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西恭平
西恭平

2021.05.21

西恭平

Neki 店主・シェフ

自分の好きを積み上げてつくった
新しいビストロのかたち

昼も夜も常に多くの人で賑わう、兜町の人気ビストロNeki。二ツ星レストランやビストロロジウラでシェフを務めてきた西恭平さんは、フランスの修業時代をともにしたeaseの店主・大山さんに誘われて、自身の店Nekiをオープンさせた。洗練された心地良い空間と料理には、彼がこれまで磨いてきた感性が詰まっている。

●出身はどちらですか?
京都の亀岡という場所です。市内から電車で30、40分くらい、山ひとつ越えたみたいなところです。25歳くらいまで、ずっと京都にいました。

●京都では、どんな仕事をしていたんですか?
最初の就職先は京都駅すぐのホテルグランヴィア京都で、そこで5、6年働きました。製菓学校を卒業したので、もともとお菓子づくりがしたかったんですが、製菓部は人が足りていたので、ホテルの中のフレンチレストランに回されたんです。
それが、料理を始めることになったきっかけです(笑)。

●昔からパティシエを目指していたんですか?
父親がホテルの総料理長だったということもあり、なんとなく僕も料理人になるんじゃないかなって昔から思っていました。でも高校時代ふらふらしていたというか、この先どうしようかなと思っていた時、お菓子づくりのほうが向いているんじゃないかと父にアドバイスをもらったんです。
音楽や美術が好きな学生だったので、お菓子のほうが料理より表現を楽しめるんじゃないかって。

●でも結局お菓子ではなく、料理のほうに回されることになったと。そんな奇遇なことがあるんですね(笑)。どんなフレンチレストランだったのですか?
ホテルの中のメインダイニングみたいな、ちょっといいフレンチレストランです。デザートまですべて自分たちでつくっていると知って、お菓子も勉強できるならいいかと思って働き始めました。当時19歳だったのですが、そんな若い子がすぐには配属にならないような、他で経験を積んだ人たちが来る場所で、そこに入れたのは、運良くというか悪くなのかわからないですけどね(笑)。右も左もわかんないし、料理もつくったことがなかったので、初めはすごく大変でしたね。でも、あの経験がなかったら料理を始めていたかもわからないし、わからないながらにも目の前のことをやりたいと思えるタイプだったんで、飛び込んで良かったなと思っています。

●料理の修業をする中で、最も学んだことって何ですか?
当時ってレストラン業界もイケイケな時代というか……料理人やっている人たちで僕の世代やちょっと上はみんな経験したような話かもしれませんが、自分も未熟だったため何度も厳しく怒られまくって。忍耐力がついたというか、精神的に耐えられるようになって強くなったというのはありますね。社会の厳しさを知りました。当時はすごく嫌だったけど、あの厳しい時代がなかったら、いまの自分はなかったかもしれないなと思います。

●Nekiにはそういった厳しい空気が全然ないですよね。マイルドなんだけど、ほど良い緊張感もあって、訪れるたびに良い塩梅のレストランだなって思います。
さすがに体育会系みたいな空気はないし、僕もそんなレストランにはしたくないし。でも仕事をしている時、料理をつくっている時は、良い意味で緊張感を持っていたいタイプなんです。笑って楽しくやるのもいいけど、その中でもぶれない部分というのが料理をつくる上で必要だと思っています。ほど良い緊張感というか、モチベーション高く仕事に取り組めるように、スタッフに声を掛けたりはしていますね。

料理を考えるクリエイティブなことだけでなく、職人として手を動かして決められた時間内でどれだけ美味しいものをつくるかということをストイックに学べた気がします。

●話を戻しますが、京都を出たのはフランス留学がきっかけですか?
はい、25歳の頃ですね。先輩にフランスのツテを紹介してもらって、そのタイミングで京都を出てフランスに留学しました。
ホテルで働く中で、自分の次のステップアップとして、フランスに行くか、東京に行くかって悩んでいたんです。

●フランスのどこに留学したんですか?
アルザス地方のリクヴィルという村で、10分歩けば一周できるくらいの小さな村です。
観光地なので、わりと大きなオーベルジュ(※1)があって、そこで研修みたいな感じで住み込みで働きました。

