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眞砂翔平
眞砂翔平

2022.01.31

眞砂翔平

teal シェフパティシエ/シェフショコラティエ

お客さんと街に寄り添う
新しい菓子と価値づくり

兜町の北側に、青緑色の新しい彩りが加わった。渋沢栄一の旧邸宅跡地、日証館にオープンした「teal」は、シェフパティシエの眞砂翔平さんと、ease店主・パティシエの大山恵介さんが、互いの個性を掛け合わせて生み出すチョコレート&アイスクリームショップだ。自然豊かな故郷で育った少年時代から、お菓子づくりの技術とクリエイティビティを磨いたこれまでの道のりと、tealに込めている思いなどについて、眞砂さんにお話を伺った。

●ご出身が熊野古道の近くの和歌山県新宮市と伺いました。どんなところ? と聞かれた時は、いつもどんな風にお話されていますか?
「一番遠いところ」ですね。日本の中で、東京から陸路で時間的にたぶん一番遠いところらしくて、7時間半ぐらいかかるんです。本当に、陸の孤島と言われている場所なんですけど、なんせアクセスが悪くて。行けばいいものがいっぱいあるのですが、行くのにめちゃくちゃ時間がかかってしまう場所です。生まれてから高校生まではずっと住んでいました。何もないところでしたね。

●何もないということは、逆にすごい自然があるところなのでしょうか?
そうですね。僕はよく釣りをしていました。小学校の時から、学校が終わったら釣りに行って、夜までやって帰る、という。海も川も近いので、海釣りも川釣りもどっちもやっていましたね。高級と言われているアユとかも別にそこら辺にいるようなものだったし、ウナギとかもつかんで捕ったりしていたのが普通だったんです。海もサンゴ礁があるくらい、きれいなんですよ。それから都会に出て、それぐらいの海や自然があることが普通じゃなかったんだなと気付きました。

●振り返られて、それがご自身のバックボーンになっていると感じますか?
いろんな色を知っているというのはあるかもしれないです。僕が住んでいたような自然のある場所だと、都会にいるよりもグラデーションがすごくて、朝から晩まで全然違うんです。山の奥とかに行くと、いろんな木とかキノコとか、本当にいろんな物があったので、そういった色を見てきたというのはあるかもしれないですね。それと、結構いろんな物を食べていました。フキみたいなものを採ってきて、家で砂糖を付けて食べる、みたいな。それって今思うと、フランスでルバーブとかフキみたいなものに砂糖を付けて食べるみたいなのと同じ感じだったんだなと思いました。

●お菓子は食べる方もつくる方も、子どもの時から興味があったのでしょうか?
そうですね。家にマンガの『クッキングパパ』があったんです。それを見ながら、食べたいものを自分でつくっていたみたいなんですよ。ニラ玉とか。『クッキングパパ』にニラ玉の回があって、ニラをまず育てるところから始めて、つくるとか。夜ご飯は、食べたいものを親にリクエストするんじゃなくて、たまに自分でつくったりしていました。それは小学3年生ぐらいからで、その頃から一人で勝手に釣りに行ったりとか。親も途中からお母さんだけなんですけど、基本的には仕事に行ってたので、放任されていたというか。

●料理もお母様と一緒につくってというよりも、ご自分で?
おなかがすいたから勝手に食べたいものをつくる、みたいな感じでした。本を見たら載っているから、何となくつくってみるとか。あとは、魚を釣り過ぎてお母さんにめちゃくちゃ怒られたこともありました。大きなカツオを10本くらい釣って帰ったら「どうするの」と言われて、さばいて、ゆでて、冷凍しておいたり。さばき方も教えてもらえないので、本で見てさばいていました。
小学生の時には、ホワイトデーでお返しにマシュマロとかをつくったり、つくらされていた感じですね。「もらったんだからつくりなさい」と、親に言われて強制的に。誕生日ケーキとかも、途中から自分でつくらされていました。

●自分の誕生日のケーキをですか?
僕と親の誕生日が1日違いなんです。モントンっていう、卵があれば誰でもできるスポンジケーキのミックス粉みたいな材料があって、ハンドミキサーで泡立てて焼くんですけど、結構、失敗していたんですよ。失敗というか、なんか美味しくないな、と。そうしたら、泡立てのボリュームが出てないままやったらダメなんだって何となく気付いて、めちゃくちゃ泡立ててやったら美味しくできました。そういうことを、その頃からやっていましたね。

