
平日はビジネスパーソンが行き交うオフィス街、休日はさまざまな人が散策を楽しむ賑やかなエリアへ。幾重にも折り重なる“日常”を育む今の兜町で、そのどちらの時間にも寄り添ってくれるのが、「GARDEN HOUSE COFFEE」だ。鎌倉発のレストランブランドが手がけるカフェであることから、コーヒーはもちろんパンや食事メニューが充実しており、全席電源付きの広々とした店内でゆっくりとくつろげる。ここで新たな店長に就任した近江奈未さんに、今までの人生の歩みや店づくりの意気込みについて話を聞いた。
●ご出身はどちらですか? どんな子ども時代を過ごされたのか、教えてください。
私は兵庫県赤穂(あこう)市というところ出身です。両親にとって遅くにできた一人娘だったので、けっこう“箱入り娘”でしたね。幼い頃は書道に茶道、エレクトーンなど、いくつも習い事をやっていました。おとなしい性格だったのですが、イヤだと思ったらすぐにやめる、好き嫌いの激しい一面も。いちばん長く続いたのは書道です。一人でもくもくと取り組むのが性に合っていて、いちばん上の段位を取得するまで稽古に励みました。今でもお正月に実家へ帰ると書き初めをするようにしていて、今年の一字は「遊」だったかな。
昔から、誰かと競うことが苦手なんです。スポーツのように勝ち負けがあるものより、自分自身と向き合うことのほうが好き。小学校から中学校までは、吹奏楽部でトランペットを担当していました。習い事のエレクトーンは2〜3年ほどでやめてしまったものの、振り返るとずっと音楽に触れて育ってきたと感じます。両親が美空ひばりさんの大ファンで、小さい頃から歌を覚えさせられたり。
●大切に育てられたんですね! ご家族は3人で、ご親戚との行き来などもなかったのでしょうか。
私が生まれたときにはもう祖父母は他界していて、親戚もいなかったので、父と母と私の3人家族です。そういう環境もあってか、たくさんの習い事に通うことも含め、わりと厳しく育てられたと思います。その反動か、中学の後半くらいから反抗期がガーッと来たんですけど、高校もなかなか厳しいところに入学してしまって。校則で靴も靴下も真っ白に統一、眉もいじれない! でもその当時どうしてもルーズソックスが履きたくて、果敢に履いていっては校門のところで没収され、裸足で過ごすこともありました(笑)。
●もしかして、ご両親が特別厳しかったというより、その地域が教育に熱心だったのかも?
そうなんですかね。故郷は、電車が30分に1本しか来ないようなのどかな場所。最も有名なのは“赤穂浪士”の忠臣蔵なんですが、海沿いの街で塩も有名です。すぐお隣が岡山で、カキもおいしいですよ。
英語が好きだったので高校は英語科に入学したのですが、先ほど言ったように校則が厳しく、英語もレベルが高くてだんだんついていけなくなって。その頃は、音楽を聴いてばかりいました。洋楽のR&B、特にアリシア・キーズが大好きでしたね。メロディック・ハードコアが流行っていて、周りではバンドのHi-STANDARDなどが人気でした。
●高校卒業後は、どのようにして東京へ?
東京にある音楽系の専門学校へ進学したんです。歌をやりたくて、ボーカルを学びはじめました。幼い頃から「大きくなったら東京に行く」と言っていたので、両親にもさほど驚かれず、好意的に送り出してくれましたね。
恵比寿の学校だったのですが、土地勘がなくてどこに住むべきなのかもわからず、最初は神奈川県から電車で通っていました。講義はボイストレーニングや作詞、ダンスなんかもあって、楽しかった。でもみんな当然プロを目指しているから、どこか“まわりは全員ライバル”みたいな雰囲気が漂っていたのですが、それがしんどくて……。友人ができても、心のどこかでお互いに負けたくない気持ちが芽生えてしまうなど、純粋に歌を楽しめなくなってしまったんですよね。“好きだけでは続けられないんだな”と感じるようになりました。
一方で、学校の近くで始めた居酒屋のアルバイトは、同い年くらいの子たちも多くて楽しかったです。専門学校2年目の頃なんかは、楽しいが故にめちゃくちゃ働いてました。そこから、専門学校を卒業するタイミングでカフェでもアルバイトするようになったんです。当時人気で賑わっていた、渋谷のWIRED CAFEでしたね。
●そこでついに、カフェ勤務のキャリアがスタートするわけですね。
はい。専門学校の先生が個人で運営していたボイストレーニングクラスに通いながら、アルバイトする日々が始まりました。ただその当時は“10代後半でデビューできないと遅い”みたいな風潮もあり、“歌は好きだけれど辛い”という思いが強くなってきていて。そんな中偶然、ある本を手に取ったことから、次にやりたいことを見つけてしまったんです。
●なんと! それはなんだったのでしょう……?
