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宮川真実
宮川真実

2022.03.17

宮川真実

ease 店長

空手、お菓子、恩人との出会い
すべてをつなげて描くお店づくり

人生の中で度々訪れたお菓子との出会い。それは、見逃してしまうような小さなきっかけだったかもしれない。パティスリーeaseの店長、宮川真実(ますみ)さんは時に悩みながらも、その一瞬一瞬に全力で取り組むことで、それを自らターニングポイントに変えていった。これまでに勤めたお店での経験、渡英してのチャレンジや、恩人との出会い。それらすべての点をつなげ、宮川さんはシェフやスタッフと一緒に、easeにしかできないお店づくりを目指している。

●ご出身はどちらですか?
東京都目黒区で、ずっと住んでいます。

●子どもの頃や学生時代はどんなふうに過ごされていましたか?
父親が熊本のまさに九州男児みたいな人で、母親が山形の出身で、昭和っぽいというか、妻が三歩後ろからついてくるみたいな家庭でした。私自身は、ピアノやバレエとか、いわゆる女の子が興味があるものに全く興味がなくて。唯一反応したのが、父親がやっていた武道でした。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」みたいなものが家に結構あったり、ゴレンジャーとかの戦隊ものだったりにもよく反応していたみたいで、習い事をどうするか悩んでいた時に親が連れていったのが極真空手の道場でした。それで私も、これがいい! みたいになって、小学校3年生から高校生ぐらいまでずっとやっていました。フルコンタクトの空手だったので、本当に打つし、蹴るしで、それが好きで。中学の女子部では全日本で3位になりました。

●最初からすごく意外なお話ですね!
そうですよね(笑)。都大会は何回も優勝してて。でも、高校3年生までやっていたその頃はオリンピックはもちろん、K-1にも女子がなかったし、ジュニアも世界大会がなかったんですよ。もし日本一になったとしても、もうその先はないんだなっていうのがわかった瞬間に、なんかだんだんやる気がなくなってきちゃって。高校時代は籍だけ置いて、ほとんど行ってない感じでした。

●武道やブルース・リー以外にも、ご両親から影響を受けたことはありましたか?
そんなにはないんですけど、バンドマンでもあった父の影響を受けてバンドでギターとかをやっていました。中学校3年間は軽音楽部でバンドをやって、ディープ・パープルとかを。みんなはジュディー&マリーとかをやってたんですけど、私はちょっと違う路線に行っていたんですよね(笑)。

●高校時代はどんなことをされてましたか?
女子高に入ったんですが部活とかは特にやってなくて、同じ音楽の趣味の人が1人もいなかったので、バンドも組めず。私は受験して入ったので、附属の中学から上がってきた人と比べたらわりと学力の差があって、人生で初めて勉強ができる部類の方に入ったんですよね。負けず嫌いのような部分があって、それを守るためにひたすら毎日、3年間勉強し続けていた感じでした。

●負けず嫌いという話もありましたが、振り返って武道から学んだのはどういうことだったと思いますか?
最初は空手もプラプラやっていて、大会があるとなんとなく出るみたいな感じだったんです。父親が経験者だったこともあって、道場に行くだけじゃなくて自ら練習しないと勝てないよと母親に言われて。そこから父親に教えてくださいって言ってミット打ちとかをやってもらうようになりました。だから何かをやりたいと思った時に、努力をしないとやっぱり結果は出せないっていうのは、そこで得たかなとは思いますね。

●高校では勉強を頑張られて、その後は?
大学に進んで、そこからケーキ屋さんにアルバイトで勤めました。当時、ドルチェマリリッサというケーキ屋さんが家の近くにもあって、私は夜学生だったので昼間はそこで4年間働いて、夜は大学に行くという生活でした。

●地元のお店という以外にも、そのケーキ屋さんを選んだ理由はありましたか?
高校の時にお弁当を食べる仲間の1人が調理部の子で、ある日その子がパウンドケーキをつくってきたんですよ。当時の私には勉強しかなくて、本当に視野が狭かったので、そんなことしている子がいるっていうのにまず驚いたんです。なんでこんなのつくれるの? どこで習ったの? と、そこから少し興味がわいて。そのことをうっすら覚えていて、大学生になってケーキ屋さんで働き始めたっていう感じでした。自分がつくるわけじゃないけど、そういうところに身を置きたかったというか。

