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伊藤朝
伊藤朝

2022.05.31

伊藤朝

K5・KABEAT植栽メンテナンス、朝植物

ファッションの夢を追いかけた日々
植物が立ち戻らせてくれたいま

服飾専門学校で照明の仕事に惹かれ、舞台照明に携わった後、アパレル会社で20代のほとんどを過ごした伊藤朝さん。途切れのないファッションの仕事に力尽きた時、植物の素朴な表情に心地よい安心感を得て、本来の自分に立ち戻ることができたという。独立したいまは、ヤードワークスからの依頼のもと、朝植物という屋号でK5やKABEATの植物のメンテナンスを手がけている。K5のジャングルのような大量の植物たちが日々元気に成長しているのは、彼女の真面目な人柄と持ち前の美的感覚があってこそだ。

●出身はどちらですか?
東京の目黒で生まれ、育ちました。両親も東京出身なので、生粋の東京人です。

●幼少期はどんな子どもでしたか?
活発だったけれど、引っ込み思案で、あまり大勢の子と戯れないタイプ。気の合う友達と少人数で遊んでいました。小さい頃は体操教室に通っていて、学生時代は卓球、バトミントン、陸上競技と、いろんなスポーツをやりました。軽音部にも所属していて、ドラムをやっていました。

●ドラムを始めたのはどんなきっかけだったのですか?
小学校の時に通っていた音楽教室で打楽器を教えていて、そこでドラムに出会ったんです。ドラマーへの憧れもあったので、思春期に入ってからはバンドを組んでドラムをやり、ハードコアや洋楽、いろんな音楽のコピーをしました。あまり音楽に詳しいわけではないんですけど(笑)。活動的な学生時代を過ごしていたように聞こえると思いますが、相変わらず誰とでも仲良くなる賑やかなタイプではなく、引っ込み思案のまま。垢ぬけている子を見て憧れていました(笑)。

●高校を卒業してからはどんな道に進んだのですか?
ずっと洋服が好きで、小学校の頃から、将来の夢はデザイナーになることでした。そんな思いのままに、高校を卒業した後は服飾専門学校に入ったのですが、文化祭の係で照明をやったことで、照明の仕事に興味を持つようになって。卒業後、新卒で舞台照明の会社に入りました。

●照明のどんなところに魅力を感じたのですか?
文化祭でファッションショーの照明をやった時、照明が音やモデルの動きとリンクして場の空気とパンと合った瞬間、なんともいえない高揚感を味わいました。中毒性があって、すごく気持ちよかった。ファッションショーは、文化祭のメインイベントなので、みんな興奮気味に取り組んでいて、代々受け継いできた練習方法や掛け声なんかもあって、年に一度文化祭で再会して活動する部活のような感じでした。リズムに合わせて、タイミングを取って、場が盛り上がるように照明を当てるのはバンドで感じた一体感と近いと思ったし、その臨場感や肌で感じたリズム感が魅力的でした。ただただその快感が忘れられず、照明の道へ進むことを考えるようになりました。

沈んでいた時だったからこそ、植物の表情にほっとして、立ち戻ることができました。植物への綺麗という感動ではなく、心地よい安心感があったんです。

●実際に照明の仕事をしてみて、やりがいはありましたか?
照明の仕事をしたのはたったの1年間だけだったのですが、夢のような時間でした。あかり組というお芝居やバレエなどの舞台照明を手がけている会社です。機材を積んだトラックや深夜バスに乗って、日本の端から端まで旅巡業し、小さな町の公民館を転々とすることもあれば、大きな劇場での長期公演もありました。仕事の大小ではなく、上質な作品が多かったなと感じます。井上ひさしさんや三谷幸喜さん、野田秀樹さんの舞台にも関わらせていただき、錚々たるメンバーの俳優陣に囲まれて過ごした日々もありました。若い頃の経験ですが、今思い起こしても、とんでもなく一流の方々の仕事を間近で見ていたんだなと、鳥肌が立ちます。たった1年間の経験なのに、こんなに鮮明に心に残る感覚には、あかり組以外ではまだ出会えていないくらい、貴重な経験をたくさんさせてもらいました。ただ、やっぱりファッションへの憧れが消えず、1年で辞めることにしたんです。

