●今回、Hotel K5のユニフォームとして尾花さんのデザインするUNITED ARROWS & SONSの洋服を採用させていただいたわけですが、私自身も先日、このスラックス一本だけで国内を数都市まわってきて、驚くほど快適に旅をすることができ、その着心地を実感してきました。
私は元々仕事で旅に行くことが多かったので、旅自体そんなに好きな方ではないのですが、これだけパンデミックが続くと、やはり行きたくなりますね。旅となると当然、動きやすさが重要になってくる。もう20年も前の話ですけど、古着屋時代にたまたまアメリカに住んでいた友人がパスポートと財布を片手に帰国したのを見て、スーツケースを一切持たないウルトラライトな佇まいがすごくカッコ良く映ったことがありました。
●その方は、洋服はどうされていたのでしょうか?
洋服や下着は現地で調達して、汚れたら捨てるという感じでしたが、とにかく身軽な彼を見て、数年間自分のなかでウルトラライトが流行った時期がありました。そういった洋服におけるモビリティを意識し始めた最中、仕事でアラスカへ行くことになり、意気揚々と上着を羽織ってパスポートとコンビニ袋を引っ提げて挑んだのですが、もう死んじゃうかと思いましたよ(笑)。車の鍵穴が凍って入れなくなってしまい、寒いか寒くないかもわからなくなる始末で。
●尾花さんの服づくりにおいて、アラスカでの原体験が影響を与えていますか? 古着やミリタリーといった要素がベースとなり、そこに機能性やモビリティが溶け込んでいったのでしょうか?
アラスカは、少し極端な話でしたけど、やっぱり出来るだけ身軽でいながらも、いろいろな場所へ行って適応することがモビリティを考えるきっかけでもありました。また、それを洋服に反映するかしないかではなく、単純にモノを持たないということに興味がありました。
●尾花さんが手がけたクリニックの健診ウェアもそうですし、デザインを監修された聖火リレーのユニフォームもそうですが、ユニフォームを考える上で大切な要素があれば教えてください。
いわゆる通常の洋服との大きな違いは、着用している時以外も含めた、オペレーションと現場の環境からくるレギュレーションしかないというか。つまり、ユニフォームって着る側が思っている以上に製作する側が考えなければならないことが多いし、難しいことが求められているんです。見た目と同時に着心地、そして洗濯(クリーニング)の際、畳みやすく、直ぐにサイズが認識出来るような工夫など、オペレーションのところまで紐づけて考えた上でデザインを構築していかないと成立しないものなので。
●聖火リレーのユニフォームデザインに関してはどうでしたか?
ASICSさんという、機能面においても素材面においても当然有能で信頼の置けるスポーツメーカーさんが製作したので、自分が集中して考えないといけない部分はデザインだとハッキリしていましたが、それが一番大変な部分でもありました。
●どのようなところが大変でしたか?
芸術性など様々な要望が期待される中で、今回の聖火のテーマとデザインの紐付けや、やはり多くの国際的な制約がある中で、人種を超えた体型をカバーするためのフォルムなど…色々ですかね。ただ、素晴らしいデザインチームとプロダクトチームだったので、多分3年はかかるようなことを1年くらいで作れたのは本当に素晴らしかったです。
●頑丈につくることがユニフォームの一つの要素になりますか?
毎日着るモノだったりするので、頑丈なことは大前提になります。大量生産されたワークウェアをファッションに取り入れる人って、もしかしたら、そういった機能性からくる堅牢度が高いところ自体に自然と魅力を感じているのかもしれません。
●これまでユニフォームをつくるなかで嬉しかった事例はありますか?
やっぱり、「あそこで使われているユニフォームが欲しい」って言われたときは嬉しいです。あと、仕事柄、旅館やホテルに泊まることが多いので、ついついそこのユニフォームまでチェックしてしまって(笑)。
●やはりそういった目線でホテルを見てしまいますか?
どうしてもオペレーションだとかアメニティのチェックはついつい意識してしまいますし、それを見るためにわざわざ泊まりに行くぐらいなので。結局オペレーションに行き着く部分だと思うのですが、お客さんへの動線やホスピタリティみたいなところは、洋服屋としても常に気を配るところです。
●洋服屋としてそこまでサービスに気を配るのはなぜですか?
