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大山恵介
大山恵介

2021.06.02

大山恵介

ease店主・パティシエ

レストランのライブ感を
パティスリーのケーキに封じ込めて

兜町でひと際行列を成す、パティスリーease。ワサビとイチゴ、紫蘇と日向夏といったユニークな素材の組み合わせや、お客さんが自宅で食体験を楽しめるようにソースを付属したケーキなど、店主・大山恵介さんの独創的な感性は評判高い。フランスの修業時代から名店シンシアまで、シェフパティシエとして腕を磨いてきた経験がいまの彼を作り上げている。

●お菓子作りには、いつから興味があったのでしょうか?
実際には、お菓子というより料理にずっと興味がありました。小学生の頃、親が働いていて鍵っ子だったので、毎日、簡単な軽食を自分で作っていたんです。お菓子はまったく作ったことがなかったんですが、料理の専門学校を探している時にお菓子作りを体験する機会があって、料理より自分に向いているんじゃないかって感覚的に思ったのがきっかけですね。

●それで、お菓子作りの専門学校に進んだんですか?
そうですね。料理とお菓子というカテゴリーが別だとは思っていなかったんです。パティシエという職業も知らなかった。料理という延長線上にデザートがあって、それを専門的に学べる学校があることを知って興味を持ったという感じでした。

●実際に学んでみていかがでしたか。
和洋菓子について作り方を学びました。料理もそうですけど、やればやるほど身についていく感覚がおもしろかったです。勉強はあまりしてこなかったんですけど、昔からスポーツとかコツコツ練習するタイプだったんで、やったらやっただけ身につく技術職は性に合っていると感じましたね。

●卒業後は、すぐパティシエの道に?
卒業して最初に勤めたのは、イデミスギノ(※1)というパティスリーです。自分が未熟だったので、相当打ちのめされました(笑)。1年半厳しく教えていただきながら修行して。その後、フレンチレストランにアルバイトとして入りました。フランスに留学したかったので、そのお金を貯めたかったんです。デザートをやらせてもらう中で、レストランのパティシエっておもしろいなとも思いました。同じお菓子作りでも、ケーキ屋とレストランのパティシエって全然違ったんですよね。

※1
京橋にあるパティスリー。日本を代表する菓子職人のひとり、杉野英実氏の店。

●ケーキ屋さんとレストランのパティシエって、何が違うんでしょうか?
すごく簡単に言うと、レストランのデザートは、形状を3分間保てればいいんです。ケーキ屋は、半日から丸一日、形状をキープしないといけない。その自由度の違いというのがありますね。

●形が崩れないことを前提にするか、3分間ベストな状態を保つかで、アプローチもかなり変わりますよね。
そうですね。味の感じさせ方とか温度とか、全部変わります。本当に別の職業と言ってもいいくらい、ケーキ屋とレストランのパティシエはやっていることが全然違うんです。僕はレストランのパティシエに進んでいったので、3分間保たせる方に力を注いでいったという感じですね。

●フランスでも、レストランでパティシエの修業をしたのですか?
フランスのアルザス地方にある小さな町のオーベルジュで修業しました。杉本さんというフレンチシェフのポップアップイベントを手伝う機会があって、その時にアルザスで一緒に働かないかって誘ってもらったんです。ワーキングホリデービザで行って、実際に働いたのは半年くらいでしたね。Nekiの西くんも一緒に働いていました。

●西さんとは、隣の部屋で暮らしていたと聞きました。
お店の裏の小屋みたいな寮で、西くんとは、ほぼ一緒に住んでいましたね(笑)。町自体とても田舎にあって、土日なんてバスはほぼ出ていない。朝スーパーにバスで行ったら、夕方まで帰ってこれないくらいです(笑)。休日にすることといえば、散歩するか山に登るくらいで。西くんとは一緒に山に登って、食べられるかわからないキノコを採ったりしました。切ったら青い汁が出てくるようなキノコで、見た目はやばかったけど、炒めてみたりして(笑)。

●すごいエピソードですね(笑)。フランスから帰国後はどうしたんですか?
やっぱりレストランに入りました。ひらまつ(※2)みたいな大きい婚礼があるレストランや、町の10席くらいの小さなレストランで、パティシエ兼料理人として勤めました。もともとの夢だった料理人としても、しばらく働いたという感じですね。

