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佐藤権作
佐藤権作

2021.06.30

佐藤権作

SR 焙煎士

感覚と経験が引き立てるクリーンな後口と個性

語学を追求するために日本を飛び出し、いつの間にかコーヒーに魅了されていった佐藤権作さんは、英会話講師から大きく舵を切り、5年間の海外生活で培った感覚と経験でストックホルム発のマイクロロースターSRのコーヒーに共通する“クリーンさ”を表現する焙煎士だ。そんな彼が兜町に足を踏み入れることになった経緯をインタビューで聞いた。

●学生時代はどんな過ごし方をされていましたか?
走ることに自信があり、陸上部で幅跳びをしていましたが、途中で友達に誘われてダンスやり始め、大学に入ってからはダンスをやっていました。英文学科だったので、その頃から海外には漠然と興味があり、いつか行ってみたいなと思っていました。

●初めての海外はどちらへ行かれたのでしょうか?
語学習得のためにニュージーランドのクライストチャーチへ行き、毎日必死に食らいつきながら、みっちり英語を勉強して過ごしました。

●コーヒーに興味が出てきたのはいつ頃でしたか?
大学卒業後に約一年間ニュージーランドへ行ったのですが、その頃はまだコーヒーのコの字も知らなかったというか。
もちろん飲んではいましたけど、語学目的だったので、むしろ帰国して地元の仙台に戻った頃からだったと思います。

●いつ頃からコーヒーをやろうと決意したのでしょうか?
仙台に戻ってからはフリーターだったので、スターバックスでアルバイトをしながらコーヒーのことも教えてもらいつつ過ごしていたのですが、そろそろ就職しないとまずいなと思いながら英語を使った仕事を探して、英会話講師として二年間ほど働いていたんです。でも、家のガスコンロでコーヒー豆を自家焙煎しながら色々試している内に、いつの間にかコーヒー熱の方が英語よりも上回ってしまって。それで、コーヒーといえばオーストラリアが有名だよなと思って、勢いで講師を辞め、コーヒーを学びにオーストラリアへ行くことにしました。

●オーストラリアのコーヒーカルチャーはどんなものでしたか?
最初はシドニーの日本人が経営しているカフェで雇ってもらい、ローカルのお客さんにひたすらエスプレッソを出す日々でした。
特に朝は混むのでハードで、キャラメルフラペチーノなんてなくて、全然スターバックスのスタンスと違うんです。そもそも飲みに来るお客さんがコーヒーにうるさいというか、「ちょっと薄いよ」とかダイレクトに意見を言ってくるので、英語の接客と相まって大変でした。
でもその中で、自分でエスプレッソマシンを調整して勉強することができたし、常連さんの顔と好みのコーヒーを自然に覚えていったので、顔が見えたらすぐにコーヒーをつくり、挨拶する時にはそれを手渡せるようになっていきました。この人はエキストラショット、この人はエキストラホット、この人はソイミルクといったように、人によって求めるコーヒーが全然違うので。そうやって半年働いては次の場所へ移るという感じで、経験を蓄積しながら国内を旅するように過ごしていました。

●次はどのようなカフェに行かれたのですか?
カフェには行かず、農園へ行ったんです。オーストラリアにはセカンドビザという制度があって、農園で働くと一年間滞在を延長できるんです。
それでコーヒー農園で働くことにしました。基本、コーヒーの実を収穫する仕事なのですが、夏が収穫期なので10月から12月の繁忙期だけ働いていました。農園で働いた後は、コーヒーはやっぱりメルボルンだろうということで、半年間メルボルンのローカルなカフェで働きました。

●シドニーでのカフェやコーヒー農家での経験もあり、かなり成長していたのではないですか?
絶対いけるな、自分。と、すごく自信満々でメルボルンに挑んだのですが、20〜30軒カフェを回っても全然雇ってもらえなくて……。
やっぱりオーストラリアからすると、まだまだバリスタという経験が浅かったんだと思います。一年以上の経験が求められるのは結構ざらでしたから。最終的に雇ってもらえたから良かったですけど(笑)。