これだけオンラインで何でもモノが買える世の中だと、下手すると、私たちみたいな洋服屋って点で完結してしまうじゃないですか。だからこそ、オフライン上のサービスを大切にしたいというか。そういった意味でも、灯台下暗しにならずに見ていかなければいけないことがあるし、服をつくる身としては、その視点があるからこそ、働いている方が着るユニフォームに機能性を与えることができる。そうなれば、自ずとユニフォームというモノがサービスの中心となっていきますよね。
●今から約100年前に建てられたこのホテルの建物としての装飾美みたいなものをどうブランディングに活かしていくかを考えているのですが、その意味で、今回のユニフォームがすごくマッチしたものになったと思っています。極端な話、やはりデニムにTシャツというわけにはいかないですから。
今回のケースは、もともとデザインされた洋服にK5というホテルの理念が上手くマッチした珍しいケースだと思うんです。
そもそもUNITED ARROWS & SONS by DAISUKE OBANAとして、この4年間で私がやってきたことを、先ほど話していたワークウェアの魅力のように、K5にピックアップしてもらったというか。今までにないケースでしたし、快適に過ごせる洋服が働く現場の動きとシンクロしたのは嬉しいことです。このプロダクトは、小松マテーレ社(※1)が開発していた生地を長年アップデートしながら同じ組織で作り続けているのですが、実はこの生地、起毛した裏面を表に使っているんです。
※1 小松マテーレ社
石川県能美市にあるファブリックメーカー。旧:小松精練。
●生地を見た瞬間に、これを裏表逆にしたら面白そうという発想になるのでしょうか?
洋服をつくっている人って、通常は生地屋さんを巡って生地に触れることが多いので、生地屋さんによるスペックの話から入ることが多いと思うんです。そういう記号みたいなものってすごく楽なのですが、どうしても固定概念がつきまとってくる。それよりも、真っさらな状態でマテリアルと向き合い、そのなかで何ができて、どうモーションが減らせるかというような視点で生地にフォーカスしているので、自分はそういう話は最初に聞かないようにしています。僕って天邪鬼なので、表って言われたらどうしても裏側が見たくなる性分なんです(笑)。カシミヤでもツイードでも、自分で触って気になったことがあれば、そこではじめて生地屋さんに聞くようにしていますし、その方が最終的に自由度が高いものになるんです。
●天邪鬼の視点が尾花さんの服づくりに欠かせない要素となっていますか?
古着のバイヤーとして服を探して、それを売るという仕事が自分の基礎になっているので、洋服を見る視点も、自分のコーディネートもそうですが、基本的に古着と一緒で、ひっくり返す、裏返す、裏地を見る、タグを見るというのが古着屋時代からの一連の動作として染み付いているかもしれません。いつの間にか自分で服をつくる(デザイナー)としての時間の方が長くなってしまいましたが。
●ビンテージ古着のバイヤーから既製服のデザイナーになったわけですが、つくる側の仕事はご自身に合いましたか?
こんなに古着が売れるならもっとこうしたら良いのにと、たまたまアイデアベースでやったことが当たってしまった感覚だったので、正直、合っているとか合ってないとか分からない中で勝手に商品が動いてったので、必死でしたし今も頭の中では必死です。
結果合っているということになるのでしょうかね。
●ご自身のアイデアが日本を飛び出して世界でも評価されていく様子を眺めていて、どんな気分でしたか?
自分がそんなに特別な才能を持っているなんて思ってもなかったし、ニューヨークコレクションなんて想像すらしていなかったです。それこそデビューの頃なんて、とにかく、デザイナーたるものストイックでシュールじゃないといけないと思い込んで、急にバッハのコンピレーションを大音量で流してみたり(笑)プレッシャーだらけの毎日でした。
今では、自分というものがどういう存在なのか、自分でよく理解できるようになったので、マイペースに自分が必要なものを追い求めている感じです。それが、どう評価されようが好きな人は解ってくれると。
●何がそういったプレッシャーから解放してくれたのでしょうか?
やはり自分が得意だったのは、ポケットのフラップをひっくり返したら縫製や生地が違うから「これは何年代の初期型だ」というように、古着の裏側やディテールを比較して年式を判別するようなことで、その習性は今でも染み付いていますし、雑誌に載っていない情報もたくさんあったので、まわりの声よりも実際に古着屋で自分の目で見たり触ったりして確かめたモノの方が重要だという姿勢でいたことでしょうか。ひっくり返したりバラしたりするのは普通でしたし、どっちが裏だの表だのということではなくて、良いものは良いということなので。
●今回のユニフォームにK5スタッフのテンションも上がっているのですが、やはりみんなで着るということに特別な感覚があると思いますか?