※2
広尾にあるフランス料理のレストランひらまつを中心に、高級レストランやホテルを経営するグループ。

●自分の店を持つことは、いつから考えていたんですか?
実は、小さなカフェを友人と起ち上げて経営していたことがあったんです。武蔵小杉にある、路面店でもない2階の物件で。僕が料理もお菓子も作って、友人がサービスして。宴会料理からパスタやフレンチトースト、なんでも作ったんですけど、その経験をしたことで、やっぱりケーキ屋をやりたいという思いが募りました。カフェは失敗でも赤字でもなく、かといって大成功でもなく、本当に普通の感じで経営していたんですけど、毎日パスタを100皿作りながら、いままでの経験がここに繋がっているか、これからもやりたいことなのかって考えてしまって。それで辞めることにして、その後シンシア(※3)にパティシエとして入りました。

※3
伝説的な店バカールの石井シェフが手がける、北参道の一ツ星フレンチレストラン。

●なぜ改めて、パティシエとしてシンシアに入ることにしたんですか?
カフェの経験を通して、自分の将来を真剣に考えるようになりました。将来的にケーキ屋をやりたい、そして流行らせたい、と。自分が有名になりたい気持ちはないですが、ケーキ屋を流行らせるためには有名パティシエにならないといけない。そのプロセスを踏むにはどうしたらいいか考えるようになって、シンシアのシェフ石井さんに相談しました。将来自分で店をやりたいから、シンシアで働かせてもらう代わりにパティシエとして表に出るサポートをしてくれないか、と。石井さんは有名な方だし、背中を押してもらうことが近道だと思ったんです。26とか27歳の頃だったと思いますが、図々しいですよね(笑)。

●若くから将来への設計図ができていたんですね。シンシアでのパティシエ時代は、財産になりましたか?
そうですね。石井さんが本当にいい方なので、デザートは僕の名前で出していいと、完全にまかせてくれて、他の企業とのコラボも積極的にやらせてくれました。シンシアでは、お客さんに自分でサービスするスタイルだったんですが、毎回、自分で作ったお菓子を提供するプレゼンみたいな感じなんです。3年間その繰り返しで、ファンになってくれたお客さんも多かったので、いざeaseを始めた時に来ていただけたのは大きかったですね。早くから、メディアの人に認知してもらえたということもありました。

なにかしらレストランで楽しむような、その場で誰かが作ったものを食べるフレッシュな食体験やライブ感をケーキに落とし込めないかなと考えました。

●兜町でeaseを始めることになったいきさつは?
シンシアで働いていた時、RED U-35(※4)という料理の大会に出たんです。パティシエながら応募してみたら、勝ち進んでいって。そこで一緒になった森枝幹シェフ(※5)に、おもしろいことやるから一緒にやらないかって誘われた感じです。

※4
若い世代の才能を発掘する、日本最大級の料理人コンペティション。

※5
オーストラリア「Tetsuya’s」で料理を学び、帰国後さまざまなジャンルの名レストランで修業を積み、渋谷パルコにタイ料理店CHOMPOOをプロデュース。フードマガジンの編集など、活動も多岐にわたる。

●easeってケーキも内装もなかなか他にはないパティスリーだなといつも思っているのですが、どんなコンセプトで始められたのでしょうか?
僕はレストランでずっと働いてきたので、ケーキ屋での経験は最初の1軒だけ。ほぼケーキ屋の経験がないのに、ケーキ屋をやることになりました。ノウハウもない、イチから全部自分で考えないといけないとなった時、パティスリーって似たり寄ったりな店が多いなと思ったんです。店舗デザインや店の見せ方、ケーキの並べ方や形……修業した店や周囲の流行に寄せていってしまうというか。ほとんど一緒で色が違うだけみたいな、そんな流れが強くて、同じような店はやりたくないと思いました。レストランのデザート畑で育ってるんで、3分とは言わないですけど、なにかしらレストランで楽しむような、その場で誰かが作ったものを食べるフレッシュな食体験やライブ感をケーキに落とし込めないかなと考えました。

