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伊藤暢洋
伊藤暢洋

2021.08.06

伊藤暢洋

Omnipollos Tokyo ストアマネージャー

アンカーとして伝えきる
ハイセンスな空間円滑剤

自ら足を運び行動するなかで得た経験を活かし、旅行者のような視点でこれまでの経験という点をつなぎ兜町にたどり着いた伊藤暢洋さん。蓄積された点はやがて線となり、どんな未来を描くのだろう。ストックホルム発のクラフトビールブランドOmnipolloを通じて、彼が手渡すビールの先に広がる景色は、ライフスタイルという視点とともに兜町から発信され、クラフトビールの可能性を広げていく。

●ご出身と学生時代に打ち込んでいたことを教えてください。
三重県の四日市市出身です。中学からずっとハンドボールをやっていて、親善試合で中国に行ったこともありましたが、残念ながら全国には届かず。ハンドボールを専門に学科を1教科に絞って岐阜の大学に入り、教育学部で保健体育学科を専攻していました。

●四日市はどのような場所ですか?
茶畑が広がっていて、お茶農家さんが多いんですが、静かな場所もあれば荒れた場所もあるし、海や山だけはありましたけど何もすることがなくて。遊びに行くとしたら名古屋まで行っていましたけど、東京育ちの感性には地方育ちは敵わないと思っていました。

●大学ではどのようなことを学びましたか?
体のつくりから何から勉強するのですが、基本的には自分が体を動かすことが好きだったので、そこまで興味を持てなくて。流れでそのまま就職まで進みました。

●どちらに就職されたのでしょうか?
当初は、好きだった体育を高校で教えたかったのですが、県内の募集枠は年に6人以下と入り口が狭く、大学での実績が重視されることもあり断念しました。代わりに、年に200〜300人ほど募集していた小学校の教員採用試験を受け、30歳になるまでの8年間は、三重県の小学校で体育の先生をしていました。

●実際に小学校の教員として働いてみていかがでしたか?
何となく教育学部を出て就職したものの、全然想像と違うし、ずっと続けるつもりはありませんでした。なので、30歳になったら一区切りつけて、何でもいいから自分でお店をやろうと思っていました。ラーメン屋とかも考えていたのですが、自然と興味がコーヒーに向いて、TRUNK COFFEE(※1)でバリスタとして働き始めたんです。

※1 TRUNK COFFEE
名古屋・高岳のスペシャルティコーヒーロースター

●教員からバリスタは面白いですね。最初は大変だったんじゃないですか?
完全にコーヒーをナメてましたね(笑)。先輩は全員ストイックだし、めちゃくちゃスパルタで。オーナーはFUGLEN(※2)を日本に持ってきたヘッドバリスタで、朝5時までトレーニングさせられていました。サードウェーブコーヒー(※3)の波を肌で感じつつ、一から勉強して食らいついていました。

※2 FUGLEN
オスロ発のコーヒーショップ

※3サードウェーブコーヒー
2000年頃にアメリカで起こったコーヒームーブメントにおける第三の波。

●体育会系より体育会系じゃないですか(笑)。でも、スポーツをやっていて役に立ったこともあったのでは?
教員時代もそうでしたが、メンタルが強くなったことでしょうか。何を言われても動じない強靭なメンタルは役に立ったかなと。普通、心折れますもん(笑)。あとは、ハンドボール部だったのでチームワークと体力でしょうか。やったことがある人なら分かると思いますが、ハンドボールって想像以上にハードなスポーツなんです。

彼らってただのビールブランドではなくて、ライフスタイルブランドなんです。

●本格的にバリスタとしてのキャリアをスタートしたわけですね?
そうなんですが、TRUNK COFFEEのイベントでバックアップスタッフとして来日したノルウェー人のバリスタと出会い、カッコいいなと思って、一年半働いた後にノルウェーへコーヒーを学びに行きました。いろいろ面白そうなコーヒー屋がありましたが、日本を飛び出したものの、伝手があったわけでもなく、最初の2ヶ月間は無職で……。何も考えずに飛び込んだので、宿から見つける始末でした。ホステルの24人部屋に泊まりながら過ごしていましたが、いびきがうるさくて全然眠れないし、11月頃行ったので、お昼に陽が昇ったと思ったら15時ぐらいには段々と辺りが暗くなってくるんです。今度ばかりは心が折れそうになって。

●初ノルウェーは過酷だったようですが、それでも日本には帰らなかったのですか?
やっぱり何もせずには帰れなかったですよね。でも、日本人のおじいさんがやっていたラーメン屋さんで「何してるの?」って声をかけてもらって。

●ラーメン好きですね(笑)。何ていうお店だったんですか?
Sapporo Ramen barというお店です。稲毛さんには本当に救われました。そこからは徐々に生活を整えていって。そのうち、向かいの店舗に空きが出て、そこでコーヒーやらないかって話にもなり、店長をやらせてもらって。

