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西岡佳胤
西岡佳胤

2021.04.01

西岡佳胤

B コンテンツ・プログラミング・ディレクター

店を通して人と人が繋がる
たまり場をつくっていきたい

ニューヨーク発ブルックリン・ブルワリーの世界初のフラッグシップ店「B」で、起ち上げからコンテンツ・プログラミング・ディレクターとして働く西岡佳胤さん。学生時代は何もせず、ひたすら人と話して遊んでいたと笑うが、原宿にあったIKI-BAでマネージャーとして、長い間慕われてきた彼にとって、人と人が繋がってコミュニティが生まれる場所を作ることは天職だ。これまでの人生で学んだ面白い店の条件やこれからBでやりたいこととは?

●幼少期はどこで過ごしたんですか?
高知県で生まれて、0歳の時、マダガスカルの隣にあるモーリシャスというところに引っ越しました。帰国してからは茨城県に住んでいたこともありますが、小学校3年生から高校卒業までは香川県です。

●モーリシャスってどんなところ?
インド洋にある島で、日本人にとってのハワイみたいな、フランス人がバケーションで訪れる場所ですね。小さかったんで全く記憶がないんですけど、家にいた家政婦さんのことをお母さんだと勘違いしていたみたいで(笑)。
ブゥドゥーっていうインド人の家政婦さんで、カレーをよく食べさせてもらったらしく今でもカレーは好きです(笑)。

●どんな学生時代でしたか?
高校の頃は学校にあまり行ってませんでした。サッカー部で、実は中学校までは地域の選抜チームにも選ばれたりしていたのですが、高校ではがっつりサッカーはしていなくて、友だちと遊んでばかりいましたね。
田舎なので渋谷みたいなところを「街」って言うんですけど……。

●渋谷みたいなところとは?
田舎だと商店街があるところですかね。人がたくさん集まっていて、それが大体商店街なんですが、そこを「街」って呼ぶんです。
人が集まるところって、田舎では一カ所しかないんですよ。いつも「街行こうぜ」って、友だちと遊びに行ってましたね。

●シムシティのゲームデザイナーも「街は人の集合体」って言ってますよね。
建物や鉄道がある近代的な生活を営む場所が「街」という見方もあるけど、人が集って有機的な活動が日々行われる場所が「街」である、と。

そうですね。次元は違うけど、僕らが言っていた「街」も同じことなのかもしれません。

経済的な安定よりも自分がおもしろいと思うことに携わる方が
精神的に幸せだと思ったんです。

●「街」では、何をしていたんですか?
ポニーっていうお店があって。タコ焼き屋さんで、200円でお腹がいっぱいになるんです。
そこに集まって、たこせんを食べながら遊んでましたね。といっても、ただ話しているだけ。内容がなかったんで、何を話していたかも全然覚えてないんですけど(笑)

●ポニーはまだあるんですか?
なくなっちゃいました。店の人がちょっとオタクなお兄ちゃんだったんですけど、「あんちゃん」て呼んで普通に友だちみたいな感じで。
「街」にあって、なんとなくみんなが集まってコミュニティになっていて、いわゆる、たまり場でしたね。

●高校卒業後は何をしていたんですか?
おじいちゃんが建設業をやってたんで、それを手伝って1年ほど働いていましたね。宮大工の募集を見つけて応募したこともあったんですけど、落ちたんです。あ、そもそも卒業して最初に受けたのは彫り師だったんですけど。有名な彫り師がいて、行ったら「絵を描いてみろ」って言われて。描いてみたら2秒で不合格だった(笑)。

●彫り師に宮大工と、紆余曲折して、おじいちゃんの仕事を手伝うことに?
そうですね。おじいちゃんが最後に高知県で公園を作っていたんですけど、途中で亡くなってしまったんです。
その公園を自分の手で完成させたいと思って翌年、東京農業大学の造園科に入りました。でも在学中に、地域の人たちが公園を完成させてしまったんですよね。それを聞いて、勉強する目標を失いました(笑)。

