
日本橋兜町の兜町第1平和ビルと兜町第6平和ビル。その外構を一体的につなぎ、通り道を人が滞在する場所へ変えた「kiten.」が誕生した。コンセプトは、人々がエネルギーを蓄え、共有し、分け合う「Stock Share Scape」。手がけたのは、植物と人の空間をデザインするparkERs(パーカーズ)だ。今回は、兜町第1平和ビル側の植栽を担当したプランツコーディネーターの花田美晴さんに、土地の読み解き方と、人と植物がともに育つ風景について訊いた。
●まず、植物との付き合いは、いつ頃から?
物心がついた頃には、自然と植物が好きでした。道に生えている草花を摘んで集め、空き缶に活けたり、出かけた先でも花ばかり眺めていたり。保育園の散歩でも、私だけ草を摘みながら歩くから、団体行動からいつも一歩遅れてしまうような子どもでした(笑)。すると、ほかの子が「こういうのもあったよ」って、摘んだ草を持ってきてくれるように。育った下町の日暮里は、特別自然が豊かな場所ではありませんが、アスファルトの隙間に生えているものまで、何でも気になっていましたね。
●花の名前や、季節の楽しみ方は、誰から教わりましたか?
近くに住んでいた祖父母です。家の前でいろいろな植物を育てていて、花の名前をよく教えてくれました。二人とも、ザ・江戸っ子という感じで、花見シーズンは「桜が咲いたのに家にいるなんてありえない、行くぞ」みたいな(笑)。祖父の自転車の後ろに乗って、上野公園や隅田川公園などへもよく連れて行ってもらいました。そうして出かけた先々でも、目は自然と植物へ。海に行けば、泳ぐより砂浜のそばの草花を摘み、スイス旅行の写真にも、花を摘んでいる自分が写っています。植物を愛でる特別なきっかけがあったというより、気づいたらずっと好きでした。
●植物とは別に、ご家庭で夢中になっていたものはありましたか?
母がステンドグラス作家で、アトリエには細かなガラスの破片がたくさんありました。子どもの頃は、それを光に透かして眺めたり、ブローチやアクセサリーのように色を組み合わせたりして遊ぶのが普通だったんです。母に「その色合わせ、素敵だね」と褒めてもらえると、ものすごく嬉しくて。
●その感覚は、今の植栽にもつながっていますか。
そう思います。同じ緑を揃えるより、濃淡や葉の形、光の透け方が違うものを重ねたほうが奥行きが出る。色を単体で決めず、隣に何があるか、光がどう当たるかまで見る感覚は、あの時間から来ているのかもしれません。
●色を見る感覚のほかに、ご家族から受け取ったものがありましたら教えてください。
父は社会学者で、大学でジャーナリズムを研究していました。調べものが好きで、家には本がたくさんあったんです。私が何か聞いても、すぐ答えを渡すのではなく、「こんな本もあるよ」とさまざまな本を教えてくれました。子どもの頃に夢中になったのも父が買ってくれた植物記でした。わからないことがあれば、まず資料に当たる。そういう習慣は、父から受け取ったものだと思います。
●植物を学ぼうと考えたのは、いつ頃ですか。
高校生の頃には、何かしら植物に携わる仕事に就きたいと思っていました。とはいえ、その道は花屋、造園会社、庭師とさまざま。最初から仕事をひとつに決めるのではなく、まず幅広く学びながら考えたくて、東京農業大学の造園科学科へ進みました。
●造園科学科では、どのようなことを学ぶのですか?
本当に幅広かったです。自分で花壇をデザインして植える実習、製図、剪定、下草刈り、生け垣づくり。葉を1枚ずつ集めて、手触りや縁のギザギザまで記録したレポートも何百枚とつくりました。冬には、枝だけを見て樹種を当てる試験もあって。好きに草を摘んでいたところへ、植物を見るための技術と言葉が加わっていった感覚です。また、植栽によって場所の世界観が変わることも学びました。例えば東京ディズニーリゾートでは、エリアごとに植物の種類や剪定の仕方が違い、未来的な場所では樹形を幾何学的に整えている。海に近い外周には潮風に強い植物を使うなど、見せ方と環境の両面から選ばれていることが印象に残っています。
●大学では、植物だけでなく、土地の景観についても研究したと聞きました。
はい。景観の研究室では、“地域らしさ”という言葉を感覚だけで使わず、調査と分析をもとに説明することを徹底して教わりました。研究対象になった倉敷では、窓の格子や壁、建物の高さ、植物、色、看板の字体まで、景観をつくる要素をとにかく拾います。そこから歴史や人の営みへ遡り、なぜ現在の街がその姿になったのかを考えるんです。今も仕事で土地を調べるときは、その地域の図書館へ行き、自治体の資料や地域で発行している本など、その場所でしか出会えない本を探すようにしています。父から教わった、まず資料に当たる姿勢が、今の土地の読み解きにもつながっています。
●卒業後は、どのようにして植物の道に?