●その後はどちらへ行かれたのでしょうか?
パースに移りました。すごく綺麗な場所だと聞いていて、いつか行こうと思っていました。そこではコーヒー以外にスキューバダイビングやハイキングをしたり、みんなでワイワイ飲んだりして、すごく楽しかったのを覚えています。昔から旅することにそんなに興味がある方ではなかったのですが、こうやって移動していくなかで、新しい世界を拓く楽しさを覚えたことが自分自身、正直驚きでした。
途中、スキューバダイビングの免許も取得したのですが、試験の休憩時間に二頭の巨大なクジラに遭遇して、それが一番印象に残っています。ホエールウォッチングのツアーでも見れないことはざらなので、二頭同時というのは貴重な瞬間でしたし、すごく感動しました。

豆をつくる農業のところから一杯のコーヒーとして抽出するところまでの全工程を経験できたのは、コーヒーに携わる人間としては大きかったと思います。

●コーヒーにまつわることで、ほかにオーストラリアで印象に残っていることはありますか?
メルボルンでは年に一度、MICEというメルボルン・インターナショナル・コーヒー・エキスポという世界最大規模のコーヒーの祭典が3日間にも及び開催されていて、オーストラリア全土から集まったコーヒー店がひしめき合い、ショールームのように焙煎機を始めとした機材に触れることができたり、賞金が出るバリスタの大会があったりと、オーストラリア中からコーヒー好きが集まり、一日中コーヒーを味わうんです。

●一杯のコーヒーの捉え方で言うと、日本との違いはどこにあるでしょうか?
豆をつくる農業のところから一杯のコーヒーとして抽出するところまで意識の流れがあるのは、やっぱりオーストラリアならではだと思いましたし、その全工程を経験できたのはコーヒーに携わる人間としては大きかったと思います。

●焙煎士としての意識はいつ芽生えたのでしょうか?
パースから日本へ帰国して、その後カナダのバンクーバーに行くのですが、その時に知り合いから紹介してもらったロースターで働いた経験からでした。バンクーバーはエスプレッソ中心のオーストラリアのスタンスからは少し離れ、フィルター系が人気なんです。
もちろんエスプレッソもメインには入ってくるのですが、それに加えていろんな淹れ方のスタイルが出るのが北米カルチャーで、バンクーバーもそれに近いスタンスでした。もちろん最初はバリスタとして働いたのですが、休日は焙煎をしている友人のところへ行き、勉強させてもらって。もちろん給料は出ませんが(笑)、興味本位で通っていました。

●SRとの出会いについて教えてください。
再度ワーキングホリデーでニュージーランドへ行くのですが、今度は小さな焙煎機のあるコーヒースタンドで働き、カナダでの経験を活かすためにそこで焙煎を始めたんです。その時、コーヒーのトレーニングにと日本人っぽい方が店に入ってきて、男の人なのにケイトって呼ばれていたのがすごく印象的だったのですが、それがSRの加藤渉さんで。加藤って英語で書くとKato、ケイトって読まれてしまうみたいで(笑)。
初めて会った時は日本人とは思っていなかったので英語で話しかけていたのですが、そのうち日本人と分かりました(笑)。なので、トレーニング中は僕が加藤さんの先生でした。その出会いが日本に帰った後、SRに繋がったんです。

●そんな師弟関係があったのですね。以降もニュージーランドで焙煎を?
しばらくはオークランドのカフェでシニアバリスタのような立ち位置でスタッフに教えながら働いたのですが、日本でもコーヒーをやってみたかったし、遠距離の彼女もいたので帰国を決意しました。

●帰国後はすぐに焙煎を始めたのでしょうか?
はい。清澄白河にあるThe Cream of the Crop Coffeeというロースター兼カフェで働きました。
ファクトリーのような店内に大きな焙煎機があり、その傍でコーヒーを出しているお店で、そこで豆の焙煎を担当しながらコーヒーを淹れていました。