●アルバイトではどんなことを担当していましたか?
そこでは販売と、包装業務で焼き菓子を詰めたり、カフェもあったのでコーヒーをドリップしたり、いろんな甘い系のドリンクや紅茶も結構バリエーションがあって、そういったことを全部やってました。
クリスマスの時にはイチゴを切るのを手伝ったり、ケーキを手伝ったりとか、自分にとってクリスマスのイベント感は非日常だったのでやらせてもらえるのがうれしかったというか、楽しかったです。家まで歩いて帰れる距離だったので、終電を過ぎてもやっていました。

●そこでの4年間が、宮川さんのお菓子のお店での仕事の始まりだったんですね。
かなり大きなきっかけになりましたね。受験勉強をすごく頑張って、早稲田大学に行けたんですけど、入ってから燃え尽き症候群のようになってしまったんです。大学に行く意味がわからなくなって、もう中退しようかなと思ったんですけど、それはやめとけって周りに言われて、じゃあなんとか卒業しようと。空手をやっていた頃は、自分にはこれがあるっていう気持ちがずっとあったんですよね。それが高校あたりからなくなって、その代わりが勉強になっていました。就職活動の時は、当時付き合っていた彼氏がPR会社に就活したりしていて、私も特に志望はなかったので真似してというか、別の会社ですがPR会社に入りました。

●大学時代はお菓子屋さんでアルバイトをしながら、いろいろ模索していたんですね。
そうですね、ずっと悩んでいましたね。PR会社に入って1年ぐらい経った時に、ヤフーショッピングでの冷凍ケーキの通販のPRを担当することになりました。当時はまだ新しい取り組みだったと思うんですけど、それでまたケーキに引き戻されたというか、やっぱりお菓子の仕事をやりたいなと思って転職しました。

●そこでまた、たまたま商材がケーキだったというのが運命というか。
そうですね。やっぱりパティシエをやってみたいなと思って。大学時代に働いていたお店のシェフが「僕がつくるケーキが世界一美味しいんだ」っていつも言っていて、それぐらいプライドを持ってるのはいいなと思っていました。それで入ったのが、今はもうないのですが、都立大学にあったフランス菓子のお店でした。空手を長くやっていたことがすごく評価されて、入れてくれたんですよ。でも、そこが本当に厳しいところだったのと、自分の思っていたケーキ屋さんと全然違ったので、3カ月で辞めてしまいました。

●以前に4年間働いていたお店ともギャップが大きかったですか?
かなり、ですね。思い返してみれば、最初のお店はかなりゆるかったなっていう。

●両極端のような経験をされたのですね。
お菓子をやりたい気持ちはあったのですが、別の店で同じようなことが起きてまた辞めてしまったら、本当に自分のことを大嫌いになっちゃうなって怖くなって、フランス菓子の店に行けなくなっちゃったんですよ。そんな頃に当時YouTubeでアメリカの料理研究家、マーサ・スチュワートの動画をよく見ていたんです。フランス菓子はあきらめていたけど、今流行っているキャロットケーキのようなアメリカのテイストのケーキが紹介されていて、これはいけるかもしれない、アメリカに行きたいと思い始めました。

●また違う種類のお菓子との出会いがあったんですね。
ただ、アメリカは就労ビザを取るのがすごく難しいじゃないですか。どうしようかなと思って調べて、ワーキングホリデーのあるイギリスに行こうと思いました。その前の段階で、クリームのデコレーションのスクールにも行ってたんですよ。どんなものかというと、ウェディングケーキとかのデコレーションを想像していただくといいかもしれません。お花や字をクリームで書いたりするのをシュガークラフトと言うんですが、その名門と言われるブルックランズ・カレッジという学校がロンドンの郊外にあります。英語もやりたいし、ちょうどいいな、とそこに行くことを決めました。26、27歳の頃ですね。

●イギリスでの生活はいかがでしたか?
学校に通い始めましたが、シュガークラフトって砂糖細工で、食べられるけど食べないよね、みたいな工芸品なんです。イギリスだと一般的だし、アメリカでもウェディングケーキとかで一般的なんですけど、よくよく考えてみたらこれは日本で全然お仕事にならないかもって、ロンドンに行って4カ月目くらいで思って。
ワーキングホリデーのビザがまだ1年半以上残っている状況で、ちょっと私どうしようという症候群にまた陥ったんですね。でもその時に両親が、「そんなに自分を縛るような考え方をしないで、せっかくイギリスにいるのだからイギリスでしかできないことを、もう遊びでもいいから楽しんでから帰ってきなさい」みたいに言ってくれて。それで、ハッとして音楽フェスや旅行にもいろいろ行って、せっかく来たんだから、カップケーキとかを自分でもつくれるケーキ屋さんに入ろうって決めたんです。1年目は語学の問題もあるから日本食の店などで働いて、2年目は絶対、現地の日本人がいない店に入るって決めて、入りました。それがLOLA’S Cupcakes(※1)っていうお店で、そこで1年、ケーキデコレーターとして働きました。ケーキデコレーターは、渡英前にマーサ・スチュワートの動画を見たりしてあこがれていた仕事で、シュガークラフトの技術が認められました。3日間のトライアルの時に、バタークリームで字を書くことや絞りをやってみてと言われて、「うまいじゃん、この日本人」というような感じで、それで入れてもらったんです。ロンドン市内に当時、14店舗ほどあって、そのセントラルキッチンで採用されました。