●ファッションの方に戻りたいと思ったのは、何かきっかけがあったのですか?
照明の仕事を選んだ時、いつかファッションショーの照明をやることができたらと思っていたのですが、入ってみたらお芝居やバレエの仕事ばかりだったんです。もちろんとても充実していたし、離れがたい気持ちもありましたが、専門学校時代の友人たちがファッションの仕事をしているのを見て焦燥感を感じていたんです。デザイナー志望で就活もしましたが、最終的に、知り合いに紹介してもらったアパレル会社に入社しました。OEMの会社だったので、ブランドから生産の依頼をもらう仕事が多く、ゼロからデザインを生み出せる場ではなかったのですが、最初からやりたいことができるわけではないと思っていたので、生産管理から頑張ってみようと飛び込みました。最初の会社に22歳で入り、1度転職しながら、アパレルの会社で28歳くらいまで働きました。

●なぜアパレルの会社を辞めることにしたのですか?
何が原因かはわからないけれど、疲れてしまって、働けなくなって辞めたんです。照明の仕事は、一つひとつの仕事の始まりと終わりがはっきりとしていたけれど、ファッションの仕事は、半年後や1年後に向けて境目なくゴロゴロ転がっていく感じで、それも居心地がよくなかったし、納期や単価交渉がとにかく苦手で、仕事への手応えが全く感じられず、慢性自己嫌悪。気がつけばうつ状態で1年半くらい何もできませんでした。その時勤めていた会社の社長がとても理解のある方で、「無理をしないで今日から休んでいいよ」と、何も咎めずすぐに傷病手当の手続きをしてくださって、何も考えずに不安なく休むことができたんです。あんな辞め方をして申し訳なかったなと思いつつ、とても感謝しています。それでしっかりと立ち直るというか、ちゃんと生活できるようになった頃、植物の仕事をしている母から、気分転換に一緒にオープンガーデンに行かないかと誘われたんです。軽い気持ちでオープンガーデンのツアーについて行き、なんとなく「植物もいいかもなぁ」ってつぶやいたら、「やりなさい、やりなさい」と周りの人たちが大盛り上がり(笑)。植物の仲卸のアルバイトを紹介してもらい、ちょうど良いタイミングで植物の仕事をスタートしました。

K5で働いている人たちって、みんなすごく植物を愛でてくださっているんですよね。植物って、愛でられるとちゃんと応えてくれるんです。

●もともと植物には興味があったのですか?
私の父はフリーライターなんですが、登山の講師もしていて、幼少期にキャンプや山にたくさん連れて行ってもらったんです。いま考えると、幼い頃から、自然や植物は案外身近な存在だったように思います。仕事を始めた時は、植物の表情にほっとしたというか、立ち戻ることができたというか……沈んでいたからこそ、余計に、綺麗という感動ではなく心地よい安心感もあったんです。植物に身を任せていたら元気になれるかもしれないなと。それにファッションの仕事とは違って、植物の仕事は体を動かす仕事なので、性に合っているとも思ったし、お客様の反応を直接感じられるのも豊かだなと思いました。

●ヤードワークスの天野さんとは、どこで出会ったのですか?
仲卸の会社には30歳くらいから5年半ほど勤めていたのですが、ヤードワークスの天野さんとは、そこに勤めていた頃に知り合いました。お客さんでよく来てくださっていて、当時から変わらずとても気さくな方でした。ある時、「ここを辞めて独立する予定だ」と伝えたら、K5の植物のメンテナンスしない?とお声掛けいただいたんです。

