●ご出身と学生時代のことを教えてください。
名古屋出身で、大学へ行くために東京へ出てきました。高校生の頃からギターをやっていて、漠然と音楽で食べていきたいという思いがあり、大学では音楽サークルに入りながらも、ギターのレッスン料を稼ぐために自由が丘にあるイタリアンのキッチンで働いていました。
●ちなみに、どんなジャンルのギターを弾かれていたのでしょうか?
ジャズが弾きたくて、レッスンではギター理論なんかを学んでいたのですが、何故だか全然ギターが楽しいと思えなくなってしまって。何なら飲食業の方が向いているかもって思い始めたんです。
●どうしてギターではなく飲食の方が向いていると?
好きだけど得意じゃないことと、得意だけど好きじゃないことってあるじゃないですか。ギターが前者で、練習するのが嫌だなと感じるようになってしまって。飲食の方は、純粋に調理を習得していく過程も楽しかったし、自分で食べてもおいしいし、さらにそれをお客さんとも共有できるのが気に入ったんだと思います。
●コーヒーとの最初の出会いは?
レストランの後、バイトを変えようと思って20歳のときに麻布十番のカフェで働くことになったのですが、当時では珍しくエスプレッソマシンを置いている店で、自社で焙煎した豆をバリスタが出していたんです。そこでアルバイトしたときに、コーヒーは好きだし得意だなということに気がつきました。
●就職活動はされたのでしょうか?
もちろんしましたが、数年働いたら独立して自分のコーヒー店でもやろうと軽く考えていたので、なかなか受からず(笑)。
親もどちらかというと保守的だったので、どうやって説得しようかと考えていました。
●どのようにご両親を説得されたのでしょうか?
バリスタの大会があったので、そこで人よりもできることを証明できればと思って出場したら、すんなり成績を残すことができて。
それで大学卒業後もカフェで働いていたんです。
●当時の東京におけるコーヒーシーンはどのようなものでしたか?
2009年頃でしたから、さすがにスターバックスはありましたけど、Paul Bassett(※1)というカフェが新宿にあって、そこではバリスタが出すちゃんとしたエスプレッソが飲めました。まだサードウェーブという言葉は一般的ではなかったと思います。
※1 Paul Bassett
バリスタ世界チャンピョンのPaul Bassettによるエスプレッソカフェ。世界中から厳選した豆を店内で自家焙煎し、バリスタが提供。
●就職活動で印象に残ったことはありましたか?
大手企業のコーヒー豆輸入担当者にOB訪問をしながら話を聞いていたのですが、僕がコーヒー屋で働くなかで感じたコーヒー熱の高まりや、思い描いた未来に対して、「いやいや、高品質って言っても、これくらいでしょ?」とか、「そんなことよりコモディティをやらないと」って軽くあしらわれて……。結局、5年後にコーヒーブームが到来するわけですが、今でもちょっと根に持っています(笑)。
●大学生活の終盤はどのように過ごされたのですか?
結局、ほとんど大学に通わない生活を送りながら、当時、渋谷にあったカフェで働いていました。フードディレクターがフードを監修し、コーヒーはブルーボトルコーヒー(※2)の豆を輸入するという気合の入ったカフェだったのですが、物事が計画通りにいかない状況を目の当たりにしながら、このまま黙ってここにいていいのかと考えていました。
※2ブルーボトルコーヒー
2002年に誕生したサンフランシスコ発のコーヒーショップ。サードウェーブコーヒーの代表格とされる。
●その後、どうされたのでしょうか?
偶然知り合ったメルボルンでバリスタをしている知人から「そんなにやる気があって、コーヒーができるなら、オーストラリアにいくらでも仕事あるよ」と言われて、3ヶ月後にはメルボルンに行っていました。
●決断力というか、行動力がすごいですね。
実際に行ってみてコーヒーが嫌いになっても、英語さえできれば第二新卒で就職できるだろう、くらいに考えていて。それで、24歳のときにワーキングホリデーでメルボルンへ行ったのですが、嫌いになるどころかどんどん好きになっていって、1年間コーヒーを学んで日本へ帰ってきました。
●メルボルンのコーヒーシーンはどのようなものでしたか?
