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澤本佑子
澤本佑子

2021.04.01

澤本佑子

Omnipollos Tokyo コミュニケーション・ブランディング・マネージャー

デザイナー魂が共鳴した
クリエイティブなビールの世界

スウェーデン生まれのクラフトビールOmnipollo。アジア初の直営店Omnipollos Tokyoのコミュニケーション・ブランディング・マネージャーの澤本佑子さんは、アメリカでグラフィックデザインを学び、デザイナーとして人生を歩んできた。お酒好きも高じて、味はもちろん、毒気のあるユニークなデザインのOmnipolloに惚れこんだという。彼女がOmnipolloに出合うまでの道のりを聞いてみた。

●まず、どんな学生時代をおくってきたのか教えてください。
大学卒業までは日本で過ごし、アメリカの大学に入り直しました。昔から海外への興味が強かったんですが、きっかけは中学1年生の時に親と一緒にドイツを訪れたことだったと思います。
初の外国にカルチャーショックを味わって、それから目が向くようになりました。高校では英会話教室に通ったりホームステイをしたり。もちろん英語も好きだったけど、海外、特にアメリカ文化への憧れがあったんです。

●アメリカのどんなところに憧れていたんですか?
ビーチや大学生が遊んでいるイメージですね。映画の影響が大きかったと思います。それに音楽も影響を受けました。親がフォーク好きで、洋楽を聴いて育ったんです。恥ずかしいんですけど(笑)、学生時代はTLCとか好きだったし、そこからはまってソルト・ン・ペパーやold schoolを掘り下げて聴いていました。高校の頃は、家庭教師の先生にサイプレス・ヒルなど王道を教えてもらってラップにも目覚めました。音楽が好きだったので、ポップとカントリー、あとはなぜかJazzには手をださなかったので、それ以外は全部網羅しましたね。

●いつからアメリカに行くことを考えていたのでしょうか?
日本の大学に入ったものの、その頃からアメリカに行きたい気持ちが高まっていきました。新しいものを見て知らないことに触れるのが好きだったから、とにかく大きなところに出たいと思って(笑)。
大学時代は休みに旅をしては、海外欲を満たしていました。友人に会いにナイアガラに行ってニューヨークやジャマイカまで周ったり、2000年には、いちばん早く2000年を迎える国だと聞いてトンガに行ったり(笑)

●日本の大学では何を勉強していたんですか?
アメリカ文化研究のジャーナリズムを専攻に、文化や政治、社会問題、女性問題などを勉強していました。でもある時、ウェブデザインの授業をとってみたら、すごくおもしろくて。デザインの仕事をしたいと思い始めて、それがアメリカに行く動機にもなりましたね。

●それでアメリカの美術大学に入ったんですね。
デザインを勉強したことがなかったので、まずはカリフォルニアのコミュニティカレッジで2年かけて基礎を学びました。そこでポートフォリオを作って、Otis College of Art and Design(※1)に入りました。アメリカでの学生生活は、日本より変な人が多くてクレイジーでしたね(笑)

※1 Otis College of Art and Design
1918年に設立された、西海岸でもっとも歴史ある芸術大学のひとつ。

タイポグラフィーって整然として美しいんだけど、
表現力もパワーもある。

●名門美術大学ですよね。デザインを学んだ時間は有意義でしたか?
私の人生において1位2位を争うくらい大事な時だったと思います。頭の中でふわっとしていたものが、明確になったというか。自分がどんな表現をしたいのか、そのためにはどんなアプローチをしたらいいのか、そんなことを確認していく時間でした。

●専門は何だったんですか?
グラフィックデザイン専攻だったんですが、タイポグラフィーに絞りました。図書室で参考書を探していた時に、ヤン・チヒョルト(※2)の本に出合ったんです。その本を見た瞬間、これだ!って思ったんですよね。

※2 ヤン・チヒョルト
ドイツのタイポグラファー・カリグラファー(1902-1974年)

●タイポグラフィーのどんなところに惹かれたんでしょうか?
それまで文字といえば書籍の文字というイメージしかなかったんですが、こんな表現方法があるんだって初めて知ったんです。タイポグラフィーって整然として美しいんだけど、表現力もパワーもある。国や年代、グループ、スタイルがさまざまあって、勉強すればするほどはまっていきましたね。

