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山下聡一廊
山下聡一廊

2021.04.01

山下聡一廊

K5館長

ファッション・建築・現場の空気は
常に彼の身体を覆う

ファッションと建築。身体を覆うモノに興味を抱いた学生時代に端を発し、ここ兜町K5の館長として、日々現場の肌感覚を大切にしているという山下聡一廊さんが、インタビューの中で、常にニュートラルであり続けることの意味、そして、今後のK5について教えてくれた。

●学生の頃はどんなことに情熱を注いでいましたか?
神奈川県相模原市出身で、小学校1年から高校2年までサッカーをしていましたが、学校の先生たちとの折り合いが上手くいかず、塾の講師の方がメンターとなっていて、ある時「面白い奴らがいるからSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)かICU(国際基督教大学)行きなよ。合うと思うよ」と言われたんです。自分でも調べてみてSFCに行きたいと思って、それからはSFCに入るための勉強しかしなかったのですが、なんとか無事合格することができて、SFCで大学生活を送ることになりました。

●大学では何をしようと思っていましたか?
ファッションと建築が好きだったのですが、理系でもないのに建築が学べるってことでSFCへ入学することに心が傾いたんです。なので学問としては、建築を学ぶために大学へ入った感じでした。
僕らの時代ってファッションデザイナーがスター性を持っていて、例えばYohji Yamamotoとか、アントワープ6(※1)とか、Dries van Noten、Ann Demeulemeester、Maison Martin Margiela もそうですし、数え上げたら切りがないですが、人を覆うモノに興味があったんです。建築も人を覆うモノですよね。

※1 アントワープ6(アントワープシックス)
ベルギーのアントワープ王立芸術学院出身のデザイナー6人の総称。ロンドン・ファッションウィークではこの6人に加え、マルタン・マルジェラも参加。

●そのままファッションと建築の二軸で興味を掘り下げていったのでしょうか?
そうなりますね。デザインを学ぶためにバンタンデザイン研究所にもダブルスクールで通っていました。でも、日々そういった建築やファッションの専門分野で自分の手を動かしていくなかで、細かな作業が自分に向いていないことに気付いたんです。服をつくること自体にはそんなに興味がなかったんだと。そんな時、SFCのファッション・ショーで行われたインスタレーションを企画したことが、後にコンセプトを開発したり、アレンジメント、オーガナイズしたりする側に立ち位置を変えるきっかけになりました。今の仕事でも、業態開発とかブランディングをすることに関しては、やはり似ている部分が大きいと思います。場をつくるということですね。

当時、僕の中に大きな軸が二つあったんです。
一つはクリエイティブな世界で何かしたいということ。
もう一つは何かを教えるということ。

●最初に就職したのはどちらでしたか?
あまり大きな声では言えないですが、コンサルティング会社を入社一週間前に辞退したんです。1年半も待ってもらって入社前研修まで受けて直前で辞退するという、今考えると本当に失礼なことをしました。当時、僕の中に大きな軸が二つあったんです。
一つはクリエイティブな世界で何かしたいということ。もう一つは何かを教えるということ。教えるとか説明するとか、育てる、伝える、そう言ったところに興味があったんです。サッカーでも小、中学生に高校2年生から大学3年生くらいまで指導者としてサッカーを教えていました。
予備校講師もしたことがあって、そこからコンサルティングということも気になっていたんです。周りの人たちが一斉に就職していくのを見て焦ったこともあり、自分もこのまま就職という流れだったのですが、直前でやっぱりもう一度クリエイティブな世界の方を考えようと足を止めて。それで、コンセプトをつくるには、ライティングを学ばなければと思い、コピーライター講座を受けたりしました。