3軒のカフェが街のコーヒーシーンを引っ張っていて、そういうところで働いてみたかったのですが、人気なだけに空きが出ず……。有名店から独立したバリスタがつくった新店舗のカフェで働かせてもらっていました。オーストラリアの人って間違いなくコーヒー好きなのですが、東京でいうコーヒー好きとは違って、そこまで詳しくないというか。もちろんなかにはマニアもいますけど、そこが大きな違いだと感じました。たかがコーヒー、されどコーヒーだなと。
●コーヒーが好きということの温度感が違うのでしょうか。
日本のラーメンみたいなものですよ。みんな好きだけど、実際にマニアって限られているし、ミシュランの星付きラーメン食べたことある人ってそんなにいないじゃないですか。当たり前に好きというレベルが大衆まで根を下ろしている。だから、おじいさんがいつも普通に飲んでいるコーヒーがあって、つくる人が変わるとすぐにわかるんです。「お前のコーヒーはまだダメだ」みたいに(笑)。
コーヒー好きな人が多いからこそ、グラデーションの精度が高いんですよ。そんな、誰がどんなスペシャルな豆を使って淹れた一杯とかではなくて。
●日本とのギャップが浮き彫りになったわけですね。
日本にいたときは、コーヒーってクールだなって、ある種の憧れを持ってオーストラリアへ行ったのですが、現地では普通というか。
気取らずコーヒーが飲まれていて、実際に現地に足を運んで肩の力が抜けたというか、手を抜くというような話ではなくて、いい意味でもっと適当でいいんだっていう気づきはありました。
●帰国後はどうされたのでしょうか?
2011年だったので、まだ坂尾さんのONIBUS COFFEE(※3)ができたかなぐらいの時期で、若者一人雇おうという規模のコーヒー屋がまだ1軒もなかった頃でした。バリスタの受け入れられる土壌が全然違うことを改めて実感してしまい、自分でお店をやるしかないかなと考え始めました。
※3 ONIBUS COFFEE
2012年に世田谷区奥沢にオープンしたコーヒーショップ。人と人との繋がりをテーマにスペシャルティコーヒーを提供する。
●お店を開くにあたり、どのようなイメージをされましたか?
当時の僕のスキルを簡単に言うと、クオリティの高いラテを一日に400杯、とにかく早く出せます! みたいなものだったのですが、それが活かせるカフェが日本にはまだなくて、生業としてのコーヒーを考えつつ、コーヒー自体の理解を深めたいと考えるようになりました。
●では、またコーヒー修行へ?
はい。今度は福岡のハニー珈琲(※4)へ、原料だとか焙煎を学びに行きました。友人のご両親がやっていたお店だったのですが、オーストラリアから戻ってニートしているのだけど、最近どう?という話から飛躍して、福岡へ遊びに行ったら気に入ってしまい、福岡に住みながら1から勉強し直す気持ちで2年間働きました。
※4 ハニー珈琲
福岡のスペシャルティコーヒー専門店。世界各国の農場に赴き、直接買い付けた豆の焙煎から販売まで、全工程を自社で手がける。
●ハニー珈琲で得たものは何ですか?
ハニー珈琲は、コーヒー豆を家庭向けに販売しているのですが、それが一つの日本におけるコーヒー屋のかたちかなと思ったんです。一日400杯出してスタッフに十分な給料を支払うビジネスモデルが不可能であれば、そうじゃない方法を探さなければならないし、だからといって、フードやお菓子など自分が専門ではない商品を販売してコーヒーの売り上げを補填するようなことはしたくない。もしそうなってしまったら、コーヒー屋の未来って頭打ちだと思うんです。だからこそSWITCH COFFEEとしては、コーヒーだけを突き詰めていこうと考えるようになりました。
●目黒の住宅街に店舗を構えたのは、最初から豆を販売する考えがあったからということですね?
そうです。一袋2000円くらいで販売するイメージがあったので、それを買ってくれそうな場所はどこかなと考えながら、学生時代に住んでいた東横線沿線のエリアを歩いて、初日に見つけたのが目黒の店舗物件でした。
●実際にお店を構えてみていかがでしたか?
真夏は誰も通らないような場所なのですが(笑)、一人で焙煎するには丁度いいというか。豆を買いに来る人は、嗅ぎつけて来てくれるようになりましたが、なぜか外国人観光客が探し当ててきて。おそらく、海外の友人が勧めてくれたんだと思います。
●コーヒーを突き詰めた上で、どう表現するかが重要だと思いますが、Kabiでは料理とペアリングするなど、伝え方が幅広い印象を受けます。プログレッシブな音楽ではなく、POPミュージックのような捉え方なのでしょうか?
大衆に響くという意味ではそうかもしれませんが、POPミュージックって、その時々の流行りでもあるので、そういった意味では、もっと生活に根付いたものだと思うんです。それこそ、ジャズだったり、クラシックだったり。でも、気取ってそれを聴くのではなく、当たり前にそれが存在するというか。
●サードウェーブを根付かせたい気持ちはありましたか?
