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中川知子
中川知子

2021.04.01

中川知子

HOTEL K5ゼネラルマネージャー

いま自分にできること
起ち上げ請負人の使命

1923年に日本最初の銀行の別館として竣工された建物をリノベーションしたHOTEL K5。兜町の再開発の起点ともなったこのホテルのゼネラルマネージャーを務める中川知子さんは、ウエディングプランナーとしてキャリアをスタートし、さまざまな事業の起ち上げを担ってきた。エキサイティングな起ち上げ請負人として人生を歩んできた彼女にとって、HOTEL K5はどんな場所なのだろうか。

●出身はどちらですか?
大阪で生まれて、学生時代はずっと関西でした。大学は神戸だったんですが、短期留学ではイギリスのリーズ地方に行きました。
社会制度が好きだったので、社会学を専攻して、年金や老後の保障とか、国ごとのリタイア後の制度を調べたりしていましたね。

●渋いですね(笑)学生時代に熱中して取り組んでいたことなどはありますか?
ずっとスポーツをしていました。3歳から小学校卒業するまではクラシックバレエ、中学と高校でテニスをやって、大学ではヒップホップのダンスをしていましたね。人生のかなり長い間ダンスをやっていましたが、自分の考えていることを相手がどう受け取ってくれるのか、何も使わずにシンプルに身体と動きだけで伝えていくことを学びましたね。身振り手振りでお客さんにどう伝えるかという意味では、いまの仕事にもすごく影響しているように思います。

●大学を卒業してからのファーストキャリアは?
ウエディングプランナーです。京都で3年、その後、神戸、ニューヨーク、東京と転勤して、トータルで6年間その会社で働きました。ウエディングプランナーって新規営業から企画運営までやる仕事で、お客さまの要望ヒアリングから始まり、どんな結婚式ができるかプレゼンテーションして、依頼を受けたら、3~4カ月ほどかけて結婚式当日までじっくりと作りあげていきます。会社によって体制はさまざまですが、私がいた会社では、ひとりのプランナーが一組のカップルに最初から最後まで付きっきりで担当していました。

●その次はどんな仕事に就いたんですか?
2014年に開業した、ハイアットグループのアンダーズ東京の起ち上げにウエディングディレクターとして携わりました。アンダーズはヒンドゥー語でパーソナルスタイルって意味ですが、いわゆるクリエイティブ層が好まない手取り足取りのサービスを提供しないんです。
昔は過剰なサービスを受けることこそラグジュアリーホテルという価値観でしたが、次世代の活躍する人たちはちょっと違ってきている。デニムにスニーカーだけど、社会的に意義のあることをやって活躍している人ってたくさんいるんですよね。そういう人たちにマッチさせる形で生まれたのがアンダーズで、かっこいい空間だけどお客さまが自然体で過ごす、新しいラグジュアリーを体現しているブランドです。

●大きなグループでブランドを起ち上げていくことから、どんな学びがありましたか?
一社目はベンチャー気質だったので、驚くことも多かったですね。ハイアットはブランドというものに対しての意識がすごく高くて、細やかなところまで徹底されていました。丁寧にブランドを育てていくというか……スタッフひとりひとりが同じ目線で認知して同じように提供していくには、こういう細やかな徹底が必要なんだな、というのはすごく学びでした。結局、アンダーズの開業前準備で1年半、オープンして1年半、合計3年をハイアットで過ごしました。

●その後はどんな仕事をしていたんですか?
いろいろ続くんですけど(笑)その後は、ジャパンハウスという外務省の文化発信拠点で、ロサンゼルスの東京事務局をやっていました。
日本のコンテンツホルダーとか、ロサンゼルスに何かを持っていきたい人たちの間に立ってアレンジする仕事でした。ここでもまだ箱がないところからの起ち上げで、開業準備が2年、オープンして1年、トータルで3年ほどいましたね。

まだ形になっていないところから何かを作り上げて、
もみくちゃにされるというのが好きなんでしょうか(笑)。

●お客さんとビジネスの間に立つ、接点になる仕事が好きだったんでしょうか?
そうなんでしょうね。ここまで振り返ると、最初のキャリアがウエディングプランナーで良かったなとは思います。目に見えないけど、お客さまが叶えたいと思っているものを形にするために並走したり、ハンドリングすることが好きなんだと思います。その後も、同じような仕事で。
アンダーズ東京の開業とともにオープンした新虎通りという道があるんですが、その中間地点にあるザ・コア・キッチン・スペースでコミュニティマネージャー兼ゼネラルマネージャーをやりました。ここはレストランもあるイベントスペースで、アンダーズ東京の起ち上げの時にお世話になった森ビルの方から、街を盛り上げる場所を作りたいから開業準備に入ってくれないかとお声がけいただいて。1年ほど働きましたね。

●開業準備のキャリアも多いと思うんですが、起ち上げって大変な仕事ではないですか?
振り返ると、本当にそればかりですね。なんでだろう……まだ形になっていないところから何かを作り上げて、もみくちゃにされるというのが好きなんでしょうか(笑)。ウエディングプランナーという仕事も起ち上げですよね。それぞれのカップルごとに全然違うものなので、毎回起ち上げては結婚式当日に終わる、その繰り返しでした。

●昔から、起ち上げるということが得意だったんですか?
そうですね。大学のダンスサークルでもある意味そういう日々だったかもしれません。
ショーケースの為に、振り付け、構成、曲選び、衣装からすべて決めて、舞台に立つ日までやりきらなければいけないところまで、クオリティを上げていく準備に奔走していましたね。