大学3年生のとき、小さい頃から憧れていた花屋の仕事を経験したくて、青山フラワーマーケットでアルバイトを始めました。色合わせなど多くを学びながら、一方で、根がつき、その場所で生長していく植物に、より惹かれている自分にも気づいて。そんなとき、青山フラワーマーケットを運営するパーク・コーポレーションのなかで新たに立ち上がった、植物を生かした空間デザインをするparkERsを知り、「人と植物の関係から空間をつくる仕事をしたい」と異動を希望したんです。卒業後もアシスタントや植栽メンテナンスの経験を重ね、2019年からプランツコーディネーターとして仕事をしています。何もなかった空間に緑が入り、見え方や空気が一気に変わる。そこで過ごす人の反応まで近くで見ているうちに、“おもしろい”が“自分でやりたい”に変わっていきました。
●空間のために植物を選ぶとき、何を大切にしていますか。
基本にあるのは、人の過ごし方です。例えば、腰掛けたときに公園の木陰のように感じられるよう、まっすぐ整った木ではなく、覆いかぶさるように枝を伸ばした1本を選ぶことがあります。どこへ視線が抜け、隣の人とどれくらいの距離になるか。人がいる場面を想像しながら、樹形や高さを決めていきます。
●そこでの感じ方は、人によっても違いますよね。
そうなんです。同じ1本の木でも、木漏れ日を心地よいと思う人もいれば、枝葉の細部に美しさを感じる人もいる。花が咲いたことに気づく人もいれば、名前を知らなくても落ち着くと感じる人も。使い方や感じ方をこちらで決めきらず、幅を残すようにも心がけています。
●仕事を重ねるなかで、植物との向き合い方は変わりましたか。
基本的に、植物への接し方や気持ちは変わりません。今も仕事帰りにきれいな落ち葉やどんぐりを見つけると、つい拾ってきてしまいます(笑)。家では、木の仕切りがついた額に、拾った木の実を標本のように並べているんですよ。ただ、植物を見る幅は広がりました。以前は樹形や色味に目が向きましたが、今は、薬や染料、材としてどう使われてきたのか、その植物が人の暮らしにどう寄り添ってきたのかが気になります。見た目だけでなく、植物の内側へ興味が移ってきた感覚です。
●ご自宅でも、やはり植物に囲まれて暮らしているのでしょうか。
そうですね(笑)。リビングには大きなシェフレラがあります。社内表彰の副賞で好きなものを買ってよいことになり、「それなら木を買います」と。協力会社のハウスへ行って、自分で大きな1本を選び、家まで運んでもらいました。ほかにも、小さな庭では紫陽花などを育てています。最近のお気に入りは和綿。千葉県佐倉市の畑へ月に1度通い、育てた綿に撚りをかけて糸にし、最後は織物にする1年間のプログラムに参加しています。現在は畑でもらった種を庭に蒔いて育て中です。植物を眺めるだけではなく、育て、収穫し、暮らしのなかで使う。そうした一連を自分で経験することに、今は興味があります。
●そうして育まれた植物への眼差しは、兜町での仕事にどうつながっていったのでしょう。
兜町で最初に携わったのが、KableとKITOKIです。ブックラウンジのKableでは、ソファの間に目線より少し低い緑を挟み、完全に閉じずに視線をやわらげました。水の音も空間をつくる要素として取り入れ、緑のそばで読書や食事、仕事に入り込める居心地を考えました。 KITOKIのルーフトップは、働く方が足を伸ばして休んだり、お弁当を食べたりできる場所です。屋上は風が強いため、風にそよぐ線形の植物や、葉が大きく飛散しにくいものを選びました。条件は違っても、人がどう過ごし、植物が時間とともにどう育つかを考える点は同じです。
●二つの場所での経験を経て、kiten.ではどんな風景を描いたのでしょう。
もともとは蔦の植わる細長い花壇で、基本的には人が通り過ぎる場所でした。そこで働く人も、暮らす人も、街を訪れた人も少し足を止め、自分の過ごしたいように過ごせる場所にできればと。公園ではないけれど、公園のような場所ですね。細長い外構なので、人の居場所を広げれば植物のスペースが減り、緑を厚くすれば座る場所が狭くなります。限られた幅の中で両方を成り立たせるため、家具と植栽を別々に考えず、kiten.を一緒に計画した空間デザイナーとともに、最初から“人がいる風景”として計画しました。人が植物のそばに座ることで、初めて完成する場所です。
●kiten.という名前にも、目指す風景が表れていそうですね。
はい。街の新たな起点、光を放つ輝点、空気を感じる気点、樹木の樹点、そして黄色の黄点。それぞれの“点”が交わり、新しいつながりを生む場所であってほしいという思いが込められています。「東証上場の森」の杉材を使ったベンチや、街を巡るマップも、ここを起点に人の活動を兜町へ広げる仕掛けです。
●kiten.の風景を組み立てるうえで、大切にしたことは?