●tealのキャラメルバーも、眞砂さんが幼少期に好きだったキャラメルチョコ入りバーを、パティスリーの味で再構築したものと伺いましたが、食べる方も結構、お菓子がお好きだったんですか?
駄菓子屋さんに行って、お小遣いでどのお菓子を買おうかって、いつも悩んでいるような子どもでした。おばあちゃんのところが新聞屋さんだったんですけど、中学2年生ぐらいからは半強制的に新聞配達をさせられて、おやつ代とかお昼ご飯代とかは、ほぼ自分の稼いだ分から出していました。新聞配達は高校2年生ぐらいまでやっていて、それまではずっとそれがお小遣いでした。新聞配達って休刊日以外ほぼ毎日あって、年に数回しか休みがないんですよ。朝5時からとかすごく早かったので、よくやっていたなと思います。

●約3年間、続けられていたんですね。
進学校ではあったので、高校3年生ぐらいになって受験をするか、どこに行くかを決めるタイミングがあって、自分の人生のターニングポイントだったなと思います。受験勉強してみたんですけど3日ぐらいで飽きて、これ絶対意味ないと思って。自分のこの先の人生で使わないことばかりだと思って、本当は何をしたいんだっていうのを見直した時に、こういうことかなと思って、料理の方に進もうと思ったという感じですね。

●高校卒業後は、大阪辻学園調理製菓専門学校に進まれたと伺いました。
お菓子の方に進むか、料理の方に進むか迷っていたので、どちらもできるところを選ぼうとすると、そこしかなかったんです。2年間、基本的には料理を学びながら、4分の1くらいはお菓子を学ぶみたいな学校でした。実はその間、あんまり学校も行ってなかったりして、バイトばっかりしていましたね。学校が終わってから終電までバイトして、とか。バイトしていたのは大阪のア・キャトルというお菓子屋さんで、今はもうたぶん閉店しているんですけど、ものすごく厳しいところでした。

●そのお店を選んだ理由は?
そこしか、つくらせてもらえるお菓子のバイトがなかったんです。というのも、普通、お菓子屋さんって学校が終わる時間帯より後の仕事ってあんまりないんです、片付けぐらいで。でも、そのお店は北新地にあるところだったので、夜遅くまで営業していて閉店の11時くらいまではお菓子をつくっていました。東京でいう銀座みたいな場所だったので、お酒を飲んで酔った方が、最後にケーキを買っていくみたいなことはありました。

●お菓子は学校もそうですけど、そのお店で学んだことが多かったんですか?
結構ガッツリ学ばせてもらって。しかも、仕込みの担当があったんですよね。この仕込みは誰々さん、この仕込みは誰々さんみたいな感じで、それはバイトでもやらせてもらえて、本当にめちゃくちゃ厳しかったですね。でも、そこのオーナーシェフとの約束で、2年間頑張ったら、東京のどこでも紹介してあげる、あるいはフランスも紹介してくれると言われていました。僕は最初、フランスに行こうと思っていたのですが、そこのオーナーシェフがいきなりフランスに行くより、東京で学んでちゃんと技術が付いてから行った方が勉強になるという話だったので、じゃあ東京で、と決めました。
就活せずに、学校を卒業して1カ月ぐらいは東京をちょっとプラプラして。その間にオーナーシェフから、ここを紹介できる、ここも紹介できる、みたいな連絡をもらって、いや、そこは嫌ですとか言いながら。

●東京で、ご自身でもお店などを見られて。
学生ながら、Toshi Yoroizukaさんに電話したこともあったりしました。いろんなところを見た結果、クリオロ(※1)に入社しました。当時、クリオロは新卒を採ってなくて、試験を受けて入りました。ア・キャトルはめちゃくちゃ厳しかったのですが、当時ちょうど、そういう時代の変化の手前だったのかなと思います。それが当たり前だと思ってクリオロに行ったら、全然そんなことありませんでした。労働時間も給与も含めて厳しいということはなく、こんな感じなんだな、と。逆に言うと、物足りなかったですね。たしか、当時で月に8日ぐらい休みがありました。でもお金はなくて、休みにすることがないからコンクールに挑戦することにしました。そうしてコンクールをやっていたら、ステップを踏めるような感じのものなんだなと思ったので、いろいろチャレンジして、最後はアジアまで行くことができました。