●それはショックですね。ほかに熱中できることはあったんですか?
造園科で図面をひいたりしながら自分に合わないなと思っていたので、ある意味感謝でしたね。
大学時代はダンスサークルに入っていたんですが、ダンスをすることなく、ひたすら喋って過ごしました。これまた内容がなかったんで、何を話していたかは覚えてないんですけど(笑)。

●大学卒業後はどんなことをしていたんですか?
当時付き合っていた彼女に影響されて真面目に就職しました。廃棄物処理プラントなどを販売する会社で営業をやったんですが、全然合わなくて7ヵ月で辞めて。転職してエレベーターを販売する会社に入って2年半ほど働いた時に、彼女と別れて会社も辞めました。
それから、友人ヅテに知っていたメディアサーフ(※1)で働きたいって応募したんです。どんな会社がおもしろいかなって考え直した時に最初に頭に浮かんだんですよね。

※1メディアサーフコミュニケーションズ
「都市の編集者」というコンセプトのもと活動。現在は兜町の再活性化に注力。

●異業種への転職に戸惑いはなかったですか?
そのまま安定した会社で将来を築くこともできたと思うのですが、未練はなかったですね。世の中的にも考え方がシフトしていた時期だったし。
リーマンショックの時に就職したんですが、その後東日本大震災もあって、地方に移る人とか、いまの働き方に疑問を持つ若い人たちが増えていた。そんな流れもあって、経済的な安定よりも自分がおもしろいと思うことに携わる方が精神的に幸せだと思ったんです。

僕の人生で、たまり場をつくることを
規模や条件を変えながらやっているというのはありますね。

●メディアサーフでは、どんな仕事を?
2011年の6月にメディアサーフのグループ会社が原宿にIKI-BA(※2)という店をオープンしたんですが、そこで働くことになりました。でもオープンが9ヵ月くらい伸びてしまって、生活のためにコールセンターでアルバイトをしたり、ファーマーズマーケットのボランティアスタッフやイベントの手伝いをしていましたね。あと系列店のスモークに研修に入っていました。といっても2週間に1回程度だったんですけど(笑)

※2 IKI-BA
2011年に原宿の路地裏で始まり、表参道のCOMMUNE内に移転、2020年に閉店した飲食店。おもしろい人やカルチャーが集まる食の空間として評判だった。

●研修というかヘルプみたいですね(笑)
まだドリンクも出したことがなかったのに、ある時、スモークの結婚パーティーに入ることになって。カウンターには、僕とママさんだけ。お客さんに「ジンリッキーください」って言われて、「ジンリッキーって何ですか?」ってママさんに聞いたら、「わかりません」と。
ふたりともドリンクの知識がなかったんです。いまだったらジンとライムとソーダでつくるってわかるんですけど。お客さんが大勢待ってて焦った挙句、ジングレープフルーツを「うちのジンリッキーです」って出しましたね(笑)。研修なのに誰も教えてくれないっていうね。いま思い出すと笑えるし、いい経験なのですが、結局、IKI-BAで働くのに、飲食の経験値もあまりあがらないまま働き始めることになりました(笑)

●IKI-BAでは何年ほど働いたんですか?
トータルで9年ですかね。原宿にあった頃は、裏原宿のファッション系の人たちや有名なミュージシャンとか客層もユニークでした。そこでお客さん同士を紹介し始めたら、すっかり楽しくなってはまりました。長く楽しく過ごしてもらうためには、酒場として出会いが必要かなと思ったんです。男女だけでなく、友人としての出会いという意味でも。IKI-BAで知り合って、いまでも仲良くしている人たちってたくさんいると思うんですよね。最初のきっかけを与えて人が仲良くなっていくのを見るのが心地よくて、自分はそういうことが好きなんだなと気付きました。

●お店からコミュニティをつくることを頭に描いていたんですか?
そこまでは考えていなかったと思います。常連がつけばいいな、とは思っていましたけど。
飲食だけど、人生の時間に干渉できるっていいなって思って働いてましたね。