僕がやっていたことが後からサードウェーブと呼ばれ始めた感覚だったので、正直、根付かせたいと思ったことはなくて。
シンプルにコーヒーを毎日飲んでほしいだけで、かしこまらずに身近な存在でさえあってくれればそれでいいと考えています。
●期待値の高いお客さんもいるのではないでしょうか?
やっぱりSWITCH COFFEEにもそれなりの期待値で来てくださるのですが、こっちとしては普通に接客するだけなので、塩対応って言われてしまうこともあります(笑)。でも、毎日来る方も海外から来た方も一緒なんですよね。コーヒーはそんなものでいいと思っています。おいしくて品質のよいものを届けるのは、こちらの問題なので。
●例えば、アメリカ・オレゴン州のポートランドでも気取ることなくコーヒーが街に馴染んでいますよね。
そうそう。やっぱりストリートな雰囲気のカフェでも普通に馴染んでいますよね。オシャレな若者だけが集うのではなくて、街のあらゆるジェネレーションが集っているからだと思うんです。そこがさっきのPOPミュージックの流行を追う部分とずれるところかなと。
●ところで、SWITCH COFFEEの名前に由来はあるのでしょうか?
誰にでもわかる気取らない名前がいいと思っていたのですが、雑誌の『SWITCH』が目に入ったときに、これなら言語に関わらず、老若男女誰もが読めるし、丁度いいかもと思ったんです。あとは、みんなが勝手に深読みしてくれるので(笑)。
●SWITCH COFFEEの目指す理想の店舗像について教えてください。
暗くないお店というか(笑)。煌々と明るいのではなくて、自然に明るい、でも暗くはないところを目指したいです。本当は、オーストラリアの話もしたくないし、店名にも縛られたくないんですが、どうしてもそういう見方をされてしまうじゃないですか。
別に何風でもないし、モダンというよりはコンテンポラリーでありたいというか。みんな東京にいても和室の物件に住んでいないし、毎日和食なわけでもない(笑)。同時代性のある今の東京の感覚をコーヒーで表現できたらと思っているだけで。
●目黒に続き、代々木八幡、日本橋兜町と3店舗になりましたが、K5の店舗はどう捉えていますか?
K5では、海外や遠方からのゲストはもちろん、コーヒー好きのみなさんの期待に応えられるような、もっと楽しんでもらえる内容にしていきたいです。
●これからやってみたいことはありますか?
SWITCH COFFEEとしてではなく、誰かのために自分ができることを考えています。目黒の店舗はほぼ一人でやっているので、現場との距離をどう置くかが課題ですが、自分の時間をつくることでもっといろんな人と話すことができるかもしれないし、割と長いことシーンを見ていて、見聞きしてきたことも多いので、せっかくだし誰かの役に立てないかなと。難しいとは思いますが、社会的意義としては、自分が被雇用者の際に感じた様々な問題や感情を解決するための方法を、自分が商売の中で人を雇いながら続けていく過程で探していきたいと考えています。
●サスティナブルを見据えたコーヒーの未来において、どのようなビジネスモデルを考えますか?
働きたいと思ったときに職があるとか、労働条件そのものを改善できないと、そもそもサスティナブルではないし、どちらかというと、働いている人が労働時間にしろ、給料にしろ、“いい条件で”というところが未来に繋がるんじゃないかと思っています。
いくら知識を共有したところで、その人が業界から離れてしまったら意味がないし、辞めていった人をたくさん見てきたので、そういった状況を少しでも克服していけるような、従業員とも、もちろんお客さんやコーヒーに関わる人たちと長く関わっていけたら良いと思っています。
大西正絋
Masahiro Onishi
1986年愛知県生まれ。2013年に 目黒にSWITCH COFFEE TOKYO開業。2017年12月、代 々木八幡 に2号店を出店。2020年2月、日本 橋兜町「K5」に 3号 店をオープン。2018年、ア メリカ 『Gear Patrol』誌 の「The best coffee roaster around the world」に選出。同年、「JapanRoasterCompetition」で優勝。2019年「SCAJ Japan Coffee RoastingChampionship」第3位。
Text : Jun Kuramoto
Photo : Naoto Date
Interview : Jun Kuramoto
大西正絋
SWITCH COFFEE TOKYO オーナー
Toshi Akama
caveman
兜町の気になる人
cavemanのToshi Akamaさん。
Kabi にいたときも面識はありましたが、cavemanに新しく加入したということで、今後への期待も込めて!