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細川萌
細川萌

2024.06.19

細川萌

fête ディレクター

他者との繋がりとともに生み出す
心の温度を上げる花々

2022年末のオープン以来客足が絶えることなく、兜町の賑わいの中核をなしている複合施設の「BANK」。地下1階に店を構えるフラワーショップの「fête」もまた、生花以外にドライフラワーやポプリ、アロマディフューザーなどの多彩なアプローチで独自の世界観を打ち出している人気店だ。その仕掛け人である細川萌さんに、自身のルーツや、初めての店舗を兜町で構えてみて思うことを語ってもらった。

●「fête」には、生花だけでなくドライフラワーのブーケや、花に関連したアートプロダクトが多く置かれていますね。店の奥のガラス張りのスペースも、生花の冷蔵庫ではなく、ドライフラワーの工房になっています。こうした形態はどのようにして確立されたのでしょうか?
地下にあるコンクリート打ちっぱなしの空間で花屋だなんて、めずらしいですよね。店の奥の空間は、もともと銀行の金庫だったそうです。“店を持つならぜったいにガラス張りのドライルームが欲しい”と考えて、専用の機械を入れました。立地も造りも、この店は一般の花屋と比べるとちょっと変わっているんじゃないかと思います。というのも、私に花屋で働いた経験がないから。店舗などの空間デザインの一環で植物を多く扱っていた流れからフラワーデザインをするようになったので、いわゆる“お花屋さん”のやり方を知らないんです。

●そうなんですね! どうしてこの店を始めることになったのか経緯をお伺いしたく、幼少期のことから聞かせていただけますか?
幼い頃は神奈川や千葉、東京を転々としていました。協調性のない問題児で、小学校6年間の通信表に毎年「個性的すぎる」と書かれたほど(笑)。親や先生には本当に申し訳なかったなと、今になって思います。絵を描くことがすごく好きで、小学2年生くらいの頃はひたすらシクラメンばっかり描いていた時期もありました。そのくらいのときってクラスではドッジボールやドロケイとかが流行っていたんですけど、まったく加わらないものだから、周囲から「あいつはノリが悪い」って言われてましたね。

●あらら……でもその頃から絵の題材にするくらい、お花が好きだったんですね。お花との繋がりはどこから生まれたのでしょう?
祖父が千葉県で不動産業の傍ら花の生産をしていて、品評会で賞を獲ったり花農家として出荷したりしていたんです。祖父の家に長く預けられていた時期もあったから、花はわりと身近にあったかな。あとはおばの家が森の中に住んでいる芸術一家で、花を飾っていることが多かったですね。特におじは造形作家で、美術大学で教授を務めているような人だったんです。森の中にトトロを探しに行くような遊びを子どもと本気でやってくれるおじさんだから、私はすごく懐いていました。
ある日おじが、ジブリ作品の『魔女の宅急便』が好きな私に、魔法のホウキをつくってくれて。それがまた、プロだからすごい完成度なんですよ。それですっかり空を飛べる気になって、本当に2階の窓から飛び降りてしまい、骨折したことも(笑)。でもそれくらい、おじの家にいるとなんでもできる気になれたんです。

●子どもの夢を叶えてくれるおじさんだったんですね。そういう環境により、自然や花と身近に。
自然は当たり前に近くにありましたね。特に花が好きになったきっかけは、母だったのかな。母は超現実主義の人で、切り花を家に飾るタイプではなかったですが、とにかく自然が好きでめちゃくちゃ散歩していたんです。朝、昼、夜と、下手したら1日に3回も外に出る、ゴールデンレトリバー並みの散歩量。野に咲く花や季節の雑草に詳しくて、『これはハコベだよ』とか『この花はこういうところで咲くんだよ』とか、いろいろ教えてもらいました。家にきれいな花の図鑑はなかったけれど、野草図鑑がたくさんあった記憶が。

