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天野 慶
天野 慶

2021.12.24

天野 慶

Yard Works

庭に見立てたK5
四季の植物で作る空間

植物だけで空間を作り上げ、そのオリジナリティ溢れるセンスが支持されるガーデナー天野慶さん。Yard Worksとして山梨県に「THE SOIL」という拠点を持ちながら、日本全国のプロジェクトに携わっている。K5の植物を手がけた際は、四季を演出しながら、人の導線の延長線上に目がいくようなレイアウトにこだわったという。石造りのグレーな兜町に、彼が手がけた力強く自由なグリーンがよく映える。

●出身はどちらですか?
山梨県の石和温泉というところです。そこで育って、いまも住んでいます。
水道と一緒に温泉が通っていて、蛇口をひねると温泉が出てくるんですよ。

●学生時代はどんなことをしていたのですか?
千葉の大学で化学系の勉強をしながら、目的も目標もなく、将来どうしようかなとフワフワした学生時代を過ごしていました。
当時、裏原ブームだったりして、東京には買い物しにしょっちゅう遊びに来ていたけれど、人込みが好きではなかったし、あまり東京に住みたいとは思えなかったんです。釣りが好きだったし、自然がある場所がいいなと思って、就職で地元に帰りました。

●どんな会社に就職されたのですか?
半導体の会社に就職したのですが、早く仕事終わんないかなって時計ばかり見ていて、あれ、このままで人生いいのかなと思ったんですね。結局2年しかその会社には勤めず、趣味でホームセンターに通って棚を作ったり、空間が好きだったりしたこともあって、リフォーム会社に転職しました。その会社で、エクステリア、家の外観や外壁にまつわるアプローチの簡単なことは覚えました。

●そこから、なぜ植物を扱う仕事に?
ある時、庭のデッサンをしていて、自分の中では完成形に感じていたけれど、全然かっこよくないなと思ったんです。手に取った洋書に出ていた庭がすごくかっこよくて、なんでだろう、何が違うんだろうと思ったら、植物がメインの庭だったんです。「あ、植物だ!」と思って(笑)。25、26歳の頃だったかな。ちょうど母親がガーデニング教室に通っていたので、ついて行ってみたら、植物で空間が構成されていることに衝撃を受けました。コンクリートとか硬いものではなくて、植物だけで空間が作れるということにびっくりして。それで植物について修業したいって思ったのが始まりです。サクラ、チューリップ、タンポポくらいしか知らないようなところから(笑)。

●どんな人のもとで修業を積んだんですか?
師匠が女性のガーデナーで、生粋のイングリッシュガーデンの人でした。先生と呼ばれていて、彼女に庭を作ってもらいたい人が訪れるんです。フェンスを提案する時はガウディの作品を持って行くような人で、今まで自分がやってきたのはカタログからチョイスして選んで提案という感じだったから、やりたかったのはこれだったんだって思いました。家を建てる時って、ハウスメーカーか設計事務所に依頼すると思うけど、設計事務所の場合は、お客さんが自分で建築家を探してその人に設計してもらいたいって依頼してくる。この分野で、自分は設計事務所になろうって思いました。先生は考え方やスタンスもかっこいいんですが、クリスチャンだったので、夜になると図面を書きながらワインを飲み始めて讃美歌とか歌い始める。それもおもしろかったですね(笑)。

●植物については、どんなことを学びましたか?
植物に対する接し方を学びました。先生の植物に対する扱いが愛に溢れていて、何も知らなかったからそれが普通だと思って、逆に良かった。日本には四季があるから、それを鑑みた植栽設計や、香りがするものや収穫できるものなど、そんな植物を構成すると空間ができるということを学びました。30歳で独立しようと決めて、26歳から4年集中して学びました。造園の世界ではなかなか遅いけど、提案できる職人ってあまりいなかったから、資格を取ったり勉強したり、交友関係を全部切って集中しました。やるなら、それくらいじゃないとだめだと思ったんです。

