒焦げになった1店舗目は、のちに餃子世界を街に誘致したいと言ってくれた不動産屋さんから安い物件を紹介してもらい、ありがたいことにクラウドファンディングを立ち上げて、無事達成、2023年3月に再生することができました。

そんなことを考えていた時に、日本と中国のハーフの友人にアドバイスをもらったんです。「日本の餃子ってマンネリ化しているし、日本人がつくる中国式の餃子をつくってみたら?」と。

●それだけ街の人々の憩いの場になっていたんでしょうね。ところで、起業当初の話に戻るのですが、餃子世界で出されている餃子というのは、どのように開発されたのでしょうか。

まず餃子をはじめたのには、いろいろな理由があるんです。餃子はシェアしてコミュニケーションを取りやすい料理ですし、焼き餃子、水餃子と種類も豊富。それに餃子だけ頼むのではなく、ほかにも副菜やお酒も一緒に頼むので、客単価も高い。そんなことを考えていた時に、日本と中国のハーフの友人にアドバイスをもらったんです。「日本の餃子ってマンネリ化しているし、日本人がつくる中国式の餃子をつくってみたら?」と。そうは言ってもレシピがわからないなと悩んでいたら、餃子づくりが上手いという彼女の叔母が中国のハルビンに住んでいるから、日本に来るタイミングで連絡をくれると言うんです。

●どんな餃子なのか気になります。

ただ、そんなにタイミングよく日本に来ることあるのかな? なんて起業間近で焦っていると、彼女の弟が骨折して、ハルビンからその叔母さんが来日することになったんですよ。不謹慎ですけど、これはまたとないチャンス、と叔母さんを少しお借りしてスーパーへと連れ出し、友達が倉敷でやっていたレストランの厨房で餃子をつくってもらいました。こうして薄皮の日式餃子に加え、ハルビンの叔母さんから教えてもらった厚皮の家庭寄りの水餃子、ほかにももともと北京の中華店で餃子をつくっていて、好きで通い詰めていた倉敷の中華居酒屋の女将さんから教わった北京式焼餃子、それに事前に出したいと研究していた海老餃子も蒸しと焼きの2種類を用意してバリエーションを増やし、そのラインナップにアジアのビールを揃えて餃子世界をスタートさせました。

●一口に「餃子」といっても、お母さんの家庭料理から創作的なものまで、かなりのバリエーションがありますよね。

それだけに追求しがいがありましたね。餃子世界では9年経ったいまでも、これらの餃子のレシピを変えることなく提供しているんですよ。倉敷の中華居酒屋は你好(ニイハオ)というんですが、毎日修行のような日々だったので、女将さんにも僕の熱意が伝わったんだと思います。

カルチャー色の強い人たちが、面白くて洗練された内装の店に集まっている。そんな場所からお声がけいただいたら、それはもうやるしかないな、と(笑)。

●勺勺のオープンについては、どのような経緯で?

水道橋の餃子世界を続けていたら、あるとき「お店を頑張ってるね」と、そのビルのオーナーさんから隣の店舗もやってほしいとオファーをいただいたことがあって。当初は餃子世界を拡大させようとも考えたのですが、ビストロによく通っていたこともあり、何か別のことをやりたいなといろいろ考えた末、岡山出身の友人から「最近フラフラしてるシェフがいるから、守屋に紹介したい」と連絡をもらったんです。それで、何の気なしにそのシェフがポップアップで出していた料理を食べてみたら、それがめちゃくちゃ美味しくて。すぐに彼のお店をやろうと口説き、そのシェフの田上陽平という名前からとった「陽食」というクラシックな洋食とビストロを掛け合わせた洋食店を餃子世界の隣にオープンさせました。すると、その店に平和不動産の方がフラっと立ち寄ってくれたみたいなんですよね。なので、2024年の暮れに茅場町の物件でお声がけいただいたのが直接の経緯になります。

●このプロジェクトは分解できる仕組みをもつ建物「prewood」を建てるところからはじまっているんですよね。

建物からつくると聞いて、これまで携わったことのないほど大きなプロジェクトだぞ、と契約金も確認しながら内心ビビっていたのですが、プレゼンテーションは隔週1回くらいで続けていきました。

●プレゼンテーションのために兜町に通われたようですが、街の印象はいかがでした?