※1 LOLA’S Cupcakes
ロンドン発のカップケーキ専門店。日本では2015年10月、東京・原宿に1号店をオープン。

●シュガークラフトの勉強をしていたことを、そこで生かせたんですね。
バッチリ生かすことができて、そこで1年以上働いて、日本に帰国するかなぐらいのタイミングで、ちょうど日本に支店を出すために工場を見に来ていた方たちがいたんです。私はイギリスに残っていろんなケーキ屋さんで働いてみたい気持ちもあったんですけど、その場で帰国後によろしくという話になって、帰国することにしました。それからは日本で立ち上げを一緒にやって、技術を教える人になりました。

●ロンドンでの2年間でご自身、すごく変わったなと思うことはありますか?
あの時は本当に悩んでいて、自分がやっていることが正しいのか、これでいいのか、自信を持って言えるかわからない時期がありました。ただ、すごく陳腐かもしれないですけど、点と点がつながるみたいな話があるじゃないですか。あれがずっと頭の中にあったんです。空手をやっていた時もそうだったんですけど、その一瞬一瞬をちゃんと全力で頑張る、何事も全力で取り組んだらきっと何かになるっていうことを思い出しました。なので、シュガークラフトもやるんだったら全力でと、日本でスクールに通っていた時も講師になれる資格までは取っていて、それを生かせました。

●日本でのLOLA’S Cupcakesの立ち上げのお仕事をされていた中で、またその先のことも考えるようになったのでしょうか?
LOLA’Sで私はスーパーバイザーだったのですが、当時の社長が現地に日本人の私がいることを知らなかったみたいで、すでに日本でパティシエを雇っていたんですね。その方は、女性のみでパティスリーをやっていたオーナーシェフの方でした。その方にかなりお世話になって、一緒にお店をやらないかとも言っていただいていたんですけど、当時の私はお店をやるイメージがまだわきませんでした。父親が自営業をしていまして、その大変さを見てきていて、勇気がなかったのでお断りしました。でも何かをしたいなと思っていた時に、ロンドンのデリカフェFRANZE & EVANSをベイクルーズ(※2)が日本で立ち上げると知って応募しました。

※2 ベイクルーズ
「ジャーナル スタンダード」をはじめファッションの企画・製造・販売と、「J.S. BURGERS CAFE」など飲食店の運営など、“衣食住美”を通じた事業を行っている会社。

●イギリスつながりだったんですね。
でも入ってみたら、希望とは違うカフェに配属になり、しかも私が入って2週間くらいでそのカフェが閉店することになりまして。その時に、ちょうど社内で別のHI-CACAOというチョコレートスタンドの立ち上げがあるからと、店長としてお声が掛かったんです。2年弱ぐらい店長をさせもらって、接客や数字とかも見るというのが初めての経験でした。

●仕事の内容や立場が変わってきたんですね。ご自身にとってどういう経験、チャレンジでしたか?
自分でも全然気づいてなかったんですけど、結構リーダー職に向いているというのは、日本のLOLA’Sの時もわりと言ってもらっていました。教えることが好きなんです。空手をやっていた時も、トレーニングの仕方や足の動かし方などを教えていました。
やっぱり私はずっと、フランス菓子のお店を3カ月ぐらいで辞めちゃったことを心の中で引きずっていたんです。だからイギリスでLOLA’Sに入った時も、最初は名前も覚えてもらえないような状況だったんですけど、こうなったらもう仕事で見せるしかないと思いました。それは逃げ出したあの時の自分をリカバーするというのもあって、イギリスではすごく頑張ったんです。日本のLOLA’Sの時にすごくお世話をしてくれたシェフがその話を聞いて、かわいがってくださって。こんな私に、フランス菓子のすごいシェフがよくしてくださったっていうのが心の中にずっとあります。私にとって、その方がお手本というか、恩人というか。あの方は本当に従業員一人ひとりにすごく興味を持って声を掛けてくれました。リーダーで年齢も上の方だったので、普通だったらあんまり関わらなかったり、仕事上の付き合い程度だと思うんですけど、いろんなお菓子のお店やレストランとかに連れて行ってもらったりもして。だから私も自分に後輩とか部下ができたら、そういうふうになりたいみたいな気持ちがありまして、HI-CACAOで店長になった時に結構それを思い出してやっていました。だから、やっぱりすべてがつながってるなって思います。