●その二つを天秤に掛けて、クリエイティブの方に傾倒したことに後悔はありませんか?
全然後悔してないです。ようやくクリエイティブな世界に足を踏み込めたというか。それで柴田陽子事務所(※2)へ入ることに。柴田陽子事務所っていわゆる“クリエイティブ”で有名な会社じゃないけど、全体のコンセプト開発からアートディレクションまでやっているっていう絶妙なところに位置していると思っていて。偶然にも大学の一つ上の先輩が居て、すごく良くしてくれたんです。当時この事務所のNo.2という感じで、僕にとっては本当に丁寧に面倒を見てくれた姉みたいな存在。最初は、お茶汲みから教わる感じでした。始めて参加させてもらった会議で先方に出したお茶がプリンを入れる容器(ココット)だったことから、ココット山下というあだ名が付いたことは良い思い出です(笑)。ある時、参加していたプロジェクトに初心者ながらも自分なりに意見や提案を出していた中で、柴田さんに、「案外良いじゃない」と言ってもらえたことがあって。はじめて報われたというか、そうやって諦めずに提案を出し続けたことだけが、唯一自分がそこで勝ち取れたことかなと。常に即戦力が求められる職場だっただけに、そこでの3年間で得たものは“忍耐”でした。泥臭いですけどね(笑)。

※2 柴田陽子事務所
企業の店舗コンサルティング等を行う、ブランディング・コンサルティング会社

●それでお店のコンセプトに携わることに?
そうですね。柴田陽子事務所では、デザイン・ブランディングとサービス・ブランディングの2軸でやっていて。デザイン・ブランディングっていうのは、もちろんアートディレクションの方で、サービス・ブランディングの方は、日々のオペレーションをどうマニュアルで改善していくかというブランディング・アプローチで、すごくオリジナリティがあってユーモア溢れる内容になっていました。飲食店経営に出会ったのもこのタイミングでした。直営店舗が当時7店舗程あったので、柴田さんの元でデザインの目を鍛えてもらいながらも、損益計算書の読み方とかを少しずつ勉強して身に付けていきました。

●それで次のステージはどこになったのでしょうか
当時ビジュアル・コーディネーター(VC)を募集していたベイクルーズへ行くことになりました。31歳ぐらいでしたかね。店舗のビジュアルと販促を担当する部署で、なぜかそこに入って2トントラックを転がしては、什器や店舗ディスプレイを搬入していたこともあって、8ヶ月で辞めることになり、その後はトランジットジェネラルオフィスで働きました。
柴田陽子事務所と案件は似ていましたが、トランジットでは、それをよりトレンドを意識したアプローチで取り組んでいたと思います。なのですが、一年ほど経って、自分の中で働き方の折り合いがつかなくなって辞めることになりました。そこで、ベイクルーズの人事部長さんに再び声を掛けてもらって。お世話になっていた人全員に謝って、そこから飲食のマーケティング部署で新店舗のオープンやコンセプトづくり、販促やケータリングに携わるようになりました。

●2回目のベイクルーズはどうでしたか? 自分のやりたいことは実現できましたか?
ベイクルーズは自社事業で、これまで自分がやって来たこととは違うものでした。競争のない世界というか、みんな好きなことに没頭している感じ。その中で3年間、服をはじめカルチャーオタクな人たちに触れたり、いわゆる会社っぽいことを経験したり、いろいろな経験を積ませてもらいました。そんな時に出会ったのがメディアサーフ(※3)の松井さん。
それで何故かオーストラリア発のドーナッツ店の店舗立ち上げの案件の声がかかったので、それをメディアサーフに相談したのが始まりでした。ベイクルーズを辞めてからは個人事業主として4年間はブランディングに携わっていました。全体的にファッション関係の仕事が多かったです。ファッション×フードのハイブリッドな人たちが求めている部分に、自分の手伝えることが多くあった印象でした。自分の仕事が変化し始めたのは、Brooklyn Brewery(※4)のRobinに会ってからでした。実際にニューヨークへも行かせていただいて。そこからは本当に楽しかったですね。それでK5の立ち上げにも関わることになり、最終的に館長として携わることになりました。