●日本でコーヒーのお店をやってみて海外との違いはありましたか?
基本的に日本のお客さんは流れが一定で緩い気がします。結局、海外には5年ほどいたのですが、どの国も朝が忙しい傾向にあったので、そこははっきり違うなと。どちらの雰囲気も好きではありますけど。

●最終的にSRで働くことになったのは、ニュージーランドで出会った加藤さんとの約束があったからなのでしょうか?
将来的に日本で一緒にお店やれたら良いよねっていう話はしていました。先に加藤さんが日本に帰っていたので、自分が帰国したタイミングで「お店始めたよ」という連絡はいただいていて。清澄のお店も継続しつつ、2020年8月からはSRの大手町や有楽町の店舗にも立ち始め、いよいよロースターが入るということで兜町へ来ることになったんです。

コーヒーを淹れるのも焙煎するのも、その人の感覚的なニュアンスが入っていくものだと思うので、データ化できない分、SRの味の幅をしっかり設定するという焙煎を心がけています。

●焙煎に関してお聞きしたいのですが、こだわっている部分や感覚的なところを教えていただけますか?
コーヒーの味って、焙煎士のローストによって浅い深いが全て決まってしまうわけですが、それもそれぞれの焙煎士の感覚によるところが大きいので、結局データとしては測れないんです。なので、全て自身の経験を信じてローストしているというか。世の中には豆にクラシック音楽を聴かせている人もいるみたいなので、焙煎士の数だけスタイルはあるのだと思います(笑)。

●SRでは何種類の豆をローストしているのでしょうか?豆の特徴も教えてください。
ブラジル、エチオピア、エクアドルのシングルが合わせて6種類、ブレンドが1種類という感じで本国スウェーデンから届きます。生の豆が4種類あるので、既に東京ブレンドはありますが、これからいろんなオリジナルブレンドをつくっていきたいなと思っています。
豆の特徴としては、エスプレッソもフィルターも後口がクリーンなところでしょうか。自分自身、始めて飲んだ時はびっくりしたのですが、豆のフレーバーはしっかりと活かしながらも、そういうコーヒーに対する“クリーンさ”を表現するのは、SRで焙煎する上で一つの目標として掲げています。

●今後どのような豆を焙煎していきたいですか?
もちろんトレンドは意識していきますが、SRとしては本国の焙煎士とまめに情報共有しながらも、気候が違う部分での調整をしつつ、ある程度自由に焙煎させていただいています。日本ではまだ扱っていないような豆もフランスから仕入れて焙煎していきたいし、コーヒーを淹れるのも焙煎するのも、その人の感覚的なニュアンスが入っていくものだと思うので、データ化できない分、SRの味の幅をしっかり設定するという焙煎を心がけています。オランダ製の焙煎機を触るのは初めてだったのですが、本国も同じものを使っていますし、日々味をみていく中で、この兜町の店舗に立ちながら調整を続けていきます。香りが立つと街の雰囲気も変わりますし、お店としても入りやすくなる部分もあるのかなと期待しています。

佐藤権作

佐藤権作

Kensaku Sato

1983年、北海道生まれ。後に仙台に移り、大学卒業まで仙台に滞在。その後、ニュージーランドへ語学留学し、帰国後は2年間、英会話講師として従事。コーヒー熱が高まり、その後、ワーキングホリデーでオーストラリア、カナダ、ニュージーランドと周り世界のコーヒーシーンを肌で感じる。帰国して清澄白河の焙煎所で働き、現在はニュージーランド・ウェリントンで知り合った加藤氏のSRにて焙煎士として従事している。

Text : Jun Kuramoto

Photo : Naoto Date

Interview : Jun Kuramoto


兜町の気になる人

まだ兜町に来て日が浅くお店には行けていないのですが、同じ年齢ですし、ストイックに面白いことされてきているなという印象が強い西さんが気になっています。