●そもそも内藤さんはどうして料理を志そうと思ったのでしょうか?
別に特別なレストランというわけではなかったのですが、大学時代に和食店でアルバイトをしていて、うどんを茹でたり、天ぷらを揚げたり、盛りつけしたりしながらそのなかのコミュニティにいることが楽しくて、卒業後も特に進路が決まっていなかったので料理の道に進もうと、埼玉を出て一年間東京の調理師専門学校に通ったのがきっかけです。
●以前、青山では言わずと知れたフレンチの名店であるL’Effervescence(レフェルヴェソンス)でスーシェフを務められていたと思いますが、どのような経緯で働いていましたか?
調理師専門学校に通っていたときに企業案内を見ていたら、オシャレでカッコいいと思えるレストランがあって、そこで働けることになったんです。CITABRIA(サイタブリア)というレストランだったのですが、一年半ほど働いていたときに、(現在、L’Effervescenceのエグゼクティブシェフである)生江シェフがフランスから帰国して、そのタイミングでCITABRIAがL’Effervescenceに変わったんです。なので、L’Effervescenceの面接を受けたわけではなくて、働いていたレストランがL’Effervescenceになったというわけです。
●L’Effervescenceではどのような仕事をされていましたか?
専門学校には通ったものの、料理をはじめたばかりだったので、火を使って調理するというよりは前菜の仕事だったり、できることからひとつずつやらせてもらっていました。
●仕事をしていて驚くような体験はありましたか?
これまで働いていたレストランからL’Effervescenceにモデルチェンジしてシステムが大きく変化したことはそうですが、キッチン内の共通言語が日本語から突然フランス語に変わったことが一番驚いたことかもしれません。テーブル番号、食材、調理の仕方や技術までフランス語で覚えなければならなかったので、まわりの仲間たちはフランス料理店で働いていた経験があって意外とすんなり受け入れていたんですけど、結構大変でした(笑)。なので、先輩が放った言葉を何とかメモして、それを倉庫で見ながら携帯で検索して調べていたこともありました。
●生江シェフとしては、フランス語でコミュニケーションを図ることに何か意図があったのかもしれませんね。
フランス料理の技術はガストロノミーの基準になっていたりするので、フランス語を習得することで世界中どこのレストランでも渡り歩けるというのがあったのかもしれません。
●そのような環境下だと、ひとりの料理人としての変化もあったのではないでしょうか?
ある時、生江シェフから「ひとつ料理を考えてみよう」と言われて、フォアグラ料理だったんですけど、その一皿を自分なりに考えるタイミングがあったんです。でも、ただ美味しい料理をつくるだけではなくて、日本の食材を季節やお付き合いのある生産者さんと組み合わせて一本筋が通ったストーリーを構築しなければならないのですが、その時に僕が考えたことに対して生江シェフが喜んでくれたことがあって。ただ、僕のアイディアだけでは実現できない部分もあるからと、「ゴールまで導いてあげるから最後まで一緒にやってみよう」と言ってもらったんですよね。これまでは言われたことを忠実にやり遂げることやレシピ通りに料理をつくることばかりしていたのですが、考えることが料理の面白さだと気づかされたんです。
●自分で考えて料理をするようになってからは、料理がもっと楽しくなっていった。
そうですね。実際に自分が考えたアイディアがお客さんに届いたかなとキッチンの外が気になるようになりましたし、お客さんの反応があるとそれがすごく嬉しくて。その感覚を味わってからは視野が広がり、もっと感覚的に料理することに頭が切り替わっていきました。すると、不思議とキッチンのなかだけではなくて、むしろキッチンの外で料理を考えることにもつながっていって、レストランを離れて外に食べに行ったときも頭のなかでこんな料理に使えそうだな、と訓練のように常に料理のことを考えるようになっていきました。
●内藤さんと言えば、やはり外苑前のモダンベトナミーズ、An Di(アンディ)のイメージなのですが、An Diへはどのタイミングで?