●無意識的にポニーみたいなたまり場を作りたかったんでしょうか。
学生じゃなくてもたまり場って居心地がいい環境だと思うので、そういう場所をつくりたいというのはあるかもしれません。僕の人生で、たまり場をつくることを規模や条件を変えながらやっているというのはありますね。

●店づくりにおいて、理想の条件ってありますか?
大きい箱だと出会いって生まれづらいけど、原宿のIKI-BAの規模感はちょうどよかった。
もちろん料理のクオリティや空間のよさも大事だけど、お客さんが繋がっていける店は余白があっておもしろいと思います。ソフト面でいうと、店の人が礼儀正しいのにフランクで……なんて言うのかな、大阪のおばちゃんみたいな感じ(笑)。トゥーマッチな時もあれば心地良い時もある、店員の塩梅ですかね。

●IKI-BAが閉店することになって、Bの起ち上げに入ったんですね。
はい、ネガティブに傾いていた時期だったんで、Bの起ち上げに誘ってもらった時は嬉しかったですね。
2019年の秋には研修で1週間ほどニューヨークに行きました。

●ニューヨークでどんなインスピレーションを得ましたか?
飲食のエンタメ性が高いなと驚きましたね。フォレストガンプの帽子を被った人が海老のスープが入ったカクテルをシェイクしてたりして、ちょっと笑えるなって。ユニークな人や店が許容されるのがアメリカの強みだなと思いました。タコスも店によっていろんなスタイルがあって、Bで出す時のヒントになりましたね。あと、Roberta’s(※3)は最高だなって思いました。あんな風に、訪れて印象に残る場所ってなかなかない。Bもおもしろいコンテンツと人が主役でそこにビールとタコスがあるというのが最初の構想だったので、刺激を受けましたね。

※3 Roberta’s
ブルックリン、ブッシュウィック地区にある人気ピザ屋。空き倉庫だった建物を改装した空間で、窯で焼き上げたピザを提供。店内のラジオ局から情報発信するなど、ユニークなカルチャーも支持されている。

●新型コロナウィルスの蔓延もあっていろいろ状況が変わってしまいましたが、いまはどう感じていますか?
こういう時なので、イベントができないのは仕方ないと思っています。Bは初日から連日連夜満席で、初めは飲食店として成り立たせるのが精いっぱいでした。
それから一回立ち止まって考えることができたけど、いまはアイデアを具現化することはできない。それはストレスだけど、でもコロナが収束したら逆に盛り上がると思っています。家時間が増えれば増えるほど外出への欲求も高まると思うので、その時のことを考えてコンテンツを考えていきたいですね。

●兜町の中でビールを出す店も増えましたが、Bをどんな店にしていきたいと思っていますか?
他店に比べるとBは箱が大きいので、それを強みにブロックパーティーをやりたいとずっと思っています。アートの展示やライブペインティング、DJがいるみたいなイベントですね。やっぱり、当初コンセプトとして掲げていたようなコンテンツ主導型の店で、いろんなイベントをやっていく中にビールがある、そんな店にしたいですね。

西岡佳胤

西岡佳胤

Yoshitane Nishioka

1983年、高知県生まれ。東京農業大学を卒業後、一般企業での営業職を経てメディアサーフコミュニケーションズに就職。IKI-BAで約9年間さまざまなイベントを企画、開催する。IKI-BA閉店後、Bの起ち上げに携わり、コンテンツ・プログラミング・ディレクターとしてDJイベントやライブを中心にコンテンツを考案中。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Portraits by Nathalie Cantacuzino, Interior by Naoto Date

Interview : Akihiro Matsui


西岡佳胤

B コンテンツ・プログラミング・ディレクター

高橋心一

Human Nature

兜町の気になる人

ジャンルも店舗規模も違いますが、音楽やアートをはじめとしたカルチャーを幅広く網羅していてセンスがいいなといつも感じています。以前から知り合いではありましたが、じっくり話してみたいです。