それにヨーロッパのかっこいい庭を日本に持ってきてもそれはただのコピーだから、自分の中で解釈してオリジナルのジャンルを作ろうと思うようになりました。

●4年修業した後、すぐに独立したのですか?
29歳で辞めて、ヨーロッパに3カ月の放浪旅に出ました。姉がパリに住んでいたので、そこを拠点にノープランで。頭でっかちになりつつあったから、ちゃんと本場を見ないとだめだと思ったんです。駅前のインフォメーションでマップをもらって、緑色の部分があると公園だからそこに行こうみたいなノリで、公園を巡りました。公園ってなんでこんなに気持ち良いんだろうと考えていたら、そこには文化があるからだとも気付きました。子どもの遊び方やおじさんの寛ぎ方、そこに住む人たちの暮らしぶりや人と公園の関係性の近さを感じましたね。

●感銘を受けた公園はありましたか?
ヨーロッパの大きな公園には必ず日本庭園があるのですが、日本庭園に出合った時に、「わ、これはやばい」と思いました。日本人だということもありますが、日本庭園の素晴らしさを改めて感じたんです。この空間かっこいいなと思って、リスペクトがあるけど、日本庭園の修業はしていないから手がけることはできない。それにヨーロッパのかっこいい庭を日本に持ってきてもそれはただのコピーだから、自分の中で解釈してオリジナルのジャンルを作ろうと思うようになりました。日本庭園へのリスペクトを持ちながら、海外のカルチャーとのミックスで、でも背伸びしつつ、地の感じでいこうと思いました。

●ほかにヨーロッパ周遊で影響を受けたことはありましたか?
美術館巡りもしていたのですが、どの美術館に行ってもキリストの絵があるんですね。初めは衝撃を受けたけど、どこに行ってもあるから、だんだん気持ちが疲れてきちゃって(笑)。見方を変えてみようと思って、貴族や農家の暮らしぶりとか絵の中にあるライフスタイルにフォーカスしてみたんです。そこから、どういう時期にどんなシチュエーションでどういう人が描いたのかなって、絵のバックグラウンドを妄想し始めたらおもしろくなってきて。スペインの海沿いで窓を開けながら、禿げた親父がこの絵を描いているのかなとか考えたり(笑)。そのうちに妄想が得意になって、すごく良い訓練になりました。今でも庭の依頼が来た時は、何もない場所を見ていても映像が見えてきます。ずっと眺めていると、森やテラスが出てきて、子どもが遊び始めて、妄想が膨らむんです。

●帰国してから、独立はスムーズだったのでしょうか?
独立して、剪定や植物の手入れでも食べてはいける。でも庭を作るために独立したから、そのためにはどうしたらいいのか考えました。何かしら活動しないといけないと思って、テーブルガーデンという寄せ植えの小さな鉢や盆栽を作ったり、山梨大学の電子音楽の先生にお願いして、ステージで電子音響を流しながら即興で盆栽を作るライブイベントをやったりしました。
当時は植物で遊んでいる人がいなかったから、そんな活動をしていたらアンテナを張っている人が来てくれるのではないかなと思って。そこから声がかかることも増えて、イベントの装飾とかお金にはならないけれど喜んでやったりしていたら、東京の仕事もくるようになって、影響力のある人と繋がって可愛がってもらえるようになりました。でも山梨で仕事がしたいという気持ちがあったので、「Yard Works」を創業して10年後に、ようやく事務所兼ショップ「THE SOIL」を出せた時は感慨深かったですね。ようやくスタートラインに立てたと思いました。

兜町は石造りの街だから、そのグレーなイメージを森に返したいという気持ちがあったようで、もしかしたら兜町全体のことを考えて庭師を選んだのかもしれないですね。

●K5の植物を手がけることになったのは、どんな経緯だったのですか?
メディアサーフの松井さんから、フランクな感じで電話がきたんです。こんなプロジェクトがあるけどどう? みたいな(笑)。初めましてだったし、急にプロジェクトと言われてもよくわからなくて、またあとでいいですかって言って電話を切ったら、それがショックだったみたいで、すぐに家族を連れて山梨にいらっしゃったんですね。そこまでするってすごいなって思って。それで前向きに引き受けることになりました。