●そうして一緒に散歩に出る中で、花と触れ合っていたのですか?
はい、原っぱに咲いてる花を摘むのが好きでした。おままごとも野の花を使ってやっていたし……絵を描くとか積み木、おままごとって、室内でする遊びですよね。でもそういうことも含めて、何をするにも基本的に材料は外で採れたものを使っていました。例えば花をつぶして、そこから絵の具をつくって絵を描くとか。

●幼い頃、将来の夢などはありましたか?
どんな職業に就きたいという想いはなく、小さい頃は色とかだったと思います。“青になりたい”みたいな。
絵が好きだったので美術高校に行こうかとも考えましたが、先生にもおじにも、描く絵を見て「今は自由に描いて、美術系の学校に進学するのは大学からのほうがよいタイプ」とアドバイスされ、普通高校へ進学しました。そこも楽しかったですよ。友だちと遊んでばかりでしたけど……。カラオケに行ったり、ただ公園でしゃべったり、ゲームしたりしてました。その頃から美術の予備校には通っていたので、二つの世界を行き来しているような感覚でしたね。

●そこから美術大学に進学されたのですね。
はい。進学してからは、レストランに絵を描くアルバイトなどをやっていました。美大って、美術系の学生向けの短期バイトの募集が来て、生協とかに貼り出されるんですよ。レストランの壁面や美容室の壁に青空を描いたり、遊園地のアトラクションの岩をひたすら塗ったり。ただその後、2年生のときに“もういいかな”と思って大学を辞めてしまったんですけど……。
その後、大学のつながりで照明などの環境デザインを手がける会社に入社しました。手描きのパースやイメージラフを描ける、美術系の人材を探していたみたいです。そこで2〜3年ほどデザイナーとして働きましたが、なんと会社が倒産してしまって。
そのときに“次は限られた空間をつくってみたい”と考え、店舗をメインに扱う空間デザインの会社へ就職しました。空間って、そこにいる人やもの、匂い、天気……いろんな要素でガラリと変化するんですよね。それがおもしろいなと思ったんです。
ビーズをつなげてシャンデリアをつくったり、壁に飾る装飾品を製作したりといった中でも、グリーンを活かした店舗に携わる仕事が多くて。花屋と一緒に取り組む案件も増えていき、そこから花を使った装飾の道へ移行していきました。

●そこでいよいよ、フラワーデザイナーとしてのキャリアを積むことに。
そうですね。パソコンで作業や設計をするよりも、自分の手を動かして何かを生み出す仕事がしたかったんです。とはいっても、店舗装飾の仕事は体力勝負。店が閉店してから業務を始めて夜中に帰るなど、深夜作業が多いんですよ。体がしんどくて、一度離れて日系のメーカー企業で事務職に就いたこともありました。
でもやっぱり空間デザインがやりたくて、元の会社からフリーランスとして業務を引き受けたり、知り合いの花屋の案件をもらったりするように。思えば学生の頃からずっと、いい匂いのするほうへ誘われるような形で、楽しいことだけを追いかけていました。その頃も“このままフリーランスで空間に関する花の仕事ができたらいいか”とぼんやり感じていて。でもそんなとき、母が癌を患ってしまい、余命半年を宣告されたんです。

●なんと、それはショックですね……。
それを聞いたときに、“もしも自分が子どもを残して死ぬとしたら、その子がどういう大人になってどんな人生を歩むのかを見られないのがいちばん悲しい”と思ったんです。それで、“母が生きているあいだに自分の一生を見せてあげよう”と決意しました。

●お母さんに安心してもらえるような人生プランを立てたということですか?
そうなんです。覚悟を決めて、空間装飾の専門知識を身につける学校に通ったり、それまでよりも大きい案件を受注できるように働きかけたり。また“私は50歳のときにはこうなって、60歳のときにはこうなるよ”と、年表を書き出して母に見せました。そこで初めて、自分が死ぬまでの人生をしっかり考えたんです。そうしたら、その半年で自分自身がすごく変わりましたね。
けっきょく母は亡くなったのですが、“母に誓って約束した人生をちゃんと成し遂げよう、命を燃やして生きよう”という強い思いが生まれて。ただ“楽しいから、好きだから”でなく、ちゃんと自分で生きていこう、と。