●そうした食体験をケーキに落とし込む時に、具体的にこだわったのはどんな点ですか?
お客さんの印象に残るケーキにしようと思いました。みんなが年間でどれくらいケーキを食べるかわからないですけど、1週間後には何を食べたか覚えてないと思うんです。特にショートケーキとか日本全国どこのケーキ屋でもあって、写真を振り返って見た時に、どこのケーキ屋のものだったかなんて思い出せないんじゃないかって。どれも大体同じだから、記憶に残らない。だから、このケーキはeaseで買ったって、すぐ結びつくようなものを作りたいと思いました。ショートケーキにはワサビが入っていたり、フルーツが季節ごとに変わったり、ソースがついていたり……付属のソースは家でお客さん自身にかけてもらうんですけど、自分で何かするというひと手間も、些細なことだけど印象に残ると思うんです。あのソース付いている店ねって。そのちょっとしたことでも、お客さんが1年後も覚えてくれるといいなと思いました。

●ショートケーキにワサビを合わせる、そのインスピレーションはどこからくるものなのでしょうか?
パティスリーの厨房には、ワサビや山菜は基本的に絶対ないんです。でも、レストランではそういう食材が手の届くところにあって、パッと試せたというのが大きいですね。ちょっと疑問に思った時、イチゴとワサビは合うんじゃないか、山菜と日向夏は合うんじゃないかって、簡単に味を試したり記憶したりすることができた。その経験があったから、ケーキ屋として独立してから、いざケーキを自分で作ろうと思った時に、普通のパティシエより引き出しが多かったかもしれないですね。

いつか兜町の中で、廃棄物をうまく使った食の良いサイクルを生み出すことができたらいいなと思っています。

●いま、兜町のほかに伊勢丹新宿店にも出されていますよね。すべてを見るのは大変だと思うのですが、スタッフ教育で心がけていることはありますか?
伊勢丹新宿店には、兜町のeaseで作ったお菓子を毎朝持って行っています。スタッフはわりと多くて、いま20人くらい。製造する中でレベルが追いつかないというか、僕が想定していたものに答えられないスタッフも実際います。自分が作れば100点ないしは80点の出来上がりで、ほぼ失敗しない。僕は職人気質なので、スタッフが60点のケーキを作ったら怒ってしまうこともある。でもそれによってスタッフが疲弊して、よりおいしくないものを作るのは本末転倒です。どうしたらいいか考えた時、お客さんがおいしいと感動する基準には、味だけでなく、どんなシチュエーションで食べるか、誰と食べるかというのも大きいのでは、と思いました。ここのケーキを買ったという付加価値というか、そういうことも大事なのかもしれない、と。この焼き色や温度でないとって、もともと僕の中で細かい基準があるんですけど、そのこだわりって自己満足の世界で、僕にしかわからないもの。自分の基準に縛られ過ぎず、おいしいものを届けることを点じゃなく面で考えるようになったことで、スタッフへの関わり方が変わりましたね。もちろん、許せないことは許せないですけど(笑)。

●easeのこれからは、どのようなことを考えていますか?
easeではないんですけど、僕が監修する店舗が6月に渋谷にできる予定です。10月には、平和不動産本社ビルの1階に、easeの姉妹店としてチョコレートショップを作ります。何をやるかはいま練っているところですが、チョコレートとアイスクリームを出す、ちょっと変わった店にするつもりです。僕の勝手な構想としては(笑)、ゆくゆくは、できれば兜町でパン屋もやらせてもらえたら楽しいなって思っています。そこでチーズも製造して、お菓子やパンに入れたりして。チーズの製造工程ではホエイが出てしまうんですが、チョコレートショップのドリンクやアイスクリームのベースに使ったりして、食の廃棄物もうまく使っていきたいですね。いつか自分たちの店舗だけでなく、兜町の中でそういう食の良いサイクルを生み出すことができたらいいなと思っています。

大山恵介

大山恵介

Keisuke Oyama

1986年、埼玉県生まれ。日本菓子専門学校卒業後、イデミスギノなどのパティスリーで経験を積む。渡仏し、フランスのレストランでデザートと料理を学ぶ。帰国後、さまざまなレストランでシェフパティシエとして働き、立ち上げメンバーであるシンシアでは1ツ星を獲得。2020年7月、兜町に自身の店easeをオープン。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Naoto Date

Interview : Akihiro Matsui


大山恵介

ease店主・パティシエ

東京証券取引所で働いている方々

兜町の気になる人

近所でありながら普段なかなか接点のない東京証券取引所で働いている方々は気になりますね。どんなストーリーを持った方々があの重厚な建物の中にいるのか気になっています。