●すごく緻密な世界ですよね。小宇宙というか……。
タイプフェイス自体を実際につくるとなると、本当に緻密な職人仕事なんです。卒業後に1年ほどアメリカの会社で働いたんですが、当時付き合っていた彼がオランダでタイプデザインを勉強するというので一緒について行ったんです。そこで緻密な作業を目の当たりにしました。タイプデザイナーは憧れだし、カリグラフィーもやってみたりしたけれど、私には向いてないかもって気付きましたね(笑)オランダには半年ほどいたんですが、いろいろあって結局ひとりで帰国しました。

●その彼はタイプデザイナーに?
はい、彼は有名なタイプデザイナーになっています。アーティスト気質だったけど職人気質でもあったので、向いている人だったと思います。実はある時、置かれていたタイポグラフィーの本の中に彼のインタビューを見つけたんです。彼も頑張ってるなって(笑)

●それは感慨深いですね(笑)。帰国してからはどんなことを?
デザインの仕事をしたいと思って、まず白井敬尚さんの事務所を訪れました。『アイデア』という愛読していた雑誌で拝見してから、憧れていたんです。その時は募集していないと言われてしまって、結局ポートフォリオを出していた小さなデザイン事務所に入りました。
日本での就職活動はおもしろかったですね。帰国したばかりでカルチャーショックもあって。面接でアメリカでの時給を伝えたら、「君は佐藤可士和か!」って言われたり(笑)。アメリカはデザインへの対価が高いから新卒でもゆとりある生活をしている子たちを見てきていて、日本の給料システムが全然違うことを知らなかったんですよね。

●デザイン事務所ではどんな仕事をしていたんですか?
ブランディングや内装デザインを手がけている事務所だったんですが、私はグラフィックの仕事を3年ほどやりました。それから広告代理店に転職して……でも激務で身体を壊して1年で辞めました。貯金はあったので一度働かずに暮らしてみようって、それから1年ほどは無職で暮らしました。いままで忙しくてできないと言い訳してきたことを全部やってみようと思ったんです。

●働かずに、どんなことをやりたかったんですか?
やっぱりタイポグラフィーですね。活版印刷とカリグラフィーの教室に通ったり、石彫りのグループ展に出展したりもしましたね。

●タイポグラフィーが常に心の中にあったんですね
そうですね。ずっと好きだったし、完全燃焼できていない気がして悔しかったというのもありました。あの時しっかり向き合えたのは良かったと思います。いまでも本屋に行くと、タイポグラフィーの本を手に取ってしまいますね。

●その1年間を経て、また働き始めたんでしょうか?
はい、フリーランスになったり、デザイン事務所や一般企業のインハウスデザイナーとしても働きましたね。その後、ブランディングとイベントを運営する会社にデザイナー、企画、運営として1年ほど働きました。でもこの会社の方向性に違和感をもっていた頃、以前から知っていたみどり荘(※3)の募集を見つけておもしろそうだなと思って、主催者に自ら声をかけて転職を決めました。そして、2016年のみどり荘永田町の起ち上げからコミュニティーオーガナイザー兼デザイナーとして携わることになったんです。

※3 みどり荘
中目黒、表参道、永田町にあるコワーキングスペース。

●みどり荘ではビール好きとして知られていたとか。
みどり荘にジョインする前に自由大学(※4)にも通い始めていたんですが、都市学ツアーでアメリカ・オレゴン州のポートランドに2週間ほど行ったんです。オランダでもクラフトビールのおいしさに気付いていたものの、ポートランドで改めてその魅力を知りました。でも自由大学では焼酎学のキュレーターをしていたんで、ビールに開眼しつつも、まだまだ焼酎派だったんですよね。焼酎は長く飲めるお酒だから一旦離れても戻ってしまう、ビールはいろんな面があっておもしろい。例えるなら、焼酎が旦那、ビールが彼氏みたいな状態(笑)。

※4自由大学
知的生命力がよみがえるユニークな講義を展開する、大人の学びの場。2009年の開校以来、およそ200種類のオリジナル講義を企画。

●焼酎からビールに情熱が傾いたのはなぜですか?
焼酎への情熱はまだちゃんとしっかりあって完全に傾いたわけではないんですが、自由大学でビールの授業を受けたり、みどり荘でイベントをする中で、ビール仲間が増えて楽しくなりました。
それにビール業界って圧倒的に自由なんです。焼酎業界は、昔ながらの体質がまだしっかり残っていて固いイメージだったのに対し、ビールは何を入れてもいいし、どんなフレーバーも作れる。作り手のスタイルもカジュアルでラベルも遊べる。そんなビールの自由度の高さが自分の性格的にもはまったんだと思います。

