●出身はどちらですか?
大阪府で生まれて、小学生で兵庫県宝塚市に引っ越しました。
●どんな子ども時代だったのでしょうか?
ひとりっ子だったのですが、両親が共働きでカギっ子でした。ひとりの時間が多くて、家事もごはんを作るのも慣れていましたね。小さいながらに寂しかったみたいで、誕生日になると、弟が欲しいって親に言っていたそうです(笑)。
困った親がサプライズで犬を飼ってくれたのですが、大阪時代に団地で犬に追いかけられた経験があったから犬恐怖症で全く嬉しくなかった思い出があります(笑)。最初に飼ったのは皮膚病を患っていたパグだったのですが、だんだん家族として大事になっていきました。それからゴールデンレトリーバーも飼って、犬とともに育ちましたね。
●犬への思い入れが強そうですね。
そうですね。獣医を目指していたのですが、高校で、自分の頭では難しいことに気付きました(笑)。理数系が強かったこともあり、とりあえず流れにのって、大学では、まったく興味はなかったけど、機械システム工学コースに進みました。
●学生時代にスポーツはしていましたか?
小さい頃は剣道をやっていたのですが、当時七段だった父親を超えられないなと思って辞めたんです。学生時代は陸上部に入って、中長距離走選手でした。それも短距離走では勝負できないと思ったから選んだのですが、一番になれるものをずっと探していたのかもしれません。根気強いタイプなので、中長距離走は向いていましたね。
●料理人を目指したのは、どのような経緯だったのですか?
ずっと食は好きだったんです。「料理の鉄人」とかテレビのグルメ番組を見るのが好きで、小さい頃から料理していたし、その自分の料理を通して喜んでもらえる事がうれしくてしょうがなかったんです。大学にこのまま行きたくないなと思って受験したら、現役では失敗。それで調理師専門学校に行きたいと親に話したら、自分たちが苦労したこともあり、大学に行ってくれと言われてしまったんです。
●それで大学を目指したのですか?
留年して、滋賀県の大学の工学部に入りました。でも、やっぱり工学系は向いてなくて。滋賀県の彦根に住んでいたんですが、めちゃくちゃ雪が降るんですね。そこで、スノーボードに出会ってしまったんです。大学を休学するほどスノーボードにのめり込んで、ついには白馬に移住しました。それも全部自分で決めて、親には事後報告(笑)。
●スノーボードで生きていこうとは思わなかったのでしょうか?
ようやくこれだって思ったものだったのでやりきりたかったんですが、甘くはない世界でしたね。白馬に移住したのは21歳の頃で、スノーボードで生活しようと思って住み込みで働きました。でも、3年で芽が出なければやめようと決めていました。
業界の状況もわかってきた頃に見切りをつけて、それで何をしようかと考えた時、やっぱり元々やりたかった料理人しかないと思いました。でも当時25歳で、本気で料理人を目指すには遅いという想いと、それまでスノーボードの合間に短期で働いていたので、飲食業で働いたこともありませんでしたので、自信がなかったんです。
●どのように飲食系の仕事を見つけたのですか?
わからないなりに、このままレストランに入るのは難しいなと思っていた時、当時の彼女がよく行っていた店がカフェ・カンパニー (※1)の系列で、バイトを募集していたんです。キッチンで入れてもらえることになったんですが、カフェの料理はすべてが決まっているものなので、これは違うなと思って。それで、カフェ・カンパニーの路面店「RESPEKT」に勤めることになりました。もうなくなってしまったんですが、渋谷にあって、地下にはクラブもあったんです。そこが料理人としてのスタートですね。
※1
2001年創業、WIRED CAFEを中心に飲食店、サービスエリア、ホテルなど、日本国内外で100店舗以上を企画・運営する会社
●料理人として、どんなことを学びましたか?
イタリアンがベースだったんですが、全員レストラン上がりの料理人でした。オープンキッチンなのに戦場のようだったし、かなり鍛えられましたね。自分が好きなのは、素材がしっかり生かされた料理だということにも気付きました。初めはアルバイトだったけど、徐々に認めてもらって最後は社員にならないかと言ってもらいました。でもシェフに相談したら、外で経験を積むことをおすすめされたんです。それで、街場でもいちばん美味しい店に勤めたいと思って、いろいろ食べ歩いて、池尻大橋にあるレストラン「ピッツェリア パーレンテッシ」で働き始めました。繁盛店で毎日忙しく、一番下っ端だったこともあり、朝から深夜まで、本当に鍛えられましたね(笑)。
●昔は、レストランでの修業は大変だったと聞きますよね。
約1年間働いていた時に、以前の先輩から恵比寿に店を出すから手伝わないかと声をかけてもらったんです。「ワノバ」という店なのですが、母体が日本の伝統工芸品の小売業の会社で、実際にその器や内装に触れる場所がコンセプトでした。ただ、いざ初日行ったら、オープン直前でシェフが代わって、まだ業者も決まっていない状態。スタッフも驚きのスピードで辞めていってしまって(笑)。そんな中に、自分でアウトプットすることにやりがいと責任を感じ、ひたすら目の前のことをやり続けました。料理人になる決意をした時、必ず30歳までに小さな店でもいいから料理長になる目標を立てていたのですが、ここだったら叶うかもしれないとも思い始めて。シェフが辞めるタイミングで、料理長になり、その後、店長も兼務して、自分の企画にて、店の業態変更もさせてもらいました。
●黒木さんの根気強さが発揮されたのですね。どんな店に業態変更したのでしょうか?