制服にしても軍服にしてもそうですが、何か帰属意識が働いて一致団結したり、気持ちの整理がしやすくなったりというのはあるかもしれません。逆に言うと、それを着ていることで何も考えなくて済むとも言えますが、ユニフォームっていろいろな要素があるし、一方でどんどんなくなっていってしまうような感覚もあると思っています。
●では、未来に向かってどのような機能が残っていくと思いますか?
見た目よりもその人のアイデンティティの方がフォーカスされる時代。快適な素材で行動しやすければ、嫌でもみんな同じ服を着る時代が来るかもしれません。極端な話、色も形ももはや求めなくなって、それこそ手塚治虫の世界や、橋本聖子のような。
●スピードスケートの橋本聖子さんですか?東京オリンピック組織委員会会長の?
スピードスケートのユニフォームで例えるとですよ(笑)。橋本さんの例えしか出てこない僕らの世代もヤバイと思いますけど(笑)。昔、そんな一気飲みのコールがどこからか聞こえてきましたよね、セイコー!セイコー!って(笑)。でも真面目な話、暑くても寒くてもそれ一枚でピタッと体を覆うことができるすごい素材ができてしまったらどうですか? もうそれさえ着ていればコーディネートもいらなくなるような。
●形において、もうイノベーションは起きないと?
これ以上快適な形はもうないと思うんです。多分、僕が生きている時代に於いては。例えば、今って見た目が関係ない時代。
それよりも言動だったり、アイデンティティだったりが重要視される。究極のワンピースができてしまったら、もう何もいらなくなるかもしれないですしね。スティーブ・ジョブズがそうだったように、毎日、色味のない同じ服を組み合わせていくとモーションの少ないコーディネート(生活)ができる。強いて言えば、モーションの少ない服という観点で考えればまだやる事はあると思います。
●そういったモーションが減ることで、もっと他のことに時間を費やせるということでしょうか?
趣味の少ない時代、まだ成熟度が低かったからこそ成長し得たのがファッション業界。裏原宿というものがスペック化し、知ってか知らずか、そこでTシャツ、スウェット、ジーンズ、スニーカーというフォーマットが形成され、今でもそれと似たような服を着ているというのは、それ以外はいらないというようなことが意識せずとも暗示されていたわけじゃないですか。あとは各々が好きなこと、それこそ趣味の時間や色々な体験とかの時間にも費やせるという話で。
●僕のアメリカの友人は、それぞれが着崩してしまうアメリカと違って、日本人がきちんと制服を着ていることに興味があるようです。
そもそもアメリカって様々な人種で形成された移民の多い国なので、何かしらのフィルターを通ったハイブリットな着こなしになるのは必然性のある事。彼らから見ると、日本という島国の持っている着物のようなオリジナルのカルチャーに興味が湧くのは理解できます。
●ご自身がデザインされた洋服を全く意図しない形で裏切るような着こなしを見たときに、それが次のクリエーションに繫がることはありますか?
それに近いことですが、不特定多数の着こなしを追いかけることが難しい代わりに、Back to Backで洋服を追いかけるようなクリエーションをしています。つまり、僕のアーカイブ商品を現代にアップデートして蘇らせることや、他ブランドさんが持っている生地を僕がデザインして、僕が持っている生地をそのブランドさんにデザインしてもらうような、もともとのデザインと生地のスワッピングをしていて。
良いなと思っていたモノに対して、こっちの生地ならもっと良くなるのではとアイデアを出し合っていますし、必ずしも0からのクリエーションでなければいけないわけでもない。お客さんが僕のデザインした服をひっくり返して着たとしても、それがたまたまお客さんなだけで、たまたま商品にならないだけ、クリエーションの一部ではあると思っています。
●巣鴨のおじいさんが独特な着こなしをしているのを見かけますが、トレンドに捉われない人間本来というか、独自のオリジナリティあふれる感覚みたいなものは、若者よりもかえってご年配の方のほうが色濃く見える気もします。アメリカにおいても同じことが言えると思いますか?