●天野さんの植物のセレクトは際立っていましたか?
はい、際立っていました。同じ樹形になるように綺麗に仕立てられた植物もあるけれど、「何これ、変な形!」みたいな、個性溢れる樹形の植物もあって、天野さんはまさにそういう植物を中心にかっさらっていく感じでしたね(笑)。アートなどが好きだったり、面白みを大切にする感性の人に響くような植物を探されていた印象です。植物って人が一から作りだすものではないし、もうすでに備わった美しさや力強さを、どんなシチュエーションで提供していくかだと思っていて。セレクトが命というか、何をどうチョイスするかでブランドの色が変わると思います。ヤードワークスが手掛けた植栽は、ヤードワークスだと言われなくてもちゃんとヤードワークスだって分かるんですよね。「らしい」かっこよさがぶれないから、すごいなと思います。

●K5の空間や植物を初めて見た時は、どんな風に感じましたか?
初めて訪れたのは、K5がオープンする直前で、内装工事と植物搬入の真っ只中でした。こんなにおしゃれな場所で仕事するのか、私に務まるかな、と緊張した記憶があります(笑)。K5の植物は、150鉢くらい入っていると思うのですが、最初はすべて見回るのに6、7時間かかっていました。週に一度メンテナンスに訪れていますが、慣れた今でも4、5時間かかります。K5で働いている人たちって、みんなすごく植物を愛でてくださっているんですよね。植物って、愛でられるとちゃんと応えてくれるんです。誰からも注目されないところにいる植物は、置物みたいに元気がなくなる。K5のみなさんは、ちょっと様子が変だという時もすぐに気付いてくれるし、ありがたいんです。植物を通したコミュニケーションから、K5の人たちは優しくて、K5という空間が心休まる温かな場所だと感じられます。

本来、自然は外に見に行くものだけど、K5はホテルの中で植物が楽しめる。今後、そんな逆の現象が兜町で起こっていくと面白いなと思います。

●K5の植物をチェックする時に心がけていることはありますか?
植物なので、当然ある程度の日当たりが必要で、実はK5は日当たり的にベストな環境ではないんです。なので、できる限り明るい場所に移動させ、水をどれだけ吸うかなど、彼らの生育環境を探っています。客室前の廊下の植物なんかは、お日様の方に向かって一生懸命葉を伸ばしている姿が、健気でかわいいんです。でも、ダメになっちゃう子はどうしてもいるし、はたまた、環境に慣れてきた子はどんどん成長していく。「水がほしいよ」とか「今はいらないよ」とか言ってくれればいいけれど、植物は声を上げてくれないし、黙ってじっとしている。そんな植物の無言の訴えに気がつけないこともあるので、まだまだだなと多々思うのですが、なんでこうなるんだろう、と探ることを続けていくしかないと思っています。

●兜町とこの街の植物に対する印象を教えてください。
歴史的な建物が多くて、そこに新しいものが混ざっているのがおもしろいなと思ったのが最初の印象です。ビジネス街の印象と、高速道路と。こういう街に緑がたくさん置かれたホテルがあるというのは、ギャップとしておもしろいなと感じましたね。本来、自然は外に見に行くものだけど、K5はホテルの中で植物が楽しめる。今後、そんな逆の現象が兜町で起こっていくと面白いなと思います。

●いま独立して、ほかにはどんな仕事をしているのですか?
兜町のKABEATの植物メンテナンスにも2週に1度入らせていただいているので、K5のメンテナンスと併せて伺っています。ほかは個人宅のお庭のお手入れ、美容室など店舗の植栽・メンテナンスが主な仕事ですが、2年程前から、招き猫で有名な豪徳寺(世田谷)のお庭のお手入れにも入らせていただいています。ひょんなご縁で、数年前から母が草花のお手入れをさせていただいていて、年齢的に体が辛くなってきたこともあり、サポートで私も手伝うようになりました。主に背の低い植物を触らせていただいているのですが、景観を崩さず、季節ごとに必ずどこかでお花が見てもらえるような花壇作りを、母と日々奮闘しているところです。我々の提案をいつも柔軟に快く受け入れてくださるご住職に、驚きつつ感謝しながらやらせていただいています。母の植物選びやレイアウトは、さり気なく空間と寄り添うような発想で、そんな母の感覚を引き継げるようにと勉強しながら、自然の中にある景色を意識した庭造りを心がけています今後も、屋外の植物を多く手がける仕事をしたいなと個人的には思っています。