“兜町らしさ”です。金融の街としての歴史と、今、新しい人や文化を迎えて変わりつつある空気。その両方を風景へ落とし込みたいと考えました。そうした歴史を紐解きながら、メインカラーに据えたのが黄色です。兜町が積み重ねてきた時間と、これから変化していく街への期待感をつなぐ色だと考えました。黄色い花を咲かすヤマブキには「金運」や「気品」、実がたくさん付くキンカンには「財宝」という花言葉があります。春のサンシュユ、秋に黄葉するコハウチワカエデ、冬のロウバイなど、季節を通して黄色い花や実、葉が見つかるようにしました。
●黄色いベンチやテーブルも目を惹きますね。
黄色は植栽だけでなく、ベンチやテーブル、サインにも展開しています。やわらかな緑とともに、グレーが多い街並みの中でよく映える。遠くから黄色を見つけて、「あそこは何だろう」と近づくきっかけになればと思っています。
●コンセプトの「Stock Share Scape」は、kiten.の風景にどう表れていますか。
株の街にちなんだコンセプトには、人々がエネルギーを蓄え、共有し、分け合える場所という意味を込めています。植物のそばで過ごして、いつもより少しだけ満たされる。花が咲いていたことを誰かに伝え、次は一緒に来る。そこでの体験だけで終わらず、会話や次の行動へ広がっていくことまで含めて考えました。
●過ごし方を自由に選べることも、その風景につながっていますか。
そうですね。座面をスライドできるベンチとサイドテーブル、ハイカウンター、木の下のボックスシートがあり、ひとりでも誰かとでも、その日の過ごし方を選べます。誰かが座面を動かせば、次に来た人の風景が少し変わる。植物も芽吹き、花が咲き、葉を落とす。人の使い方と植物の変化が重なり、同じ場所でも前回とは違って見えることが、kiten.らしさだと思います。
●実際に使われ始めて、印象に残っている風景はありましたか?
来るたびに使われ方が違うのでおもしろいです。平日は時間をずらしながら会社員の方が昼食をとり、週末には若い方が話している。長いベンチに子どもたちが一列に並んで座っていたときは、予想以上にかわいらしい風景でした(笑)。平日と週末で街にいる人がこれほど変わることも、実際に使われ始めて見えてきた兜町らしさかもしれません。計画した意図や植物の由来を知ってもらえたら嬉しいのですが、説明を押しつけたくはありません。まずは、それぞれの過ごし方で心地よく過ごしてもらう。そこから花や木に気づき、誰かとの会話が生まれ、場所への親しみが育っていく。それがいちばん嬉しいですね。また、別のプロジェクトでお会いした方から、「この前、kiten.で過ごしました」と声をかけていただくこともあります。その場にいないときにもkiten.の話が出ると、点が少しずつ広がっているのを感じます。
●その“点”がさらに広がり、数年後はどんな場所になっていたら嬉しいですか?
植物が育ち、人にも知られて、待ち合わせ場所として使ってもらえたら嬉しいです。「黄色い花が咲いているところね」「植物がたくさんある、あそこだよね」と言えば伝わるような、街のアイコンになってほしい。地域に愛される場所は、使われ続ける場所だと思うので、ここから風景が伝播し、兜町の景色がまた移り変わっていってほしいですね。
●最後に、これから挑戦したい空間づくりを教えてください。
人だけでなく、植物もその場所できちんと根を張れる空間をつくりたいですね。広大な敷地でなくても、見えない土の中には水や空気の通り道があり、微生物も生きている。まずその環境から整え、植物をただ置くのではなく、長く健やかに育てたいです。そして、暮らしに活かせる樹木や草花に囲まれた心地よい景色をつくる。自分で育て、ものをつくる体験を深めながら、植物と暮らしの関係を空間の提案へつなげていきたいと思っています。
花田美晴
Miharu Hanada
parkERs プランツコーディネーター。東京・日暮里出身。東京農業大学地域環境科学部造園科学科卒業。2014年からparkERsでアシスタントとして勤務し、2019年から現職。土地の歴史や文化、人の過ごし方を植物へつなぐ空間づくりを手がける。日本橋兜町では「Kable」「KITOKI」「kiten.」の植栽に携わり、緑と人が交わる街の風景を発信する。
花田美晴
parkERs プランツコーディネーター
森田紗都姫さん
株式会社維苑 代表/「大多喜有用植物苑」総合プロデューサー
兜町の気になる人
先日、大多喜有用植物苑へ伺ったときに、園内をとても素敵に案内してくださったんです。植物を“見るもの”だけではなく、食や香り、手仕事など、暮らしに役立つものとして伝えているところに惹かれました。休園していた場所をどう読み解き、今の人が関われる場所として再生したのか。そのお話の中で、兜町のEdible KAYABAENにも携わったと聞きました。私自身、綿を育てて糸にする経験を通して有用植物への興味が深まっているので、兜町とのつながりも含め、もっとお話を聞いてみたいです。