※1 クリオロ
世界的にも高い評価を得るフランス人パティシエ、サントス・アントワーヌ氏のパティスリー。

●コンクールに出るようになって、受賞もいろいろされて、そこでまた交流関係や世界が広がったり、新しい目標ができたりというのは大きかったですか?
でも実際、自分で思っているよりも影響がないんだなと思いました。2015年に初めて「Japan Belcolade Award」で優勝して、浦和のホテルで表彰式があって、何人か取材陣が集まっていたのですが、それは業界内だけの取材だったので、全然影響がなくて。その後、2016年に「トップ・オブ・パティシエ」で優勝したのですが、それは外向けにやっている大会だったのである程度の影響があって、テレビの取材とかで個人をクローズアップしてくれました。その辺りで、これは業界内だけでやっているとダメだなってちょっと気付いたんです。それからは外にも向けたコンクール、大会に出ようと考えていました。同時に、どこかの何かにならないといけないなと思っていた時に、パスカル・ル・ガック(※2)が日本でお店をつくるからということで紹介いただきました。そこでシェフをやっていた時には、かなり外向けに出すお店だったのですごく影響があって、予想どおり、いい感じに自分を宣伝してもらうことができました。

※2 パスカル・ル・ガック
パリ郊外、サン=ジェルマン=アン=レーに本店を構え、2019年1月に世界初の支店として「パスカル・ル・ガック 東京」を赤坂にオープン。

●10年間勤めたクリオロ時代は、振り返って眞砂さんにとってどういう時間だったんでしょうか?
結構、好きにやらせてもらえたというか、シェフがフランス人の方だったので、年齢も関係ないよ、実力があればいいっていう話だったので、じゃあ頑張ろう、と。頑張ったら本当にお給料も上がるし、地位も付くしという職場でした。いろいろ本当に自分たちで考えて、より働きやすい職場にしていくというか、早く終わるための施策をやったり、日本であまり取り扱ってない機械を使ってみたりとか。たぶん最先端のものをやらせてもらって、その落とし込みをしたり、人の扱いというか組織としてのあり方みたいなことをやらせてもらいましたね。普通のお菓子屋さんではできないのかなっていう部分を、たくさんやりました。

●パスカル・ル・ガックの時には、赤坂で世界初の支店を立ち上げられて、チョコレート細工の花ひらくシリーズがSNSやメディアでも話題になったんですよね。
パスカル・ル・ガックは、いろんなところのメディアに出ることをよしとしている会社でした。運営側が「ぷっちょ」とかもつくっているUHA味覚糖という会社で、本当に懐がでかいというか、企業感ある感じでやっていたので、またそれは勉強になりました。ちゃんとした企業が、ちゃんとした運営のやり方で、ちゃんとメディアを使って宣伝している。そこに対して僕がつくったものが流行っていくという。年に4回フランスに行かせてもらって、市場調査としていろいろ見させてもらったりもしました。本当に大きなパティスリーだったんですけど、個人店で。個人店から企業になる時の、その企業の強さっていうのを知りましたね。

●パスカル・ル・ガックを辞められてからは開業準備に?
そうですね。2020年の11月ぐらいに辞めて、イートクリエーター(※3)に入社しました。入社した時はまだtealのことは決まってなかったんです。最初は、大山さんとeaseの何かとしてチョコレート屋さんになろうかという話だったのですが、そこから自分のブランドでやろうかという話になって。ただ、その後に2021年になってから、今のお店の場所のお話をいただいて、そこからかなり協議しました。easeと近過ぎる、それぞれを個人店でやると確実に食い合う、という。食い合っても誰も得しないし、同じ会社だからどうするべきか協議した時に、まずはeaseの姉妹店や派生のお店をつくって、それはチョコレートとアイスクリームの店にして、2人の職場って言った方がいいんじゃないかっていう話をしていました。

※3 イートクリエーター
食、フードホスピタリティ分野のイノベーションおよびインキュベーション事業を行う。兜町では、easeの店舗開発事業にも携わる。

●兜町へはそれ以前にも来たことがありましたか?
easeができてから、手伝いもしていたので、何回か来たことがありました。僕の中では、もうおしゃれな街になっていたので、おしゃれだなと。おしゃれ過ぎるぐらい。K5とかは、初見だとちょっと入れないな、みたいな。普通に通うようになってからは、馴染むとすごく居心地のいい街だなと思います。

いろんなところを見て、本当に、これいいね、あれいいねをいっぱい集めて、それを実行していきました。

●大山さんと一緒にチョコレートとアイスクリームの店をつくろうとなって、そこからはどういう風に進めていったんでしょうか?
デザイナーさんも含めて、とにかく話をしてという感じでした。まずは、どういったものがうけるのかと、easeと食い合わないための施策とか。なので、実際ここにあるものはeaseとは違う商品が多くて、そもそも名前を決めるのにめちゃくちゃ時間がかかったりもしました。あと、パッケージをどうしようとか、そもそもパッケージが要るのか、要らないのかとか。お店の大きさも実際はこんなに広くするのか、もう少し狭くするのかとか、いろいろと本当にずっと話していましたね。それを半年以上です。