※1
宿泊施設を備えたレストラン

●そのオーベルジュで、easeの大山さんも働いていたと聞きました。
そうなんですよ(笑)。僕が働いて3カ月くらい経った頃かな、大山が入ってきて。一緒に働いていたのは半年くらいだったんですが、同じ寮の隣の部屋で暮らしていました。当時隣の部屋に住んでいたのが、いまは隣で店を出しているというね(笑)。

●アルザスで交差した人生がまた兜町で交差するというのはすごいですよね。フランスにはどれくらいいらっしゃったのですか?
1年くらいですね。最後の1カ月はフランスをぶらぶら一周していたので、実際アルザスで働いたのは10カ月くらいだったと思います。

●フランスでは、どんなことを学びましたか?
働き方です。日本とは全然違いました。オーベルジュのシェフが特に自分の時間を大事にする人だったので、彼の時間の使い方は新鮮でしたね。日本だと始発から終電まで働くのが普通だったけど、フランスは昼から働いて休憩もしっかり取って、閉店後はパッと終わって、みんなでお酒飲んだり、市場に行ったり、映画を観に行ったり、ワインの生産者のところに行って話したり。
いままで仕事しかしてこなかったから、どうやってこの時間を上手に使えばいいんだろうって思いました(笑)。でもその分、メリハリがあるんですよね。仕込みとか何時間もダラダラやるんじゃなくて、やるときはパッとやる。時間内に全部終わらせるけど、それでどれだけのものをつくれるか、どれだけ生産できるか。料理を考えるクリエイティブなことだけでなく、職人として手を動かして決められた時間内でどれだけ美味しいものをつくるかということをストイックに学べた気がします。

●フランスから帰国後は何をしていたんですか?
帰国後は一旦京都に戻って、お金を貯めようと思って1年ほどアルバイトしていたんです。東京に行こうと思っていたんですが、東日本大震災があった年で上京しづらくなったというのもありました。町場の洋食屋で働いて、オムライスとかカジュアルな洋食を作ったりもしていましたね。結果として、その経験はいまのNekiのランチにも繋がっていると思います。レストランの料理だけでなく、もっと気軽に食べられるようなものもつくるようになりました。

●その後は東京に出てきたんですか?
そうですね。新宿のキュイジーヌミッシェル・トロワグロ(※2)に入って、3年くらい働きました。その後、渋谷にあるビストロ ロジウラ(※3)で5年ほど働きました。

※2
ハイアットリージェンシーにあった二ツ星レストラン、2019年閉店。
※3
渋谷の路地裏にある、本格フレンチとワインのビストロ。

●ビストロ ロジウラの後、Nekiを始めたんですよね。店を持つことになったいきさつは?
大山からの誘いです。「こういう物件があるんですけど、独立とか考えてないですか?」って。まさにその頃独立を考えていて、京都に帰って店をやろうかとも考えていたんです。渋谷界隈にはすでにいい店がたくさんあるし、わざわざここでやらなくてもいいかもなと思ったりして、違う場所で店を出すって考えた時に、せっかく京都出身だし、京都で物件を探そうかなって思っていました。そんな時に兜町の話をいただいて、タイミングがバシッとあったというか。でも、まだその時は兜町って何もないところで、来たこともなかったし、場所さえ知らなくて(笑)。

言葉では言い表せないけど、そういう自分の好きがどんどん蓄積されて知見が溜まって、いまのスタイルになった感じです。

●Nekiっていまの時代のニーズや空気感を捉えたレストランだと思うのですが、どんな風にコンセプトを考えていたんでしょうか?
こういうレストランをやりたいからここでやりたいと思っていたわけではなくて、物件を紹介してもらって、ここで何ができるか、どういうことをやったらこの雰囲気に合うかを考えていきました。自分がこれまで勉強してきたフレンチをやりたいと思ってはいたけど、店の内装や雰囲気で料理も変わってくるかなとも思って。だから、最初からバシッとコンセプトが決まった状態で始めたわけではないんです。ひとつずつ要素を組み合わせてきたというか……。