●その後のチャレンジのことも考えるようになったのは、きっかけがあったのでしょうか?
HI-CACAOは出店していた複合施設がなくなることになったんですが、移転先が決まらないままになっていたんです。そこでさらにコロナの状況になって、その時に社内の別のブランド、ハンバーガーのお店に異動になりました。最終的にまた別のおむすび屋さんに異動になって、やっぱりどんどんケーキからも遠ざかっているし、違うかなと思い始めて、転職しようとなりました。

●転職先はお菓子をメインに探していたんですか?
そうですね。数年前は自分でケーキ屋さんをやるのは怖いと思ってたんですけど、だんだん時代も変わって、小さくやる人も増えているじゃないですか。生きている間に、やれることをやっちゃった方がいいのかなって。ただ、半年くらいずっとおむすびをつくってたのに突然、自分のケーキ屋さんをやろうっていうのもちょっとなと思って、1回どこかでケーキをつくろうと、そこでeaseに辿り着きました。

●それ以前にも兜町には来たことがありましたか?
来たことがなかったんですが、K5やease、Nekiができた時は前職の会社でもやっぱり話題になっていて、すぐ行きました。何回か来て、何か面白いことをやっている人たちがいるなって。easeのシェフ、大山(恵介)さんのケーキは、私が触れていたいわゆるフランス菓子とは本当に全然違うケーキだなと思いました。だから、自分が独立する前にそういう面白い世界を見てみるのもいいなって、思いましたね。

●実際に働き始めてからはいかがでしたか?
2021年の3月に、最初はパティシエとして入りました。私ももう管理職になっているような人間なので、お菓子の味や空間の話とは別に、同じ飲食従事者として仕事をしてきた身として、仕事の仕方について思うところも出てきてはいました。
大山さんに、勤怠管理などお店に必要な総務的な面でこうした方がいいと思いますよ、みたいに提言していたり、仕事の仕方について投げかけたりしているうちに、マネジメントをやってほしいという話をいただいて、店長になりました。

●店長になったのはいつからですか?
2021年の9月ですね。店長を引き受けるか相当悩んだんですが、宮川家の教えで、求められたことには120%で応える、みたいなのがありまして。最終的には独立してやってみたいんですけど、ちょっとどうも描けないなっていう時にその話をいただいたので、これも何かのタイミングなのかなって。

●日本のLOLA’Sでシェフとお仕事された時の経験なども生かして、ご自身のリーダーシップを描かれている感じでしょうか?
そのシェフがよくおっしゃっていて、父にも言われたことがあるのは、やっぱり自分が手本となり、先陣を切ってやっていかなきゃいけないし、従業員に対しては本当に感謝しなきゃいけないよという話です。私は経営者でもシェフでもなく、中間管理職ではありますけど、そういう気持ちは大事にしてはいますね。

お客様それぞれにとっては1回の体験になるので、それを本当によかった、また来たいって思っていただけるかは、お店の人にかかっているよという話をしていて

●easeは厨房と販売スペースが一体になっているのが特徴で、チームワークがすごく大事な要素のお店なのかなと思いました。
今、それはすごく話しています。私は製造側と販売側と両方のことがわかるので、別々とは思ってなくて、例えばミーティングも以前は連絡事項を伝えるのが主だったんですけど、最近はみんなでお客様目線に立って、販売だけじゃなくて、オープンキッチンだから製造も気を配ろうということで、考える時間にもしています。なので、製造と販売の連携はかなり増えています。

●コミュニケーションも増えているんですね。
そうですね。仕事の時間以外でも焼肉の会をしたりとか。年末には、大山さんにみんなをちょっとねぎらってほしいからお肉を焼いてくださいと言って、tealの人たちも呼んで、クリスマスパーティーを厨房で盛大にやりました。