L’Effervescenceでワインのペアリングを担当していた大越基裕さんに声をかけていただいたのがきっかけでした。大越夫妻が自分たちのワインを持ち込んで旅行したベトナムで出会ったハーブとスパイスの香り、そして、そのワインとの組み合わせの面白さに気づいたことで、それを東京でブラッシュアップすることができれば面白い状況がつくれる、と声をかけていただいたんです。
●それでモダンベトナミーズというアイディアに行き着いたのですね。
元々は「アジア料理とワイン」というのがコンセプトだったので、最初からモダンベトナミーズと謳っていたわけではなかったのですが、L’Effervescenceで習得した技術を活かしながら日々営業するなかで徐々にAn Diが形づくられていったというのが正しい気がします。2018年当時はほかに似たようなレストランはなかったですし、エスニックと言うとローカルスタイルの料理を提供する店が多かったので、ワインとのペアリングでエスニックの創作料理が楽しめるというのは新鮮だったのかもしれません。
●料理のインスピレーションはどのように得ていますか?
先ほどお話しした通り、キッチンのなかというより外のほうが多いです。An Di時代は、レストランのすぐ近所で開催されているファーマーズマーケットに毎週のように通っていましたし、実際に農家さんの畑に行くこともありました。自分で歩いて眺める景色や農家さんとの会話のなかから頭のなかの引き出しにどんどん情報が溜まっていって、ふとしたきっかけでメニューが完成する、そんな感じなんです。マーケットを歩くことで、視覚だけではなくて季節ごとに香りも移り変われば、嗅覚としての情報も入ってくる。偶然の発見が最終的にメニューに結びつく鍵になることが多いかもしれません。
●An Diを卒業されてからは、しばらく旅に出ていたそうですね。
時間ができたので中国の雲南省に行ってきました。そのあともベトナムやサンフランシスコ、国内だと北海道や佐賀をまわってきたのですが、その土地の季節の食材や畑の様子、食材だけではなくて、器やそこで暮らす人びとの生活や文化そのものにシンクロすることで未だ見ぬ体験に出会えるんです。
●そういった体験のなかで印象に残っているストーリーはありますか?
雲南省では、きのことお茶をメインに見てまわったのですが、さらに南下したエリアに少数民族が形成しているシーサンパンナという、ラオス、ミャンマー、ベトナムなどの隣国と面する食文化がクロスオーバーした場所があると聞いて、そこまで足を運んできたんです。実際は広すぎて見きれなかったのですが(笑)、市場には何百種類ものきのこが並んでいて圧巻でしたし、茶山に住んでいる少数民族の人びとにお茶を淹れてもらったり、彼らの食卓に招かれて食事をともにしたこともありました。そんな、都会にいたらきっと味わえないようなローカルな体験をストーリーとして料理につけ足す感覚で、「僕が現地で買ってきました」と、お皿の手前のところから伝えていきたいんです。
●事前にストーリーが伝わると、お客さんも予期せず興味を抱いてくれそうですね。
以前、韓国の山のお寺に滞在してキムチを漬けてきたこともあるのですが、ベトナム料理店でいきなりキムチを出したら、「どんなコンセプトなの?」と思われてしまうところを、“自分で実際に見てきた”というエクスキューズが加わることでコンセプトや先入観をとり払って興味を抱いてもらえる。それぞれの国が大切にしている食文化をちゃんと体験してリスペクトした上で料理に落とし込むことが大事だと思っています。
●ファッションや音楽の分野では文化の盗用なんて言われることもありますけど、食も形としては出せてしまいますよね。海外で日本食を食べて、あれ? と思ったことがある人も多いはずです。
確かに、料理ってそれなりに形として出せてしまうところはありますよね。でも、だからこそしっかりとその背景にある文化や文脈を咀嚼してリスペクトした上で自分の料理として伝えていきたいんです。でも、それをただメニューに出して食べてもらったというだけではコミュニケーションが未完成というか、一方通行のような気もしてしまう気がしていて。もしかしたら料理を出す側、それを食べるお客さん側、双方の歩み寄りのようなものがもっと必要なのかもしれないですね。
●確かにそうかもしれません。内藤さんは外苑前から日本橋兜町に移ってこられたわけですが、やはり場所の変化によってコミュニケーションは変わりますか?