実は、以前から兜町には餃子世界としてイベントをするために何度も来ていたんですよ。餃子と音楽でやっていたので、B by the Brooklyn BreweryやOmnipollos Tokyoで一緒にイベントをさせてもらって。当初は外から来たのに相手してくれるのかなと思っていたのですが、兜町の人たちがみんな僕に興味をもってくれたので、単純に楽しませてもらいました。イベントも盛り上がりましたし、関われるなら関わりたいと思っていた日本橋のイメージがすっかり変わりました。カルチャー色の強い人たちが、面白くて洗練された内装の店に集まっている。そんな場所からお声がけいただいたら、それはもうやるしかないな、と(笑)。

もし僕がオフィスワーカーで兜町や茅場町を訪れたときに何が食べたいかなと考えたら、中華料理は多いのに台湾料理がないことに気がついたんです。

●勺勺では、どのようなメニューを展開されていますか?

餃子世界を東京ではじめてからポップアップで出会った、台湾料理家のウ・ファンユーさんに監修していただきながら一緒にメニューを考案していて、メニューとしては「魯肉飯(締めルーローハン)」「山椒ラムシウマイ」をはじめ、お酒が進む冷菜なども多数ご用意しています。彼女は兜町界隈でもよくポップアップをしている方だったので、親和性もありましたし、台湾の食文化にも精通した方なんです。それだけでなく、服飾の学校を卒業され、今も台湾のテキスタイルデザインのブランドのお仕事もされているので、僕とも似たバックグラウンドをもっている方でした。

●先日台北に行ってきたのですが、本場の台湾料理が思った以上に甘くて驚いたことがあって。そのあたりは日本人に寄せた味覚の調整もされたのでしょうか。

ウさんは日本に来て9年ほど経つのですが、日本の居酒屋文化も大好きで、日本人の胃袋を上手に掴む絶妙な台湾料理をつくってくれるんです。僕もその料理に惚れてしまったひとりなのですが(笑)。おっしゃる通り、本場の台湾料理って日本人にとっては少し甘すぎたりもします。なので、台湾の伝統的な製法でつくった、日本の新鮮な食材を使った台日フュージョン料理を提供するなかで、例えば、コース料理として通しで成立するか、など全体のバランスをしっかり見させていただきました。甘辛い料理が立て続けに出てきたら、やっぱり飽きてしまいますよね。なので陽食の田上シェフにも時々食べてもらいながら、意見をもらっています。

●ところで、台湾料理に特化されたのには、理由はあるのでしょうか?

台湾料理以外にも考える余地はあったのですが、もし僕がオフィスワーカーで兜町や茅場町を訪れたときに何が食べたいかなと考えたら、中華料理は多いのに台湾料理がないことに気がついたんです。クオリティの高い台湾料理が食べられたら絶対行くだろうな、と。それでウさんに相談してみたら、「台湾料理はこれまで実店舗でのレシピ開発はあまりやってこなかったけど、守屋さんとはこれまで何度も一緒に仕事してきたし、信頼関係もあるから実店舗に挑戦してみてもいいかも」と了承してもらえて。

この場所に声をかけていただいたのは、偶発的な出会いやコミュニケーションを料理の力でつないでいく役割を期待してもらったからだと思っています。

●勺勺をオープンしてから数ヶ月が経ちましたが、この店をこれからどのような場所にしていきたいですか?

この場所に声をかけていただいたのは、偶発的な出会いやコミュニケーションを料理の力でつないでいく役割を期待してもらったからだと思っています。なので、これまで餃子世界で培ってきた経験を活かしたイベントもやっていきたいですし、そのために良質な音響機材も現在進行形で集めています。もうすぐオープンしてから半年が経ちますし、そろそろ店の印象も決まってくるころ。いま与えられている環境と僕たちのこだわった部分をうまくブランドとしてまとめるために、店内空間にも植物を這わせたり、照明のトーンを緩くしたり、白壁を活かしてアートを飾ったりと、料理に集中しながらも店内の印象を徐々に変え、この店を少しディープで愛着の湧く空間にしていきたいですね。

●イベントもまた仕掛けていくわけですよね?