●じっくり時間をかけられたのが、よかったですか? お互いの意見を出し合って。
そうですね。たぶん話してないと、こうなってなかったはずです。そもそも、僕と大山さんは2019年末あたりに「sugar」というイベントで、デセール(※4)のコースをやった時がたしか初めてですね。それまでは同じパティシエなんですけど畑が違い過ぎて、知っているけどしゃべったことがない、会ったこともない。その前に、大山さんがいたシンシアに僕は食べに行っていてちょっと交流があって、その後、飲み会で隣の席になった時に、イベントでこういうことができるけど一緒にやりませんかみたいな話になって、じゃあやりましょう、と。

※4 デセール
フランス語で、デザートのこと。

●開業準備をされる中で、お互いの考えとか、こうしたいっていうのが理解できた感じですか?
いろんなところを見て、本当に、これいいね、あれいいねをいっぱい集めて、それを実行していきました。僕も大山さんも、やったことがないお菓子、例えばソフトタイプのクッキーとか、フランス風につくるとおいしいのができるんですけど、意外とそういうのをやったことがなくて、本当に試行錯誤でした。ドーナツとかは特にそうですよね。ドーナツはあまりパティシエがつくるものじゃないし、誰かに教えてもらうようなものでもないので、ドーナツ屋さんに行って食べて、ああだこうだ考えたり、めちゃくちゃ研究したりしましたね。なんでおいしいのかとか、油っこく感じさせないためにどうするか、とか。食感ももっちりしているのがいいけど、ふんわりしてるのもいいし、歯切れがいい方がいいとかで、試作はかなりしました。

1+1だけだと意味がないとずっと言っていて、掛け算で何倍にもなってかないとねっていう話は、しています。

●tealでお二人で組むことの強みはどういうところに感じますか?
単純に、相談できるっていうのが強みですし、2人の個性がちょうど合わさったものが出来上がるというか。今までたぶんそういうお店がなかったから、もちろん物珍しくて、一人ひとりの力では呼べないようなお客さんを呼べるのかなとか。1+1だけだと意味がないとずっと言っていて、掛け算で何倍にもなってかないとねっていう話は、しています。
大山さんとは考えも結構、似ているんですよね。合理主義というか、面倒くさいことというか、意味のないことはやらないっていうのもそうだし、味的なところで、こういうのがおいしいとかも結構お互いフレキシブルで、そういうのは最初から合いましたね。カップラーメン、どこのがおいしかったよねみたいな、そういう話も普通にします。

●お店の空間づくりで、眞砂さんが特にこだわったことはありますか?
一番は、この建物をどう生かすかですね。いい建物。元々あったものをはがしてから、このはがした状態をどう活かすかっていうのをずっと考えていました。それと、日が射すアーチ状の窓をどう生かすか。この日が射す窓だけで本当にお店が成り立つんじゃないかというほどの良さでした。あとは雰囲気としても、easeで飾っているのがドライフラワーだったので、こっちは生きた緑にしています。それから、キッチンが結構大きく見えるようにガラスを入れたのですが、全部見えるのではなく、一部はすりガラスにして見えないところは見せないようにしてます。easeはフルオープンですが、チョコレートとアイスクリームは温度管理が大切で、どうしても仕切ってしまわないといけないので、仕切る前提でインテリアなどを考えました。

●眞砂さんのお菓子づくりへの原動力や思いは、食べる方が何か心を動かされることや楽しみ、喜びを感じてほしいというところが大きいのかなと思いました。だから、お客さんの姿や召し上がっているところ、購入されるところ、表情とかを見られるということも大事にされているのかなと。
以前のお店で売り場と厨房が全く別の場所だった時はどうしても、どういうお客さんが買ってくださっているのか、わからなくて。パスカル・ル・ガックに行って見える厨房にした時に、見えた方がいいなと実際に思いました。スタッフが、何のためにやっているかっていうのを見失わないためにも。僕たちがつくっているものに価値があって、その価値を求めて来てくれる人たちがこんなにもいるっていうところを見て、ちゃんとわかってつくっているのと、何となくつくっているのでは全然違うっていうのが、その場で見たらわかるんですよ。今はつくる側のスタッフもみんな売れ行きとかを見ながらやってくれるし、お客さんからこういう声があったとかを、同じ場所の近い距離で話せるので、すぐレシピを変えちゃうみたいなこともできたりします。