以前はコース料理を出していたので、ある程度自分がつくりたい料理を追求していてもお客さんがついてくれたのですが、いまのようなランチタイム営業とは料理の出し方も客層も異なりますし、平日と休日でも客層に変化があるので、その辺りのチューニングは試行錯誤しています。金額設定もそうですし、お客さんがすぐに仕事に戻れるようにクイックに料理を提供するための準備も欠かせないのですが、限られた時間のなかでも、オーダー時やお皿を下げる際には料理のテーマや食材のストーリーを伝えてみるなどしながら、コミュニケーションの糸口をある程度積極的につくるようにしています。
●現在はどのようなメニューを展開されていますか。
4種のフォーと1種のチェーをメニューに出させていただいています。定番の「クラシック節のフォー」に加え、春夏と秋冬で季節の食材を取り入れた「トマトとコブミカンのフォー」などのメニューも展開していますし、数量限定ですが、雲南省で買ってきたモリーユ茸、ポルチーニ茸、姫マツタケなどのきのこをふんだんに使用した「雲南きのこのフォー」もぜひ食べていただきたいです。なるべくそれぞれの食材のカラーが出るような組み合わせにしながら、でも味が想像できそうでできない絶妙なラインを狙っているところがこだわりです。
●実際にフォーを食べるとわかりますが、内藤さんのフォーって味や香りの変化を楽しみながらリズミカルに食べることができますよね。
食べ方のオススメとしては、まずはそのまま何も手を加えずにスープを飲んで素材の味を楽しんでいただきたいです。それからハーブなどの食材を加えてもらえたら、最後まで飽きることなく食べていただけると思います。
この店の雰囲気も開放的で、都市のなかに突如現れる緑溢れる空間がどこか境界線が曖昧なベトナムの屋台のようで気に入っていますし、さっとフォーとチェーを食べてまた街に繰り出すような、そんなテンポが合っている気がします。
●料理人として新たに挑戦していきたいことや目指す姿勢があれば、教えてください。
これからのお店のコンセプトはまだ模索しているところなのですが、コースではなく、完全にアラカルトのお店をやれたらと思っているんです。アラカルトにすることでコースでは使いきれなかった季節の食材を使うことができますし、An Diのときって、やっぱりコースでメニューを展開していくので、今年はパッションフルーツ使えなかったなと思うようなことがあって。残りの料理人人生のなかであと何回季節が巡るんだろうと考えると、そういった食材のとり逃しを極力減らして、より多くの食材に触れて料理を出せたらいいなと感じるようになりました。
●コースとなると、どうしてもお店が提示する方向性に則って楽しむことになりますが、アラカルトであれば、お客さんの自由度が高まる側面はありますね。
コースってシステム的には完成されているんですよね。料理のクオリティは高まりますし、食材のロスも出なければ、売り上げ目標も立てやすくなる。でも、もう少しお客さんに歩み寄った関係性が構築できれば、単純にもっとレストランが楽しくなるかもしれない。海外の成熟したレストラン文化というのは、お客さん側もしっかり意見をもっていたりしますし、相互の関係を築くことで、つくる側、食べる側、そのどちらにとっても楽しい状況が待っているのかもしれない。最近、そんなことを考えているんです。
内藤 千博
Chihiro Naito
1983年、埼玉県生まれ。フレンチの名店「L’Effervescence」でフレンチの技術と生産者との関係性を学び、2018年、同店のペアリングを監修していた大越氏との出会いが契機となり、外苑前のモダンベトナム料理店「An Di」の料理長に就任。ハーブを多用しながら、香りを軸に味とテクスチャーが織りなす美しい料理で「モダンベトナミーズ」を確立すると、今日までに多くの食通を魅了し、創作料理を通して新たな食体験を提供。2024年より、日本橋兜町にフォーとチェーの店「Just Pho You」をオープン。国内外の食材を使用したオリジナリティ溢れるフォーを提供している。
Text : Jun Kuramoto
Photo : Naoto Date
Interview : Jun Kuramoto
内藤 千博
Just Pho You シェフ
常連のマダム
兜町の気になる人
お客さんでいつも通ってくれているマダムがいるのですが、毎回新作メニューをチェックしてくださるので、フォーを気に入っていただいてすごく嬉しいのですが、気軽に話しかけられないオーラがあって、まだちゃんと話したことがないんです。近くで働いていらっしゃるのか、どんな仕事をされているのか気になっています。