●本当に良かったですね。
ワーホリで行ったので、一つの店で働ける期間が6ヶ月だったこともあり、次の店舗を見つけないといけなかったのですが、実はずっと働きたかったコーヒー屋があったんです。3ヶ月間通っても雇ってもらえなかったSupreme Roastworks(※4)という店なのですが、その店を辞めるスタッフが「私の代わりにアプライしてみたら?」ってわざわざ僕のお店まで来てくれて。それで最終的に働くことができたんです。

※4 Supreme Roastworks
2008年よりロースターとして始まり、2013年にオスロで店舗をスタートしたノルウェー発のコーヒーロースター。

●北欧は物価が高いと思いますが、生活は楽になりましたか?
毎月ヨーロッパ各国へ旅行に行っていました(笑)。あっちのバリスタって結構お給料もらえるんですよ。だから、ハンガリー、ドイツ、オランダ、イギリスと毎月どこかしらへ行っていました。街の雰囲気はイタリアが一番好きでしたね。その後、就労ビザに切り替えたかったんですが、結局上手くいかずに日本に戻って来ました。

●帰国後は、また名古屋へ戻ったのですか?
そうなのですが、長野のAJB(※5)というクラフトビールのブリュワリーが2号店を出店するにあたってTRUNK COFFEEからエスプレッソマシンとコーヒー豆を購入していたこともあり、急遽バリスタとしてその2号店で住み込みで働きながら、ビールの世界も覗いていたんです。TRUNK COFFEEでもクラフトビールを扱っていたし、ノルウェーでもホームブリューイングをしていたので、元々ビールは好きだったんです。

※5 AJB
Anglo Japanese Brewing Companyは、長野県野沢温泉村で2014年に誕生したマイクロブルワリー

●それでOmnipollos Tokyoにつながるわけですね。
TRUNK COFFEE時代に一緒に働いていた友人からビールに詳しい人を探していると連絡が入り、慌てて東京に引っ越して来たんです。

●その軽快なフットワークにはいつも驚くのですが、Omnipollo自体はご存知でしたか?
もちろんです! 向こうでは有名ですから。初めて飲んだのはTRUNK COFFEEでも扱っていたネブカドネザルというIPA(※6)で、すごく美味しくて今でもお気に入りのビールなんですが、当時は衝撃を受けたのを覚えています。でも、彼らってただのビールブランドではなくて、ライフスタイルブランドなんです。

※6 IPA
Indian Pale Aleというビールスタイル。通常のビールより度数は高く、琥珀色で苦味が強い

驚きだとか、違和感みたいなものが体験できるので、クラフトビールの入り口としては結構面白いと思うんです。

●元々、Karl Grandin(※7)がやっていたスキニーデニムのCheap Mondayは日本でも流行りましたよね。当時、Franz Ferdinand(※8)が流行っていて、いろんなアパレルブランドがスキニーデニムをリリースしていた頃で。Pigalle(※9)やCOMMUNE(※10)、Kabi(※11)での彼らのイベントには、いつも遊び心やギミックがあるのが面白くて、ビールファンのみならず、若い世代も集まっていた印象でした。

クラフトビールの概念が変わりますよね。ワインみたいな味のビールもあれば、ソフトクリームマシンで仕上げたフローズンがのったものまであって、こんなに幅があっていいんだみたいな。どれも美味しいのは根底にあるんですけど、それ以上にアートだったり、キャッチーな見せ方だったり。ジャケ買いじゃないですけど、驚きだとか、違和感みたいなものが体験できるので、クラフトビールの入り口としては結構面白いと思うんです。好きな人にはコアなビール、苦手な人にはジュースのようなビールといったように、誰しものきっかけになり得るビールなんじゃないかって。

※7 Karl Grandin
2004 年にスウェーデンでスタートしたブランドCheap Monday のプリントデザインやグラフィックを手がけるアーティストであり、ファウンダー。2011年に相方のHenokと共にOMNIPOLLOを立ち上げた。

※8 Franz Ferdinand
スコットランド グラスゴー出身のロックバンド。シングル『Do you want to』で2005年に日本でもブレイク

※9 Pigalle
三軒茶屋のクラフトビール専門店

※10 COMMUNE
みどり荘表参道や自由大学が入る、表参道のコミュニティスペース

※11 Kabi
日本、フランス、デンマークなど多様な文化によって創発された東京・目黒のレストラン

●お店のBGMは誰が担当しているんですか?
本国チームのKarlやHenokのプレイリストなんかを流しています。Tシャツなどのグッズも展開しているし、すごくかわいいので見てもらえると嬉しいです。

●兜町の印象はいかがですか?
僕自身、まだ東京に来て間もないので、逆にどんな場所なんだろうと思っているのですが(笑)、渋谷とかじゃなくて落ち着いた雰囲気の街でホッとしています。ほとんど旅行者のような気分でいるので。