絶対また来るぞって思ってもらうためには、それは味でもあり、見え方でもあり、僕たちシェフが力があるシェフでないとダメなのかなと。

●あと今は皆さんSNSを見て来られたり、召し上がるものをアップされたりするので、そこでの反応も眞砂さんはすごく見てらっしゃるんでしょうか?
めっちゃ見てます。僕も大山さんもそうですけど、めちゃくちゃエゴサーチをしちゃいます。それは、悪いことが書かれているかどうかではなくて、どういうリアクションなのかを知りたくて。tealはスタートする時にeaseのベースがあったり、バックオフィスのメンバーが増えて、スムーズな運営ができていたりで、そんなに悪いことは書かれてはないんですよね。だから、これを維持しないといけないなというのと、むしろ、普通の美味しいじゃなくて、めちゃくちゃ美味しかったというものを拾い上げて、何が刺さってるのかを調べているところですね。おしゃれだから来ているで止まってしまうと、たぶん流行り廃りに流されちゃうのかなと。あくまで、僕たちがつくっているお菓子が美味しくて来ている、ということにしないと来なくなってしまうのかなというのはあります。

●価値をつくって、それを続けていこう、と。
僕たち若い世代が新しい価値、価値のあるものをちゃんとつくって、それが広がっていけば、いろんな仕事にもなるのではないかとも思っています。この業界、結構古くて変わらないことが多いので、なんでだろうって思うんですよ。何かやる時の圧力も強いし。今はさすがにないですけど。日本一になった時が、26歳とかだった時は結構圧が強くて。

●パスカ・ル・ルガック時代に、企業の優秀な点を感じられたとのことでしたが、今もイートクリエーターに所属する中で、前との違いや理想的な部分というのはどのような点なのでしょうか?
一番大きな違いは、シェフを立ててくれる会社か、そうではないかというところですね。今はシェフを前面に押し出してくれるというか、後ろから出てこない会社。大山さんと話した時に会社のそういう方針を聞いて、いいですねって。その分、責任というか、自分たちでいっぱいやってかないといけないので、自分たちでどこまでできるかというところはあります。

●SNSも眞砂さんご自身が興味があってお好きなのもあるのかもしれないですけど、どう見せるかなども研究されているのかなと思いました。
どう見せるかも自分でやって、実際、気になっちゃうんですよね。いつもより反応が鈍いとかは肌で感じてないと、そのままほっとくと、たぶんずれてっちゃうのかな。お客さんと寄り添っていくっていうのと、例えば急にこてこてのフランス菓子とかをやると、たぶんこの街の雰囲気とずれるのかな、とか。あとは、このお店の前の道路辺りが日本橋三越までのお散歩ルートなのかなと。家族連れの方もめちゃくちゃ多くて、土日の朝とかはおじいちゃん、おばあちゃんとかがアイスを食べに来てくれたり。ゆっくり本を読んで、でもちょっと混んできたら出て行くみたいな。そういう時は、なんか街にとっていいものできたのかなって感じますね。

●今後の目標や、tealをどんなお店にしていきたいかを教えてください。
僕たちもまだ定まってはいないのですが、本当に、お客さんが毎日ちゃんと来てくれればな、と。一回来て次は来ない、じゃないようなお店にはしたいなと思っています。絶対また来るぞって思ってもらうためには、それは味でもあり、見え方でもあり、僕たちシェフが力があるシェフでないとダメなのかなと。あと、いっぱいいろんなことをやりたいんですけどね、本当に。まだパティシエも超ミニマムスタートだったので、ここから増やしていく感じで。兜町だけでも、いろんなことをやろうと思っています。

眞砂翔平

眞砂翔平

Shohei Manago

1988年、和歌山県生まれ。大阪辻学園調理製菓専門学校の在学中に勤めたア・キャトルを経て、クリオロにてスーシェフ、溜池山王パスカル・ル・ガックにてシェフパティシエを務める。2015 Japan Belcolade Award 優勝、2016 Japan Cake Show 【Top of Patissier】優勝、2017 Top of Patissier in Asia ベストショコラティエ受賞など、国内外のコンクールでの受賞多数。 2021年11月、ease店主・パティシエの大山恵介氏とともに兜町にtealをオープン。

Text : Takeshi Okuno

Photo : Tomohiro Mazawa

Interview : Takeshi Okuno


眞砂翔平

teal シェフパティシエ/シェフショコラティエ

山本典正さん

平和酒造社長

兜町の気になる人

山本典正さん 平和酒造社長

ケーキ屋をやっている地元の高校の後輩に、地元でいい日本酒ない? って聞いた時に、人物リレーみたいになってたどり着いたのが平和酒造の山本社長でした。その後、実は兜町に「平和どぶろく兜町醸造所」ができるということを平和不動産の方に聞いて。たまたま聞いてっていうことに、すごく深い縁を感じていますね。できたら一緒に何かしたいですね。