答えになっているかはわかりませんが、僕の世代ってファッション雑誌を見て育ったデザイナーが多いのですが、僕自身は渋カジ(※2)だったこともあって常に路上にいたので、結局ストリートの人々から着こなしの影響を受けることが多かったんです。それで、リサーチでアメリカに行ったときに、ストリートでビニールの上から靴下を履いている人を見て、単純にすごく美しいし、レイヤーもカッコいいと思って、そのインスピレーションをショーで発表したら、ファッションブロガーの方々から叩かれてしまい……。
※2 渋カジ
アメリカンカジュアル、通称“アメカジ”の台頭をルーツに、80年代後半から90年代初頭にかけて渋谷で流行した渋谷カジュアルというファッションのスタイル。Made in U.S.A.にこだわり、デニムは古着のリーバイス501を好んだ。
●ファッションブロガーということはそんなに昔の話ではないですよね?
“路上生活者を馬鹿にするな”という内容で、僕自身、全くそんなつもりはありませんでしたし、美しいと思ったことを表現しただけだったのですが、そんなときにNew York Timesが“尾花大輔というデザイナーは、路上生活者の機能的な着こなしを美しくデザインに落とし込んだ”というようなポジティブな見解を示してくれて。それ以降、ファッションブロガーの批判記事がウェブから削除されていったことがありました。
ニューヨークに10年、いろいろなことがありました。
●今回、兜町という街を見てどのように感じましたか?
この取材がなければ、東京証券取引所がここにあるなんてわからなかったですが、ニューヨークのウォール街にある張り詰めた空気感みたいなものが残っていながらも、K5の温故知新でコンテンポラリーな雰囲気がまわりのお店と上手に噛み合いながらギャップを生み出しているし、地元の人たちと一緒に楽しみながら時間を共有しているシーンが田舎ではなく、大都会のど真ん中で起こっているというのがすごく面白いなと思って見ていました。昔になかった違和感があったというか。
●違和感というのは良い意味でしょうか?
当然良い意味ですが、そもそも違和感って良い悪いではなく、“知らないこと”に対して覚える感覚なので、人々がまだ理解していない側面に直面した証じゃないですか。
●K5の印象はいかがでしたか?
僕、ブティックホテルって大っ嫌いなんですよ(笑)。ハリボテの見た目だけで、不潔でホスピタリティが低いところが多い(笑)。昔、あるホテルに泊まったら、まだインスタグラムがない時代に“映え”を意識したような空間が広がっていて、一番良いとされる部屋に窓が一つとベッドが一台で。ほとんどギャグみたいなホテルがたくさんあった(笑)。話は戻りますが、K5。スウェーデンの建築チームが入っている事で、ここの自の魅力を異国情緒と調和させながら形になっているのがいいなと。部屋の色彩だとか佇まいを見ていて痛感させられますよね。日本の建築家がやったら変に日本文化を意識し過ぎて、意外性に欠けそうですし。あとは泊まったときにどう見えるかが楽しみです(笑)。
●では最後に、尾花さんのクリエイティビティを刺激するものはどこにあるかを教えてください。
日常生活に潜んでいると思っています。昔は、移動した先の特別な状況や感情にクリエイティビティを見出していたと思うのですが、それが年々変わってきました。リアルな場に落ちている体験みたいなものに固執し過ぎていたなと思うことがあって。
現場に行かないと本物は見つからないと決めつけていたけど、それって自分のなかだけにあってまわりに共有できないだけのエゴなんじゃないかと思うようになって。今はインターネットでいろいろな世界を見られるけど、その情報だって体験なんじゃないかと。そのどちらも大切だから本質さえ見落とさなければこだわらないですし、その辺りは冷静に見ています。
尾花大輔
Daisuke Obana
1974年、神奈川県生まれ。原宿の名店で古着のバイヤー、ショップマネージャーの経験を積み、古着のセレクトショップ「go-getter」の立ち上げに携わる。古着のリメイクやオリジナルの展開を経て、2000年に「Mister hollywood」を原宿にオープン。店舗名は長年ハリウッドへ買い付けに行っていたことから付けられたあだ名に由来する。翌年2001年、「N.HOOLYWOOD」を設立。以後、東京、ニューヨーク、パリとコレクションを発表。2017年に無印良品「MUJI LABO」の紳士ウェアデザインディレクターに就任。東京2020オリンピック聖火リレーユニフォームを手がけたのは記憶に新しい。
Text : Jun Kuramoto
Photo : Naoto Date
Interview : Akihiro Matsui