江戸東京野菜という伝統野菜があるのですが、その野菜を扱う専門店です。東京は意外と農地があるんですよ。西東京市とか、近いところだと千歳烏山や仙川あたりとか。今回KABEATでは千葉の生産者の野菜をメインに使っているのですが、野菜って、やっぱり鮮度が命なんです。
実は野菜って生で食べられないものはなくて、採れ立てであればその場で何でも食べられます。でも時間が経つほど、アクが回って、苦くなってしまうんですよね。収穫後に農協、市場に送られて、そこからスーパーに卸されて、ようやく僕たちの手にわたる。でも買ったからといって、すぐに料理するわけではないし、収穫から口に運ぶまで1週間ぐらいかかってしまうんですね。
それで、収穫から早いうちに提供できる店にしたいと思って、東京野菜を選びました。その生産者は自ら開拓し、直接訪れて、こだわりを聞いて、食べて感動して、ダイレクトに野菜の美味しさとその感動を伝えたいと思ったんです。焼く野菜、生の野菜など、ジャンルレスでその野菜の本来の味わいを楽しめるメニューにして、日本のビストロみたいな店を目指しました。ワノバには5年半ほど勤めましたね。
●理想的な場所に思えるのですが、なぜワノバを辞めたのでしょうか?
次のチャレンジをしたくなったんです。それまでに関わった、いろいろな先輩の料理人の方を見てきて、僕は料理人で上を目指せるわけではないということをわかっていました。今回メニュー監修してもらっている、米澤シェフや平シェフもその頃からのお付き合いですが、その他のKABEATでアサインしているような、話題のシェフたちのようになることはできないという自覚があったんです。でも飲食業でやっていきたいと思った時、マネジメントや企画にしっかり取り組みたいと思って本気の転職活動をしました。それで、スマイルズ (※2)に就職したんです。
※2
代表取締役は遠山正道。Soup Stock TokyoやセレクトリサイクルショップPASS THE BATONなど、飲食店から日用雑貨までさまざまな店やイベントを企画・運営
●スマイルズのどんなところに惹かれたのでしょうか?
とにかく、ありとあらゆる会社を知りたいと思って、いろいろ受けたんです。どんな質問してくるのか、どんな考えがあるのかなど、触れる機会にもなるし。その中で一番面白い会社に入りたいと思いました。特に、スマイルズは、新規ブランドの事業チームのマネージャーでの募集だったのもあり、決まっているようで決まっていない、良い意味でも悪い意味でもやることが明確ではなかった。自分で決める自由や作っていく余白があると思って、面白いなと感じました。そして、中目黒の高架下にあった店「パビリオン」の立ち上げをやりました。
●パビリオンの立ち上げでは、どんなことをやったのですか?
コンセプトはすでにあってアーティストと話が進んでいたけれど、飲食店の中身がまだ決まっていなかったのでメニューや料理について考えました。マネージャーという立ち位置だったし、自分で何か作ることってあまりないかなと思っていたら、開業時にはメニュー開発や試食会のシェフで意外と料理を作る機会もあったり、開業後はさまざまな企画やイベント、販促など、レストランという枠に捉われない、かなり広範囲の業務をやらせていただきました。その後、スマイルズが外部コンサルも始めることになって、パビリオンのマネージャーをやりながら、そのプロジェクトチームに飲食事業部の一員として入りました。
●どんな事業のコンサルに携わったのでしょうか?