●Claesson Koivisto Rune (※1)とはどんな話をしたんですか?
初めてCKRのオラ・ルーネさんを紹介された時、「ようこそ日本へ」くらいは言おうかなと思って、グーグル翻訳でスウェーデン語の簡単な自己紹介を覚えて行ったんです。緊張しながらスウェーデン語で自己紹介したら、英語で返ってきて(笑)。でも後から聞いたら、それも響いていたらしいんですね。その後、山梨にも松井さんがオラを連れてきたのんですが、実はそれが面接だったようです。彼としては、K5のグリーンを手がけるのは植物屋でなくて庭師にしたいというのがあったみたいで、それもあって自分に声がかかったのかなって。兜町は石造りの街だから、そのグレーなイメージを森に返したいという気持ちがあったようで、もしかしたら兜町全体のことを考えて庭師を選んだのかもしれないですね。

※1
K5を手がけた、スウェーデンのデザインユニット

●具体的なプランはあったんでしょうか?
全然なかったんです。簡単な落とし込みはあったけど、おまかせだったからマジかって思いながら(笑)。K5のプロジェクトメンバーも若くて、恐らく最年長だったのかな。今まで自分がいちばん下という現場が多かったから、後輩から頼られるような場面に慣れてなくて、それも衝撃でしたね。
いつもと違う現場だなと思いながら、それもおもしろかったし、若い人たちのエネルギーや東京の人たちのスキルの高さ、オラという世界的に活躍する人のジャッジの仕方を感じていました。最終日なんて、大きい鉢を持っていろんなところに置き始めて、めちゃくちゃおもしろかったですね(笑)。

証券取引所側からK5に向かう時、窓から日が当たっている植物がすごくきれいに見える。グレーの建物だからこそ、緑が鮮やかに見えるというのもあったりするんですよね。

●K5の植物は、どんなところにこだわったのでしょうか?
K5の入口には、オーストラリアの植物と日本の植物を置いています。東京ってミックスの文化だと思うから。技術力がいるけれど、植物をミックスして置いたり、ひとつの鉢にいろんな植物を入れたりしています。スイートルームは特にいろんな植物がミックスされています。天井が高いこともあって、造園業のテクニックを出すことができました。扉を開けた時やベッドから見えるイメージを想像して植栽をしています。植物は、正面からと横から見るのでも全然違う。通路が見えるような配置にしたり、人の導線の延長線上に目がいくようにしたのもポイントです。植物を知っているというだけでは、その空間作りができません。人はこういう風に歩くよな、その時にどう見えるかなというのを計算して、考えながらレイアウトしました。

●庭造りとの違いはありましたか?
初めはすごく葛藤があったんです。庭を作るのが仕事ですが、K5は全部中だから庭とは違うわけで……。でも入った時にどう見えるか、歩いた時にどう見えるか、道路からどう見えるか、それって庭造りと一緒だなと思って。考え方を変えれば庭になるって解釈したら楽しくなってきました。それでもやっぱり屋内だから、植物の成長についてはすごく難しくて、光量や風の問題もすごく意識しています。
エントランスの外の植物も、四季がはっきりと出るように置きました。夏はアジサイが咲いているとか、ちょっとした限られたスペースで四季を演出するのは、経験と知識がないとできないことなんです。K5がオープンした2月は、冬だから葉っぱがついてなかったけど、春になると緑がじわじわ出てきて、夏になると強い緑が出てきて、特にドウダンツツジなんかは秋になるとびっくりするくらい真っ赤に紅葉する。現場のスタッフの管理もすごく重要。四季のサイクルで表情がまったく変わるから、年に4回は見に来てほしいですね。