音楽で言うと、Omnipollos TokyoやHuman Natureとも連動できるようなイベントをやってみたいですし、景色(Keshiki)を利用してマーケットイベントをやっても面白そうですよね、地下のギャラリーでも展示したりして。店舗間が連動することで兜町や茅場町にも人が回遊してくれると思うので、そういったアクションを起こしていきたいと思っています。勺勺の2Fのテーブルは可動式でDJブースにもなるので、平日は団体予約を受けながら、週末はデートスポットに、夜はイベントスペースになったりと、さまざまな表情をつくっていこうと思っています。

●最後に、勺勺の名前の由来についても教えてください。

音が連続するように同じ漢字が2つ並ぶと面白いなと思っていたんです。台日フュージョンなので、台湾人も日本人も面白がれるような感覚を残しておきたかった。ウさんからいただいたリストのなかから“勺(さじ)”という文字を見つけたときは、これだ! と思いました。

勺には「ひとさじ」「すくう」といった意味があるので、“ひとさじのご飯をすくうように文化もすくい上げてほしい”という想いが込められているんです。あとはウさんがパンダ好きということもあり、シャオシャオいいね! ってなりました(笑)。

●兜町で守屋さんが期待している状況があるとすれば?

大学時代から建築を志した身としては、“場所に人が集まる機能をつくる”という視点はこれからも変わらない部分ですし、人に会いに行きたくなるような場をつくることこそが本質だと感じています。コロナ以降、証券マンたちの仕事帰りの飲み歩きが減り、にぎわいが薄れたことを兜町の課題と捉えるならば、金融街で働く人々とクリエイティブ領域の人々が自然に交差する風景をどうつくるかが鍵になるはず。お金に強い人と、クリエイティブに強い人の接点から新しい何かが生まれそうじゃないですか。いいクラブはあるのに、その手前に集まれる場所が街から抜け落ちてしまっては、勿体無い。それと同じで、そうした“文化の隙間”を上手くカバーすることが、街をより立体的で面白いものにしてくれるんです。勺勺は、そうした課題をコミュニケーションを通して自然に解決していけるきっかけの場として、この街に馴染んでいければいいなと思っています。

守屋直記

守屋直記

1990年、岡山県生まれ。高校卒業まで倉敷でサッカー中心の生活を送り、プロサッカー選手を志して上京。早稲田大学理工学部社会環境工学科へ進学すると、プロへの道は諦めるも、公共空間デザインに転向、かねてから興味のあった建築の世界へ。卒業後は、株式会社ストライプインターナショナルに入社し、東京と岡山を行き来しながら、アパレル業の傍らでマーケティング、広告、アートを中心としたイベントなどに携わる。2017年、自身初となる飲食ブランド「餃子世界」を岡山にて起業。2021年には紆余曲折を経て、東京・水道橋に「餃子世界東京」をオープンさせる。2024年、ビストロレストラン「陽食」で人気を不動のものとすると、2025年10月、満を持して茅場町に「勺勺」を完成。現在は6店舗を運営しながら飲食店をコミュニケーションの場と捉え、食 × 音楽を起点としたイベントを企画するなど、街における人々の有機的な接点を生み出し続けている。

Interview&Text : Jun Kuramoto

Photo : Naoto Date


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勺勺(シャオシャオ) オーナー

憲太朗さん

SR Coffee Roaster

兜町の気になる人

キャラクターも含め、この人に会いにいきたいと思えるような人が兜町にいるということが大事だと思っています。料理のプロフェッショナルもいれば、コミュニケーション空間をつくることを考える人もいる。僕は後者の人間なので、彼のような人が街にいるだけで、その場所を訪れる理由になると思うんです。