六本木の「文喫」の立ち上げに携わりました。僕が入った時にはコンセプトは決まっていたので、トンマナやクリエイティブに合わせてデザイナーと打ち合わせながら飲食について担当しました。有料本屋という軸に合わせて、長期滞在型になるからどんな構成でどんなメニューが良いのか、といったことを考えましたね。スマイルズって自分たちのやりたいことをやりきることがいちばんという会社なんです。本当に周りのメンバーにも恵まれて、刺激的で楽しかったんですが、3年経ち、また新しいチャレンジをしたくなり、いまの会社GREENING (※3)に転職しました。
※3
建築・飲食・ホテル・アート・デザインなど、カルチャーデザイン領域とIoT や AI などのデジタルテクノロジー領域を融合させたハイブリッドカンパニー
●それでKABEATを担当されたのですね。立ち上げで苦労したことはありますか?
僕が入社したすぐ後に、KABEATのプロジェクトは始まりました。2年半前くらいですね。コロナ禍に入る前に企画提案していたものだったので、当初のコンセプトから、この情勢に沿ったコンセプトに少し変えることになり、そのために平和不動産さんと何度もセッションを重ねました。当初はシェフに業態開発でお願いしようと思っていたんですが、コロナ禍ということもあるし、業態開発や姉妹店というと自身のブランドを毀損してしまうリスクもあって、交渉は難航しました。それに運営する僕たちからしても、うまくいかない店をすぐにチェンジするわけにもいかない。
その頃に横浜にオープンした、しらす専門店での成功をヒントに、生産者を軸に、応援という形でシェフにメニュー開発してもらうことにしました。それならば、シェフが参加しやすくなるし、最大限に生かして、いろんなチャレンジもできる。僕たちのディレクション次第だなと思いました。料理人という立場やその想いもわかるので、これまでの経験が生かされた気もしましたね。
●シェフを選ぶ時は、どんな点を重視したのでしょうか?
兜町は新しい町です。町をアップデートしていくならば、イタリアンだったらイタリアン、フレンチだったらフレンチという旧来のスタイルに、自身でチャレンジしてオリジナリティを持っているシェフを選びたいと思いました。本当にこだわりを持っている料理人=職人ですが、そのイメージがやっと最近良い意味で崩れてきていて、料理人がクリエイターとして認められてきている。自分が料理をやってきたからこそ、なんでクリエイターと料理人がわけられてしまうのかずっとわからなかったんです。料理は形に残らなくて食べたら終わってしまうけど、きちんとクリエイトされているもの。日本では食やそこに携わる人たちがまだまだ認められていないと感じます。クリエイターとして生きている料理人にとって、KABEATがプラットフォームになったらいいなと思いました。
●兜町にはどんな印象を持っていましたか?
正直、自分もあまり行ったことがなく、渋い町だなと思っていました。もちろんK5は関係者に知り合いがたくさんいるし、話も聞いていました。でもあの町で、200坪か……とは思いましたよね(笑)。なかなか難しいプロジェクトでしたが、何より、街を知れば知るほど、その魅力に可能性を感じると同時に、このKABEATが自分の会社や町にどんなインパクトを残すかはわかっていたので、会社のメンバーをどんどんアサインして、プロジェクトを進めました。
●KABEATがオープンした時、やりがいを感じましたか?
ほっとしましたね。メディア内覧会で、シェフが6人並んだ時は泣きそうになりました。ただ企画が形になる瞬間は嬉しいけど、でも、やっぱり運営が大事だと、僕は思ってます。企画だけやって放り投げることはいくらでもできる。ブランディング、オペレーション、お客さんに満足してもらうにはどうしたらいいか、これまでもそういう継続していく大変さを実感してきました。これからお客さんで埋まっていくと、じわじわやりがいを感じるでしょうね。あとは、僕自身が前に出たり旗を広げて先陣を切るタイプではないので、働いているみんなが表に出たり、KABEATで働いていること自体がブランディングになったら、ひとつの成果だなと思いますね。
●これから考えていることはありますか?
まずはKABEATを安定させることです。兜町はアップデートの1.5くらいの段階で、これからの10年で5.0くらいまでいくのかなと(笑)。KABEATは、200坪の広い空間でさまざまな料理を提供し、朝から晩までオープンしています。これまでそういう気軽に立ち寄れる飲食店がなかった兜町で、KABEATは街のインフラ になりうると思います。兜町にあそこがあって良かったよねという存在でありたいですね。自分のことでいうと、もともとずっと起業したいと思っていたので、これというのがまだ掴めていないのですが、食に携わる人がより注目され、認められる様な事業を起こしたいと思いますね。
Text : Momoko Suzuki
Photo : Naoto Date
Interview : Momoko Suzuki
黒木久弥
GREENING企画運営事業部マネージャー
伊藤一城
HOPPERS
兜町の気になる人
HOPPERSの伊藤一城さんです。僕自身、アジアや中東の料理が大好きで、スパイスカフェが好きだったので、兜町に2号店ができてテンションが上がりましたね。KABEATのランチにも来てくださるんですよ。