●鉢のセレクトのこだわりも教えてください。
シンプルな鉢が好きですね。植物で色も動きも出るから、極力主張しない鉢がいいなと思います。でも、空間に沿っていろいろ提案しますね。K5は、オラが素焼きのプランターを選んだんです。素焼きは土だから植物が呼吸できるけれど、プラスチックや樹脂だと素焼きみたいには呼吸できない。どんなプランターでも手に入る時代に、世界的なデザイナーがもっともクラシックなものを選んだというのが嬉しかったですね。

●兜町についてはどんな印象を持っていましたか?
フレーズは何となく聞いたことがあったけれど、来ることはまずなかったから、金融街というイメージだけでした。でも石造りの建物がクールだからこそ、逆に植物が映えるんですよね。余計なものがないし、植物がかっこよく見えたりする。たとえば朝、証券取引所側からK5に向かう時、窓から日が当たっている植物がすごくきれいに見える。グレーの建物だからこそ、緑が鮮やかに見えるというのもあったりするんですよね。

●K5の仕事以降、何か変化はありましたか?
K5のブランド力がすごくて、逆に山梨にいて良かったなと思うくらい仕事が増えました(笑)。口コミで問い合わせが増えて、以前は個人のお客さまばっかりだったけれど、今は企業案件が増えました。でも植物ってツールになりがちだけど、ツールにはしたくないという思いがあって。
商業施設に植物を入れたいという問い合わせで、ツールとしてしか見ていないのかなと思う時はお断りすることもあります。その場所の人が愛を持って植物を育ててくれることが大事だから、ビジュアルがいいから植物というのではなく、先のことを考えながら取り入れてほしいんです。「そこに愛はありますか」っていう(笑)。

地元の若い人にも視野をもっと広げてもらえるように、こういう人がいるんだよ、こういうことできるんだよと伝えていかないといけないですね。

●今、庭造りのインスピレーションになっていることを教えてください。
今でも洋書は見ていて、ランドスケープの本が多いですね。あとは、インスピレーションを受けるのは映画です。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観た時は、最後に出てくるシーンの庭が気になって。やっぱり庭を見ちゃいますね。『ブレイキング・バッド』のアメリカの荒野を走っている感じとかも良かった。映画の背景もだけど、ファッション雑誌のハイブランドのページのロケーションを見るのも好きです。このレンガの積み方かっこいいとか、この石の張り方いいなとか、色合いやイメージからインスピレーションを得ています。

●これからやりたいことはありますか?
20代の頃から先輩を追いかけてきて周りには年上ばかりだったけれど、もう若手という年齢ではなくなって、関わるプロジェクトに年下が増えてきました。今は、ちゃんと伝えていかないといけないのかなというところにいます。仕事とは別に、大人の遊び方ではないけど、発信をうまくしないといけないのかなと思っています。
K5に来ると若いスタッフが楽しそうにしているけど、山梨ではあまりそういう景色を見ない。地元の若い人にも視野をもっと広げてもらえるように、こういう人がいるんだよ、こういうことできるんだよと伝えていかないといけないですね。

●目標としていることはありますか?
昔から言っているのは、50mでも100mでもいいから、自分が全部プロデュースしたストリートを作ってみたいですね。建物から、テナントから、植物ありきでプロデュースしたい。街作りに近いのかもしれないですね。すごく良い50mがあれば、世界中からそれを見に人が来ると思う。
いま、そういう目標に近づいている感はあります。

天野 慶

天野 慶

Kei Amano

1977年、山梨県生まれ。リフォーム会社で働いた後、イングリッシュガーデンを手がける師匠のもとで造園や植栽を学ぶ。「Yard Works」の屋号で独立し、さまざまなアプローチから緑のある生活の魅力を発信。2017年には事務所兼ショップ「THE SOIL」をオープン。K5の植物を手がけたことで話題を呼ぶ。その後、兜町では2021年12月にオープンしたKABEATの植栽演出も担当した。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Naoto Date

Interview : Momoko Suzuki