気持ちが良いな、心地良いなと、見てくれる人に思ってもらえる「何かを作る」というところが共通していると思います。

●室内の植物と屋外の植物を扱うのとでは、どんな違いを感じますか?
室内で育てる観葉植物も、もともとは暖かい土地で野外に生えている植物です。ところが、私達の勝手な欲求に振り回されて、いつの間にか室内用の植物という認識ができあがってしまいました。また、どうしてもインテリアの延長のように扱われてしまうこともあって、切なさを感じることもあります。観葉植物も好きですが、やっぱり私は、本来の植物らしく四季を感じるものにもっと触れていきたいですね。K5の室内の植物はほとんど全部観葉植物なんですが、枝ぶりなど見ていると天野さんが自然を感じられる樹形を意識して選ばれたんだなと感じられます。

●照明、アパレル、植物と一見多様なキャリアですが、どんなところに共通点があると思いますか?
気持ちが良いな、心地良いなと、見てくれる人に思ってもらえる「何かを作る」というところが共通していると思います。ヤードワークスさんのセレクトするかっこいい植物とか、そういう感性に触れたいと思って、いまの仕事に辿り着きました。これから、もっと自分の感性で仕事を充実させていきたいですね。

●これからやってみたいこと、考えていることはありますか?
植木鉢ってメーカーが大体決まっていて、どこのお店でも同じものを扱っていることが多いんです。それってちょっとつまらないな、と思っていて。骨董品や器が好きで趣味で集めているので、そういうものを鉢に仕立てて植物と組み合わせるようなことをやってみたいなと思っています。一緒にやろうと言ってくれている陶芸家の友人もいて、今まさに少しずつ動き出しているところです。

●兜町にあったらいいなと思うものはありますか?
兜町はベンチが少ないですよね。どこか外で食べたいと思ってサンドイッチを買ったけれど、座るところがなくて、小さい緑地の縁石に座って食べたことがあります(笑)せっかくかっこいい建物や広々とした町並みがあるんだから、座ってゆっくりと街を眺められるところがあったらいいのになぁと思いますね。

伊藤朝

伊藤朝

Asa Ito

1985年、東京都生まれ。学生時代はバンド活動でドラムに打ち込み、服飾専門学校へ進学。照明の仕事の魅力に惹かれ、新卒で舞台照明を手がける会社に勤めた後、アパレル会社で生産管理などを担当。30歳目前に、植物の仕事への道を切り開き、現在は朝植物として独立。ヤードワークスからの依頼のもと、K5やKABEATの植物のメンテナンスを担当。ほか、美容室、個人宅の植物の植栽・メンテナンスから、豪徳寺の草花のお手入れまで務める。

Text : Momoko Suzuki

Photo : Naoto Date

Interview : Momoko Suzuki


伊藤朝

K5・KABEAT植栽メンテナンス、朝植物

兜町の気になる人

K5をはじめ、兜町のPRを担っている大倉皓平さんです。K5で声をかけてくださったり、ご挨拶くらいはさせていただいていましたが、じっくりお話したことはなくて。でも、初めから物腰が柔らかくて誰に対してもニュートラルな印象でした。そんな風に誰に対しても自然体な印象を与えられる人ってなかなかいないと思うんです。広報の仕事で、いろんな人とコミュニケーションを取られると思うのですが、適任だなぁと。そんな大倉さんのルーツやどう生きてきたのかをぜひ知りたいですね。