●逆にニュートラルな視点があるのは良いことかもしれませんね。
常に観光気分でいることで、外から来た人と同じ視点で街を見ることができれば、今までにない発信の仕方やイベントにもつながるかもしれません。歴史の中に新しい要素を生み出すというところでは、つながる部分があると思っています。本国チームは今まで自身のブリュワリーを持たずに、コラボレーションでいろんなビールを樽単位で借りて、ある種ファントム的なつくり方をしていたのですが、最近ストックホルムの教会を彼らのブリュワリーに改装したんです。なので、この店でも元々鰻屋だった歴史的な背景のなかでクラフトビールを通じて新しい要素を発信していきたいですし、もっと外に出てイベントをすることでファンを増やして、その結果、この街を訪れてもらえたらいいなと思っています。

教育学部というレールの上に乗ってきたわけですが、やっぱり外の世界を知れて良かったし、そういった経験を伝えていきたいんです。

●これまでの人生の中で自身がつくってきた点が予期せず線として繋がったことはありましたか?
コーヒーとビールがつながったのもそうでしたが、教育が思わぬところで活きてくるのではないかと思っているんです。小学校の先生をしていて感じたのは、先生たちって自分たちが築いた世界の中で生きていて、ある種、内側のみを見ている中で教育に携わっていると思っていて。でも、子どもたちって外を向いてこれから生きていくわけじゃないですか。だから、先生として外を向きながら子どもたちの未来に向けて一緒に成長できる視点が必要になるんじゃないかって。

●教育の視点でいくと、従来の教育というレールに乗ってきた先生の経験だけではなく、一旦レールから降りて、いろんな世界を見てきた人の見解を子どもたちの選択肢として与えることができれば、将来の視野も広がりそうですよね。
僕自身、教育学部というレールの上に乗ってきたわけですが、やっぱり外の世界を知れて良かったし、そういった経験を伝えていきたいんです。四日市に戻ると、当時は子どもだった自分の生徒たちが結構大きくなっていて、そこでの再会って、人と人の新たな出会いでもあるので、その時に刺激を与えられるようなコミュニティを形成していきたいんです。8年間教えていたので、300人は顧客がいますから(笑)。

●でも、これだけ行動力があると失敗も多かったのではないですか?
やっぱり宿を取ってから海外へ行かないとですよね(笑)。とりあえずイエスと言って行動に移してきたので失敗はありましたけど、その分得る経験もあったので、最終的には失敗とは思っていません。

そこに美味しいビールがあることでコミュニケーションが円滑になるというか。
自然にあるから気づかないんだけど、実はいろんな影響を与えているんですよね。

●ビールをサーブする上で大切にしていることがあれば教えてください。
ビールもコーヒーもそうですが、つくり手の想いやストーリーを最後にお客さんへ手渡すアンカーとしての役割と捉えています。コーヒー豆農家、焙煎士、ホップ農家、醸造士、そうやってバトンを運んできてもらっているし、だからこそ、ここで気を抜くわけにはいかないじゃないですか。そこでバトンを落としてしまうと全てが台無しになってしまう。美味しいのは当たり前で、それとは違ったレイヤーを演出していきたいんです。このビールがあったから最高の一日になったみたいな。

●言葉で表現するのは難しいですが、確かに場を司るメディアというか、空間を一つにする役割ってある気がしますよね?一杯のコーヒーが良いミーティングをつくるみたいに。
ワインもそうだし、アートとかもそうだと思うんですけど、そこに美味しいビールがあることでコミュニケーションが円滑になるというか。自然にあるから気づかないんだけど、実はいろんな影響を与えているんですよね。会話が弾んだり、新たなアイデアが浮かんだりするのは、結構そういう要素が大きいと信じています。

●少し話がズレるかもしれませんが、クラブでドリンク片手に踊ってる人ってたくさんいますけど、実はみんなグラスにしがみついていると思いませんか?(笑)そういう精神安定剤みたいな役割もある気がしていて。
元来、モノにはそういう力があるのかもしれませんね。その空間に所属するための切符のような効果というか。でも、そこに自然な形でこれまでのストーリーや美味さが加われば、きっと特別なものになるんじゃないですかね。そういった感覚をこの兜町でクラフトビールを通じて体感してもらえたら嬉しいです。

伊藤暢洋

伊藤暢洋

Nobuhiro Ito

1987年、三重県生まれ。岐阜の大学では教育を専攻し、小学校教師を8年間務めた後、バリスタへと転身、ノルウェーに渡る。帰国後、兜町のプロジェクトに加わり、Omnipollos Tokyoのストアマネージャーとして兜町の店舗に立ち、ビールをサーブする傍ら、イベント企画にも携わっている。

Text : Jun Kuramoto

Photo : Naoto Date

Interview : Jun Kuramoto


伊藤暢洋

Omnipollos Tokyo ストアマネージャー

ローリエ ママさん

兜町の気になる人

ローリエ ママさん
真向かいにある麻雀店のママさんには、いつも表で挨拶しているのですが、すごく良い人で、いつか打ちに行きたいと思っていますし、昔からの兜町を知っていそうなので気になっています。