●デザイナー魂がビールのクリエイティブな面に共鳴したんですね。
そうですね、やっぱりデザインって私の人生の大切なポイントなんです。だから、ビールの味だけでなくデザイン性が高いOmnipolloにも惹かれました。

コンテクストまでクールなつくり手はなかなかいない。

●Omnipolloを知ったのは、どんなきっかけだったんですか?
2019年にCOMMUNE(※5)でポップアップイベントをやった時ですね。Omnipolloのビールに「Yellow Belly」というスタウト(黒ビール)があるんですが、白い紙に目を表現した黒丸が2つ描かれたパッケージでKKK(アメリカの白人至上主義団体)を模したデザインなんです。
「Yellow Belly」には臆病者やいくじなしという意味もあるので、KKKや匿名で差別的なことをする人達への皮肉も込めてこの名前にしたのではないかと思います。そしてラベルにはピーナッツバター・ビスケットスタウトって書かれているのにバターもナッツもビスケットも入ってない。でもなぜかその味がするという不思議(笑)。ビールで人種差別問題を提起させるアプローチがかっこよくて衝撃を受けましたね。ほかにも現代アーティスト・バーバラ・クルーガーへのオマージュで作られた「Braraba」、マルセル・デュシャンの「泉」の真の制作者だったと言われるDADAのエルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェンへのオマージュであろう「Elsa」など、遊び心があっておもしろいなと思うビールばかりで。こういうアイデアをビールにしちゃうんだ!って嬉しくなりました。デザインが良くておいしいビールをつくっている人たちはほかにもいるけれど、コンテクストまでクールなつくり手はなかなかいない。

※5 COMMUNE
みどり荘表参道や自由大学が入る、表参道のコミュニティスペース。

●Omnipollos Tokyoを起ち上げてから1年近くになりますが、ここまでの道のりはどうでしたか?
新型コロナウィルスが蔓延した影響もあって、アップダウンの激しい1年間でしたね。でもだからこそ、これからかなと思っています。日本人アーティストとコラボしたり、民藝で商品をつくったり、つくりたいビールのイメージもあります。それに、どんなお店にしたいのかビジョンを持つこともできた。もしオリンピックがあって観光客が集まっていたら何も考えずに走り続けていたかもしれないし、立ち止まることができたのは結果として良かったと思います。

●この1年で兜町も変わり、ビールが飲める場所も増えました。兜町において、Omnipollos Tokyoをどんな場所にしていきたいですか?
いまは物珍しさもあるのか、感度の高い人や近所の方など、さまざまな人が立ち寄ってくださる。これからは展示やイベントを増やして、ビールに加えてカルチャー好きな人たちが集う場所にしていきたいですね。
おいしくておもしろいビールを提供するのはもちろんなんだけど、単なるビアバーやブルワリーではなくて、その先をいく存在でありたい。細長い先の奥は、おもしろい人が集まっていて、おもしろいことが起こっているような……。バーなんだけど、みどり荘みたいな雰囲気をつくり出せたらいいなって思っています。

澤本佑子

Yuko Sawamoto

東京都生まれ。2001年アメリカ・カリフォルニアにわたり、オーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでグラフィックデザインを学ぶ。帰国後はデザイン事務所などで働き、自由大学の焼酎学のキュレーターも務める。みどり荘永田町の起ち上げ時から運営に携わった後、2020年にOmnipollos Tokyoをオープン。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Portraits by Nathalie Cantacuzino, Interior by Naoto Date

Interview : Akihiro Matsui


澤本佑子

Omnipollos Tokyoコミュニケーション・ブランディング・マネージャー

あゆみさん

Ao

兜町の気になる人

凛とした姿が印象的なAoのあゆみちゃん。キャメロンというニックネームからも只者ならぬ雰囲気の持ち主で、お茶やお酒への探究心にいつも感心するばかりです。ミステリアスな彼女を紐解いてみたいです。