※3 メディアサーフコミュニケーションズ
「都市の編集者」というコンセプトのもと活動。現在は兜町の再活性化に注力。

※4 Brooklyn Brewery
ニューヨーク・ブルックリン生まれのクラフトブルワリー。世界初の旗艦店「B」はK5 B1Fに入る

やっぱり届く言葉の温度が全然違いますよね。
生きた言葉が飛び交っているというか。

●K5の館長としての仕事はどうですか?ブランディングのスキームとはまた違う視点が入ってくると思うのですが。
クライアントワークをする上で、これまでずっと自分の中で抱えて来た疑問があるんです。それは、プロジェクトが立ち上がったら誰かに任せてしまうこと。自分が関わらなくなることに本質的なブランディングと掛け離れた部分があるんじゃないかと思っていたんです。
もっと、現場にいる人の力とか、醸し出すバイブスにこそ真のブランディング力がある気がして。なので、ここではジャンルに関係なく、クリエイターをどうアレンジしていくかとか、クライアントワークではなく、一緒に課題に直面する中で現場の肌感を味わいながら動いています。スリリングですが、日々楽しめている部分でもありますね。やりたかったことってこれだったんだって。そもそも東京でいま一番面白い人たちと一緒に働けること自体そうないことですよね。

●クライアントワークと異なり、実際に自身が現場に立つことでどのようなことを感じましたか?
やっぱり届く言葉の温度が全然違いますよね。生きた言葉が飛び交っているというか。日々一緒に時間を共有して悩んでくれる人として認識してもらうことが結構大切かなと。横も繋げるし、縦も繋げる人って案外いないのかもって思うと、新しいポジションとしてはすごく良いのかもって。

●K5が兜町で担うべき役割に関してどう考えていますか?
うーん、難しいですね(笑)。ある種カッコつけられる場所であってほしいと思います。入るのに少し勇気がいるというか、敷居が高いというか。そう言った場所に背筋伸ばして入って来てもらう。ちょっとだけお洒落してくるみたいな(笑)。でも街にとってはK5を中心に色んなイベントをやっていきたいというところもあります。Human Nature(※5)もブロック・パーティやりたいって言っていますし。そこ、K5が旗振りますよって感じで。ピリッとしつつも、この街の旗手として包容力があるみたいな。

※5 Human Nature
兜町にあるナチュラルワインの酒屋、角打ちスタンド

●現場にいる中で感じ取れる部分は多いと思うのですが、自分の中での課題をどのように順序立てしていますか?
大きな方向性としては、気持ちや熱量、雰囲気といった目に見えない部分を大切にしています。目標を達成するためにそれらを蔑ろにすることがないようにしたいところです。そのために、とにかく機嫌良くいたい。困っている人最優先といった感じで、気軽に相談できるお兄さん的な存在でいれたらと思っています。頼りにしてもらえたらすごく嬉しいですね。

●例えば3年後は、どのように生きていたいと思いますか?
そうですね、キャラクターや才能を応援するような仕事をしていたいですね。そして同時に自由に生きていきたいと思っています。今までは、大学もそうでしたが、数年後のビジョンがあって、そこ目掛けて生きて来たんです。でも今って目の前にあることを楽しんでやっていくしかないというか、現状にコミットしていくことでしかビジョンが開けないというか。
目の前のことを楽しみ、悩み、どこに行き着くかわからない中で、とにかく生きていくぞ! 的な感覚で日々生きています。予定不調和を楽しみながら、これからもやっていきたいと思います。

山下聡一廊

山下聡一廊

1984年神奈川県生まれ。ブランディングエージェンシーにて商業施設や飲食店などのコンセプト開発に従事した後、株式会社ベイクルーズにてフードブランドのマーケティングを経て独立。BROOKLYN BREWERYの旗艦店「B」の立ち上げをきっかけにメディアサーフコミュニケーションズ株式会社に参加、マイクロ複合施設「K5」の準備室に。2020年4月からFERMENT株式会社 取締役および「K5」館長に就任、ブランディング及び各テナントの調整役、兜町での催しごとの取りまとめを行う。

Text : Jun Kuramoto

Photo : Naoto Date

Interview : Akihiro Matsui


Soichiro Yamashita

K5館長

日本橋郵便局長さん

兜町の気になる人

当館のすぐ近くにある日本橋郵便局は郵便発祥の地であり歴史ある郵便局。シンプルにどのような方々が働かれているのか気になるし、僕ら(K5)のことをどう思っているのか聞いてみたいです。