世界一周です。夫婦で世界一周をした方のエッセイを読んだことをきっかけに「私も行きたい!」と強く思って。そこから歌をスパッとやめ、カフェと居酒屋でひたすら働いて貯めた100万円で、旅に出ました。
1年でお金を貯め、当時住んでいた部屋を引き払って、ついに航空券を購入。ただそのときに住民税を滞納していたことが判明し、20万円ほど飛んでいきましたが……。それでもとにかくバックパックを背負って旅立ち、中東からアフリカ、ヨーロッパ、南米、そしてアメリカを巡りました。
●すごい行動力ですね! 最も印象に残っている国はどこだったのでしょうか。
ペルーが大好きになりました。南米ってスペイン語圏なので英語が通じないのですが、数字すらも意思疎通ができずにタクシーで困っていたら、少し英語ができる高校生くらいの男の子が話しかけてくれたんです。そこから街を案内してもらい、「泊まるところが決まってない」と言ったら、なんと家に招いてくれました。
言葉はほとんど通じなかったのに、本当に温かく迎えてくださったんですよね。もちろんご家族で住んでいて、ご両親は英語ができなかったのですが、2〜3泊させてもらう中で心が通じるのを感じる瞬間がありました。“人って、言葉がわからなくても通じ合えるんだ”って、すごく感動しましたね。訪れる前は治安が悪いイメージがあったのに、なんていいところなんだろう、と。
●非常に豊かな、かけがえのない経験をされたんですね。
本当に貴重な時間でした。それで……帰国したらものすごく燃え尽きて、人生でいちばん落ち込んでしまって。目標だった世界一周が終わってしまい、次にやりたいことも見つからない状況に陥ってしまったんです。家もなく、当時付き合っていた人が友人と住んでいた部屋に居候させてもらえることになったのですが、めちゃめちゃ肩身が狭くて……。
まずは職探しということで、以前働いていたカフェにお願いして戻らせてもらい、またアルバイトを開始。1年ほど働いたところで、世界一周の際に訪れた中南米が忘れられず、退職して次は1カ月ほどメキシコを訪れました。
●メキシコ、うらやましいです! すっかり放浪癖、冒険癖がついてしまいましたね(笑)。
本当ですね(笑)。メキシコは、見たことがないくらいのきれいな海に感動しつつ、じっくり満喫して帰ってきました。透き通るのではない、絵の具を流したような鮮やかな青がすばらしかったです。
それで帰ってきてまた同じカフェに戻らせていただくんですが、「今度は社員になるよね?」と言われて。結果、アルバイトの期間を含め16年半、働かせてもらうことになりました。
●ちょっとした圧があったんですね(笑)。でもそれは、社員にふさわしい人材として求められていたということでもあります。カフェの仕事1本に絞り、長く続けられた理由はなんだったのでしょうか?
人が好きだったんだと思います。来てくれるお客さんと少しずつ会話をして、常連さんになってくださり、徐々に自分に会いに来てくれるように。その関係ができていくことが、すごくうれしかったですね。カフェの仕事の中でもいちばん好きなところです。
店長にしてもらってからは全責任が自分に乗ってくるという大変さもありましたが、それは自分の理想のお店がつくれるということだと捉えるように。ずっと、自分が店長になったら“愛と笑顔にあふれまくったお店にしたい”と決めていたので、それに向かって頑張ってきました。
もちろん、時には誰かに厳しく注意しなければいけない場面もあります。でも、ただ叱るのではなく、その人にどう成長してほしいか、今後どうなってほしいかを考えて伝えるようにしていました。スタッフのみんなとは、なんでも言い合えるような関係でいたいと思っていますね。
●その後、「GARDEN HOUSE」を運営する今の会社へ入られたんですね。
そうなんです。長くひとつの会社で働いてきたので、一度外の世界も見てみたいと思い、転職を決意しました。いくつかのお店を経験したあと、今の会社へ。代官山の「GARDEN HOUSE CRAFTS」を経て、今年の2月から兜町の「GARDEN HOUSE COFFEE」の店長に就任しました。
●この街で働くようになって、何か特色などはお感じになりますか。
代官山と兜町では、客層がまったく違います。代官山はインバウンド中心に、ワンちゃん連れ、ファミリーが多い一方で、兜町は平日と休日でお客さんがガラリと変わるところが特徴かなと思いますね。
休日は、兜町を目当てにいらっしゃる方。20代前半の女性グループや、朝の時間帯にはインバウンドの外国人も多いです。平日は、毎日のように利用してくださるワーカーの方が中心。コーヒー1杯という人のほか、同じ時間に同じメニューで、という常連さんもたくさんいます。なので“見かけたことがあるな”と思ったら、できるだけこちらからお声がけするようにしているんです。そうやって少しずつ会話が生まれることが、この街らしい魅力だと感じています。
●素敵ですね! 今後は近江さんらしく“愛と笑顔”で満たしていくほか、どんなお店にしていきたいとお考えでしょうか。
この街の開発を手がける平和不動産の方からも「元気なお店にしてほしい」と言われましたし、オフィスワーカーの方が多いときは店内も静かになりがち。だからこそ、私たちは元気にお迎えできたらいいなと考えています。
レストランを展開している会社が運営していることもあり、フードが充実していて、人気のアボカドタルティーヌをはじめ、デリプレートやラムガパオライスなんかも。私としては、ベーカリー業態の代官山店にいた経験を活かし、パンの種類を増やしたいなと思っています。近くに「bank」などのベーカリーもありますが、それともまた違った感じのラインナップなので、需要があるかなと。すでにいちばん人気の塩バターメロンパンなどは、夕方には売り切れてしまう看板アイテムになっています。
もともと兜町には注目していて、「K5」でお茶したり、「Neki」でランチをして「ease」でお菓子を買ったり、「yen」で誕生日ディナー……など、何度も訪れていました。人気のお店ばかりなので、そこに仲間入りできてプレッシャーを感じつつ、うれしいなとも思っています。ぜひ今後も、この店や街と一緒に歩んでいけたらありがたいですね。
Interview&Text : Misaki Yamashita
Photo : Taro Ikeda
近江奈未
GARDEN HOUSE COFFEE 店長
岩永 幸之助さん
SR Coffee Roaster
兜町の気になる人
この街のもうひとつの人気カフェである「SR Coffee Roaster」でお菓子づくりを担当されている岩永さん。どうやら以前代官山の「GARDEN HOUSE CRAFTS」で働かれていたことがあるそうで、前の職場が同じという共通点があることから、いつかお話ししてみたいなと気になっています。