●スタッフの皆さんとのコミュニケーションで、心掛けているのはどういうことですか?
本当にこれは毎日更新されるというか、悩ましいところなんですけど、まず20代の方と話す時は、やっぱり話しづらい人にはなりたくないなと思って。言葉遣いとかを合わせはしないにしても、わざと少しおちゃらけたりはします。ちょっと緊張をほぐすというか。
大山さんはやっぱり厳しい世界で育った方なので、自分にも厳しいですし、現れるだけでも場が結構ピリッとするんですよ。一方で、私はちょっと気が抜ける人じゃないですけど、何か新しい取り組みをやろうとしたり、お願いしたことをやってもらうためには、普段から反発心を買うような上司だと本当に仕事にならないと思って、態度とかコミュニケーションには気をつけてますね。私も一緒に頑張るから一緒に行こうみたいな、そういうノリで接しますね。

●easeでお客様にこういう体験をしていただきたいとか、どういうふうに味わっていただきたいといったことはありますか?
ケーキで驚いてくれるのはたぶん間違いなくあるんですよね。ただそれ以上に、なんかめちゃめちゃよかったな、みたいに感じていただけるような、本当にそれぐらいを目指したいなって思います。つい最近や、クリスマスの時もみんなでミーティングで話したのは、商品とかお店の雰囲気、ドライフラワーがあるとか、そういうことは他のお店でも真似できる部分はある中で、easeを唯一のものにできるかどうか、といったことです。私たちから見ると毎日200人ぐらいのお客様をお迎えしていますが、お客様それぞれにとっては1回の体験になるので、それを本当によかった、また来たいって思っていただけるかは、お店の人にかかっているよという話をしていて、だから私たち一人ひとり一緒に努力しましょうという感じですかね。

本当は1個だけ買うはずだったけど、ついでに買っちゃおう、みたいなこともあります。そのままイートインのカウンターで召し上がっていただいて、美味しかったよ、と言っていただけたりする時も、すごくうれしいですね。

●厨房と販売スペースが一体になっていることもあって、毎日そこが舞台というかライブというか、日々動いている感じがありますよね。
ありますね。やっぱり、お菓子の香りもあるじゃないですか。何か一つをとっても、お客様とお話できる材料がたくさんある。イートインも再開しましたし、スタッフとお客様とのコミュニケーションを高めていきたいなというのは、目下の課題です。

●easeでお仕事されていて、やりがいを感じるのはどんなことですか?
自分がお客様におすすめする時は、私自身がやっぱりケーキが好きなので、美味しく聞こえるように伝えるのを頑張っています。そうすると、お客様が結構リアクションしてくださるんですよね。例えば、本当は1個だけ買うはずだったけど、ついでに買っちゃおう、みたいなこともあります。そのままイートインのカウンターで召し上がっていただいて、美味しかったよ、と言っていただけたりする時も、すごくうれしいですね。

●宮川さんご自身の今後の目標も教えてください。
2、3年限定の小さいお店とかでもいいんですけど、一度はお店をやってみたいなとは思っています。やっぱり目指すは、日本のLOLA’Sの時にご一緒したシェフの方なので。本当に生き方を尊敬しています。50歳になって、2回目の焼き菓子のお店をオープンしてるんです。私もわりと直感型なので別に年齢とかじゃなくて、自分が今かなと思ったタイミングで、いつかやりたいなと思っています。

※撮影時のみマスクを外しております。

宮川真実

宮川真実

Masumi Miyagawa

東京都目黒区出身。武道をやっていた父親の影響もあり、小学3年生から極真空手を始め、中学2年時には全日本の女子部で3位に輝く。大学時代に当時、都立大学に店舗のあったケーキ専門店「ドルチェマリリッサ」にアルバイトとして勤め、お菓子の仕事に携わり始める。早稲田大学卒業後、PR会社やフランス菓子店などでの勤務を経て、2013年に渡英。ロンドンの「LOLA’S Cupcakes」でケーキデコレーターとして活躍し、帰国後は日本での「LOLA’S Cupcakes」の立ち上げにスーパーバイザーとして従事。2017年から務めたベイクルーズでは、チョコレートスタンド「HI-CACAO」の立ち上げから店長として携わる。2021年3月から、兜町のパティスリー「ease」でパティシエとして働き始め、同年9月からは店長を務めている。

Text : Takeshi Okuno

Photo : Naoto Date

Interview : Takeshi Okuno


宮川真実

ease 店長

高橋翔子さん

KNAG

兜町の気になる人

高橋翔子さん – KNAG

朝は、KNAGに寄ってからeaseに来ることも多いんですけど、すごく元気をくれるんですよね。本当に笑顔とかすごい素敵で、たぶんお話好きなんだと思います。同じ接客業としても、すごくいいなぁと見習いたい部分がある方です。