●お母さまにもその想い、きっと伝わっているでしょうね。
だといいです。実はそのとき年表に“店をオープンさせる”とは書いていなかったのですが、“自分のチームやアトリエを持つ”とは書いていたんです。それが今、ちょうどこの店で実現していて。

●それはすごい! 実際に店舗を抱えてみて、いかがですか?
店舗を持つということは、それまで自分の中にはなかったビジネスについて考える必要が出てくるということ。その過程ではどうしても、“本当の意味で自分の表現じゃない”とか“お金がないと動けない”と感じることも出てきます。窮屈だけど、だからこそ自分にとってプラスの経験になるかなと思い、「BANK」への出店の誘いを受けました。
お店をやっていていちばんうれしいのは、働くメンバーの成長をほかの人に褒められたとき。うちは従来の花屋っぽくないのですが、特定のスタッフがお客さんにつく担当制を採用しているんです。いい子たちが集まって即戦力となってくれ、今ではお客さんのほうから各スタッフを目当てに来店してくださることも多いんですよ。それぞれの個性が光る接客を実現できているからなのかな、と思います。

●兜町という場所に対する印象は?
人が変われば装飾も空間も変わるので、私自身、場所にこだわりは持たずにやっていますが、兜町はとても楽しいと思います。「K5」が好きでよく行きますし、「Keshiki」も気持ちいい場所ですよね。空間はもちろん、イベントのポップのデザインなども好きで、いつも注目しています。

●細川さんが、自身のクリエイションで大切にしているモットーはなんですか?
そうですね……。言葉にするのは難しいですが、植物の、普段はあまり見えていない部分を自分の作品で出せたらいいなとは考えています。植物ってきれいだけど、繁殖のしかたや形状、ほかにはない光沢感などが、ちょっと怖くてゾワゾワッとくることもある。小さくてきれいな花だけを見ていてもわからない、そのゾワゾワッと感覚が動く感じを表現できたらいいですね。その“驚き”は、幼少期の遊びだったり、母との散歩で培ったものです。見た人が「わあっ」て心を動かすというか、気持ちの温度が上がるものをつくれたら。

●今後、「fête」を通して新たにやってみたいのはどんなことでしょうか?
花の産地や農家さんとの取り組みに力を入れていきたいです。今、お花をつくる人がすごく減っていて、農協も発信をおこなっているものの、もっとうまくできると思うことがけっこうあるんです。「BANK」で店舗を運営していると、花の業界にかぎらず“物事はもっとこういう形でこういうふうに広められる”とか“この業界はこういうところと親和性が高い”ということがわかるようになってきたんですよ。それで近い将来、そうした知見を活かして花の産地と企業をつなげたり、人々が花を買うきっかけを増やしたりといったことができないか探っているところ。
野菜と同じように、花も産地や作り手によって品質や特性がガラリと変わるんです。それがもっともっと一般にも広まれば、農家さんのモチベーションアップにも影響するし、“この人のお花だから買ってみようかな”という動機にもつながるはず。産地へ実際に足を運ぶことも、もちろんありますよ。どんどん新たなつながりを増やしていって、産地と市場と店舗と消費者、みんなが花を通して笑顔になれるような流れをつくっていきたいと考えています。

細川萌

細川萌

Moe Hosokawa

神奈川県生まれ。自然や植物が身近にある環境で育ち、花や動物に関する豊富な知識と愛情を養う。内装デザインの仕事を通して、植物を用いた空間装飾の道へ。極彩色を用いていながら洗練されたバランスのよい作風が評判を呼び、兜町で人気の「Patisserie ease」の装花も手がける。ショップでは、ドライフラワーとアロマを組み合わせたオリジナルプロダクトをつくるワークショップも実施。

Text : Misaki Yamashita

Photo : Naoto Date


兜町の気になる人

イベントのキーヴィジュアルを毎回チェックしていますが、いつもセンスのよい素敵なものばかり。あそこで展示をするアーティストさんはどんな人たちなのだろうと考えるとワクワクします。