●起ち上げ請負人ですね(笑)起ち上げにいちばん大切な能力って何でしょうか?
問題を解決するのが楽しいって思うスタンスですね(笑)問題を起こさないのではなく、起きる前提で物事を考えていますね。
かなりハートが強くなります。仕事から離れたら気持ちを切り替えたくて、ピラティスをして身体と向き合っていますね。
飼っている猫も、エキサイティングな気持ちを癒やしてくれます(笑)

●その後、K5で働き始めたんでしょうか?
はい、友人を介して出会った岡雄大さん(※1)から、K5に誘ってもらいました。ザ・コア・キッチン・スペースでは意思決定の経路が複雑だったこともあり、街を変えて活性化させていくことに対して私にハンドリングできる権限がなかった。これまで大きな組織や体制で戦ってきた5~6年だったので、岡さんから話をもらった時に、覚悟を持って自分の決断で仕事ができる場所だと思ったんです。

※1 岡雄大
K5ファウンダーのひとり。ホテルの企画・開発・運営を得意とし、さまざまなホテル創業に携わるホテルプロデューサー。

●K5も起ち上げから参加されたんですか?
ジョインしたのは、開業の4ヵ月前です。基本設計やデザインは整っていたけど、ソフト面がまだ何もできていなかった。オペレーションの第1号として入って、人の採用や運用など考えていった感じですね。
実は、HOTEL K5でゼネラルマネージャーをやってみないかと言われた時、最初は何回も断ろうと思ったんです(笑)ホテルのゼネラルマネージャーなんてやったことないし、自信ないし……恐怖心でいっぱいで、断らなきゃってオフィスの前を何往復もしました。でも断れないまま、結局帰って。オープン日はすぐそこっていう状況だったし、大変なことになるかもしれないけどやるしかないって腹を括りました。
まあ死なないだろうと思って(笑)

●開業した時はどんなことを感じましたか?
ブランドが本当に生まれる瞬間ってあるんだなって思いました。開業はたくさん見てきたけど、顔を知らない誰かが作ったブランドではなく、身近にファウンダー3人(※2)がいてブランドを作っていくのを見たのは初めてだったので、感動でしたね。
ファウンダー3人はみんな違う方向を向いていてテントみたいにお互いを支えながら立っているみたいな感じなんですが、私はその3人からどうK5を転がしていくかを任せてもらっています。K5は3人にとって価値がある場所であり続けないといけない、育てていかないといけないと思いましたね。

※2 ファウンダー3人
岡雄大さん、本間貴裕さん、松井明洋さんのK5を起ち上げた3人。

●コロナの影響もあると思いますが、いま感じていることはありますか?
この1年は本当に大変でした。でも私がこうやってここにいるのは、大変だからなのかなとも思っています。安定しちゃうと、また何か起ち上げたくなっちゃうんで(笑)コロナ禍で常にエキサイティングで、どうする?何やる?何だったらできる?って考えていくのは楽しいです。
それに立ち止まったり猛ダッシュしたりのムラがある分、思考する時間ができたのは良かったかもしれないですね。

近隣の方も遠くから来た方も受け止める大きな受け皿というか、
兜町にとってK5はそういう包容力のある存在でありたいですよね。

●まだ先が見えない状況で、一手先を読み解くのは難しいですよね。
そうですね。でも開業した時は、オープンしたばかりのホテルの評判が私のちょっとした判断でぐらついてしまったらどうしようっていう恐怖心があったんですが、いまこういう状態になって、やりたいことを細心の配慮と誠意を持ってやっていくこと以外に選択肢がないって腹を括れた感じですね。この先も元に戻ることはないと思うので、そのメンタリティで楽しくできること、やり続けること、実現できるチームをいつも整えておくことが私の仕事かなと思っています。

●キャリアとして、次に描いている目標などはありますか?また何かを起ち上げたいですか?
オペレーションの起ち上げをリーダーシップを取って形にしていくのは、この13年くらいずっとやってきたので、どんなことでもある程度はやり遂げられる自信があります。でも、これまで起ち上げてきた中で、できなくて悔しかったり、本当はもっとやりたいなと思う部分があったんですよね。
その範疇をもう少し磨いていきたいというか、なんだろう……ブランディングだったり、その先にもうひとつある部分なのかな。開業する時にオペレーションと重なる大事なことなんだけど、現場を走り回っていくうちにやりきれないみたいなことってあるんですよね。

●兜町も再開発が進んでいますが、どんな街になったらいいと思いますか?その中で、HOTEL K5はどんな役割を担えると思いますか?
近隣の方も遠くから来た方も受け止める大きな受け皿というか、兜町にとってK5はそういう包容力のある存在でありたいですよね。常にどーんと構えていて、この街を知らない人にほかの店を紹介したり、この街での過ごし方をニーズに合わせてプランニングしたり、そんな場所ですね。
そのためには、もう少し気軽に訪れられる場所が増えるといいなと思っています。飲食だけでなく、花や雑貨などライフスタイル系の店も増やしていきたいですよね。

中川知子

Tomoko Nakagawa

1984年、大阪府生まれ。甲南大学卒業後、ウエディングプランナーとして6年間働いた後、アンダーズ東京の起ち上げに携わる。その後もさまざまな事業の起ち上げに携わり、K5へ。ゼネラルマネージャーとして、ホテルのオペレーションを担っている。
※2021年6月30日をもってHOTEL K5ゼネラルマネージャーを退任し、現在はスモールラグジュアリーホテルに特化した運営、マネジメントを行うNOT A HOTEL MANAGEMENT株式会社の執行役員として所属している。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Nathalie Cantacuzino

Interview : Akihiro Matsui


中川知子

HOTEL K5ゼネラルマネージャー

日本橋日枝神社の神主さん

兜町の気になる人

実は先日結婚式を挙げまして、この辺りの氏神様である日枝神社さんにも挙式時にお世話になりました。神主様が最近の兜町について、また未来についてどのように考えていらっしゃるか気になります。