●その西さんの感性はどうやって磨いてきたんでしょうか?
昔カフェが好きだったんですよね。20歳の頃にカフェブームがあって、そのカルチャーに憧れていて。京都にもいいカフェがあったんで、訪れては、かっこいい空間で店をやりたいなと思っていました。そこにめちゃくちゃうまい料理があったらいいなと思って、もっと料理を勉強しよう、フレンチをやるんだったらフランスに行こう、レストランで働くなら星付きレストランを見てみようって、そんな感じで積み上げてきたというか。
言葉では言い表せないけど、そういう自分の好きがどんどん蓄積されて知見が溜まって、いまのスタイルになった感じです。

●料理を考えるクリエイティブな部分を高めるために、何かやっていることってありますか?
料理だけでなく、いろんなものに興味を持つことですね。美術館に行ったりとか、みんなやっていることだと思うんですけど。アートを見て、食材ではどうしたらこんなきれいな色を出せるかなとか考えますね。あと、僕はレコードとか音楽が好きなので、レコード屋にはよく行きます。
新譜をチェックして、新しいものをどんどん取り入れるようにしていますね。デジタルでも聴くけど、それでもレコードがほしいと思ったら買います。音楽を買う時ってドキドキするじゃないですか。あの新しいものを知る感覚を忘れないようにしたいと思っています。

●よく聴く音楽のジャンルってありますか?
オールジャンルで広いんですが、もともとロックやパンクから入って、そこからヒップホップとか聴いたりしていました。
ハウスも好きだし、テクノも聴くし……日によってというか、1週間ごとくらいでテンションが変わってくるというか(笑)。定期的に聴いてしまうのは、ヒップホップだと、2Pacやノトーリアス・B・I・Gあたりのギャングスタ・ラップとか。中学校の頃のわいわいした感じを思い出して、懐かしいなってたまに聴いたりしますね。

●Nekiでの選曲も西さんがやっていらっしゃるとか。
そうなんです。レコードの良さって、その時の状況によって音楽を変えられるところで、天気がいいならこういう曲がいいよなとか、店が盛り上がっているならこの曲にしようとか、店のライブ感によってレコートで音楽を流していますね。自分だけでなく店の子にやってもらったりして、みんなで店をつくっていきたいなとは思っています。

96歳のおばあちゃんが「おいしい」って食べて帰ってくれるのを見ると嬉しいし、こんなに幅広い年齢の人たちに楽しんでもらえるっていいよなって思っています。

●今後は、どんなことを考えていますか?
Nekiでは、洋服を作っている友だちとか異業種の人と一緒に何かやってみたいなと考えたりしています。Nekiを長くやることが第一だし、夢みたいな話ですが、京都にもやっぱり店をつくりたいっていう気持ちはありますね。京都と東京の二拠点でできたらいいよなって。

●オープンから一年近く経ちましたが、客層は開店時から変わりましたか?
最初はご近所の方が多かったんですが、いまは外からも人が来てくれるようになりました。昼を中心に女性客がとても多いです。決して安い価格ではないのに、若い人もたくさん来てくれます。僕が同じ年の頃はこういうところで食事したりワイン飲んだりできなかったので、いいな、すごいなって思うこともあります。

●コミュニティって多様性がないと発展しないんですよね。Nekiはとても理想的で、兜町において若い人に文化を継承していく役割を担っていると思っています。
そうですね。いまのところ僕の知る限りは、1歳から96歳まで来てくれています。96歳のおばあちゃんが「おいしい」って食べて帰ってくれるのを見ると嬉しいし、こんなに幅広い年齢の人たちに楽しんでもらえるっていいよなって思っています。早くコロナが終わって、海外からも人が来てくれるようになるといいですよね。

西恭平

西恭平

Kyohei Nishi

1983年、京都生まれ。京都のホテルで修業後に渡仏、アルザス地方のオーベルジュで働いた後に帰国。二ツ星レストランのキュイジーヌ ミッシェル・トロワグロを経て、渋谷の名店ビストロロジウラのシェフを務める。2020年5月、兜町に自身の店Nekiをオープン。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Naoto Date

Interview : Akihiro Matsui


兜町の気になる人

これまで何度もご来店いただいている平和不動産の土本社長です。とても温厚で柔らかい人柄で、いつもいろんな方をご紹介いただいています。今の兜町をどう感じておられるかなと思っています。